第35総会期第一回宣教師支援委員会が、五月十一日(金)十四時~十七時、教団会議室において開催された。当委員会は、教会から今橋朗(委員長、蒔田教会)・橋爪志津代(洗足教会)、宣教協力学校協議会から永嶺雄三(女子学院)・立花慎一(青山学院)、宣教師からトーマス・ヴァンデバーグ(清瀬みぎわ教会)が委員となり、世界宣教部の上田博子幹事が担当幹事を務める。
宣教師支援委員会は、JNAC(日・北米宣教協力会)の解散に伴い、教会やキリスト教学校に働く宣教師の個人的な問題を受け止め、側面からサポートし、日本での活動が円滑にいくように支援することを使命として、CoC(宣教協力協議会)において二〇〇五年度に組織されたことに始まる。そして、この度のCoCの発展的解消によって、今総会期より、教団の世界宣教委員会の下の委員会として位置づけられることとなったものである。
本委員会が担当している事項は次の四項目であ……
五月三〇日、宣教協力協議会(Council on Coop-erative Mission:CoC)が、教団、宣教協力学校協議会、日本キリスト教社会事業同盟の三構成団体の代議員の出席を得て、第85回全体会議を最終全体会議として教団会議室で開催し、正式に解散した。
教団と歴史的関係の深かった北米八教派の外国伝道部が、戦後の日本のキリスト教界の復興のために組織した、基督教事業連合委員会(Interboard Com-mittee on Christian Work in Japan:IBC)に対応する日本側の組織として日本基督教団、日本基督教教育同盟(現在のキリスト教学校教育同盟、後にIBC関係学校協議会が組織され、現在の宣教協力学校協議会となる)とIBCで内外協力会(Council on Cooperation)を一九四八年二月に設立した。これがCoCの出発点である。
一九五二年には、日……
▼旅行雑誌のコーナーで立ち止まった。「源泉掛け流しの温泉宿」、先ず、この辺りに目が行った。パラパラとめくり、頭の中で日程を勘定し、「日帰り温泉」の前に移る。ついに鞄から手帳を取り出す。「ウーン」と唸って、本屋の天井を見上げたら、鏡に別のコーナーが映っている。江戸の古地図。▼数年来のブームのことは聞いてはいたが、何とも多様な江戸の地図が並んでいるとは、驚いた。明治大正昭和の東京もある。比較的コンパクトな江戸地図と下町食べ歩きの類の本を買った。▼早稲田周辺も取り上げられている。見れば、教団から歩いて数分の所に、「堀部安兵衛記念碑」がある。七年通っていて初めて知った。教団から、高田馬場までの帰り道を三倍くらい遠回りして歩き、小旅行ならぬ豆旅行を終えた。なかなか味わいがある。▼牧師は出張が多くて羨ましいと妻が言う。金沢には六度行った。兼六園を見たのは五度目の時。日光は二度、東照宮も華厳の滝も未だ。……
詩編62編1~9節、使徒言行録3章13~21節
神の前での沈黙 勇 文人
・ダビデの沈黙
語ることにおいて優れた才能を持っていながら、雄弁であることを捨てた男がいます。人並みはずれた才能を持ちながら、自らの無力さを思い知っていた男がいます。イスラエルの第二代目の王ダビデ。彼はたぐいまれな能力を持っていました。ダビデに出会ったサウルの従者がダビデのことをこう評しているほどです。「竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良い」。そんな秀でた才能を持ちながら、ダビデは自分には何の希望も見いだしません。ダビデはただ神だけに信頼を寄せ歌います。
「神にわたしの救いはある」「神こそわたしの救い」と、神だけに頼って歌います。他の何者でもなく、ただ神だけが、神こそがです。だからダビデは救いの源である神に向かうのです。
神に向かうときに……
台湾基督長老教会の第52回の総会が四月十日から台北の馬偕記念病院で開催され出席した。
国民党と民進党が中国との対応をめぐって緊張関係にある中での総統選挙実施が近づく中、長老教会もこの関連を直視していることが呂秀蓮副総統の来訪と演説でも伝わってきた。
また世界状況の中での孤立化を脱すべくシンガポール及びマレーシアの長老教会との宣教協力案が可決されたことも台湾基督長老教会の方向性が見えていた。
四役の改選、予算等の承認などのほか機構改正も進められ前進する姿が着実と見受けた。
教団からの議長挨拶は東京台湾長老教会の李孟哲牧師の通訳によってなされたが熱烈なる拍手によって歓送迎され教団への信頼と期待の高さ、深さを再認識させられる時でもあった。
今回の総会主題は「建造家庭祭壇、分亨豊盛生命」であったがこれは今年の教会全体のテーマをそのまま掲げてのことである。
家庭伝道、信仰の継承によって主……
今、ここで踏んばらないと
「今、わたしたちの世代がここで踏んばらないと。十年後を見据えて。伝道のために」。教会の伝道状況に危機感を覚えながら、なお、濱田さんは喜びをもって語る。伝道するのは自分たちの受けた恵みへの当然の応答である、と考えている。
ここ数年の間に、教会では若い世代も含め十名近くの受洗者が続いている。濱田さんの家族にも受洗者が与えられ、子どもたちへの信仰継承も成った。それだけではなく子どもたちの夫や妻も洗礼に導かれた。親である自分たち夫婦が努力したことではなく全く恵みとして与えられたこと、と語る。このような恵みを無償で与えられたからこそ、なおのこと伝道への責任と、自ら負うべき労苦に気付かされた、と言う。
教会内に久しく無かった伝道委員会が昨年立上げられ委員長に就任した。確かに、少子化、高齢化、過疎化、地域の習俗、地元に若者が働く場は少なく現状は厳しい。しかし、今ここに……
日本キリスト教協議会(NCC)では中国委員会を中心に、第3回中国基督教両会訪日団、TSPM議長の Ji Jianhong(季剑虹)議長を団長として総計十名を、二〇〇七年四月十九日(木)から二六日(木)の八日間にわたり、東京地域と関西地域にお迎えし、様々な催しを通して日本のキリスト教界との交流の時を持った。今回の訪日団は一九八四年と一九九九年の訪日団についで八年ぶりとなる。また二〇〇四年の第三回NCC訪中団の答礼としては三年目にあたった。
今回の中国基督教両会訪日団の特徴は、CCC議長ではなく、TSPM議長が団長となり、そのメンバーも四〇歳台の方々が殆どで中国各地からのCCC及びTSPMの代表者であった。団長の Ji 氏は今年で引退と聞いているので、指導者世代交代の引継ぎになっていたと思う。
NCCと中国基督教両会とは二四年間に渡り信頼関係を築いて来たので、何よりもこの訪問は唯一の両国……
日本に暮らして
アルジェッツ・メリット
(米国合同教会宣教師)
アイオワ州立大学院を英語学専攻で卒業した一九七七年、私の人生は大きく変わった。アメリカ企業の技術ライターになろうと計画し、日本のことなど夢にも思っていなかった。就職活動中に大学の就職課掲示板に目が止まった。「英語教師求む・日本で二、三年間(UCBWM)」とだけあった。独身で、UCCの教会員であり、学位を用いてもっと世界と神の計画を知るのはいいことだと心を決めた。
私は日本についての知識がほとんど無かったためよい決断をしたのか迷うこともあった。讃美歌「Morning Has Broken」(54年版讃美歌四四四番)は私のお気に入りだった。シカゴのオヘア空港から飛行機に乗ったとき、実はまだ自分の決断に迷っていた。ヘッドフォンを着けた途端、流れてきた曲がまさにこの「Morning Has Broken」であった。その瞬間……
四六二八号三面東中国教区総会報告欄、常置委員氏名「卜部泰之氏」を「卜部康之氏」にお詫びして訂正いたします。
沖山 馨氏(伊豆長岡教会牧師)
四月十九日、逝去。六〇歳。東京都に生まれる。一九九〇年東京神学大学大学院終了後、伊豆長岡教会牧師を務めた。遺族は母のちよさん。