教区総会や常議員会はじめ教団のいろいろな会合で耳にする言葉の一つに「多様性」がある。
合同教会たる教団としてキーワードの「多様性」があるのは当然といえば当然だろう。
しかし、よく考えてみよう。この言葉は「なんでもあり」の同義語ではない。多様性とは信仰的一致の中から生ずる恵みの果実なのだ。
「信仰は一つ、証しは多様」という言葉こそ教団の合言葉だ。信仰告白においては一致している。そして証しはまさに多様で「いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです」(フィリピ3章16節)となるのであろう。
しかし、ややもすれば「信仰は多様、証しは一つ」になりかねない。復活を信じなくてもいい、でも「キリスト者ならこの政治社会的課題に反対すべきだ」ときめつける。かくして画一化がおこる。
一致と画一化と区別せねばならぬように、多様性と分裂の相違にも注意せねばならぬのではないか。
多様性……
餓え渇きに道を示され
大学時代の恩師は、後にA級戦犯となった大川周明だった。愛国学生連盟に属し、日曜はビラ巻きに参加した。繰り上げ卒業で軍に入り、アッツ島に配属された。昭和二〇年。ソ連参戦により、北海道稚内へ赴き、そこで終戦を迎えた。
敗戦から立ち直るには経済の発展が不可欠との思いから、小倉の炭坑に向かった。労働組合の運動にも触れたが、「どこか違う」との思いをぬぐえなかった。隣の炭坑で婦人部長をしていたトミ子夫人と出会ったのも、この時期である。
炭坑をやめた後、技術屋として博多に移住。上司がキリスト者であったことから、キリスト教に触れ、昭和二三年、夫人と共に受洗した。炭坑伝道の志を与えられ、直方(のうがた)福音ルーテル教会の牧師館で生活しながら、伝道所設立のために働いた。子供が自由学園に入学し、羽仁もと子氏の考え方に触れた。一九八二年、それらの経験の結実として、八丈島に「希望の村……
二〇〇七年六月二六日から二七日にかけて教団会議室で「隠退教師を支える運動・全教区推進委員会」を開催した。出席者は各教区及び東京各支区の推進委員。事務担当者の合計二八名。陪席者として教団総幹事職務代行・愛澤豊重、年金局理事長・髙橋豊、同理事・池田浩二、同業務室長・櫻井淳子の四氏を迎えた。
開会礼拝では愛澤総幹事職務代行より「聖霊によって生かされる」(ローマ7章4~6)と題する説教をいただいた。多田信一委員長・愛澤総幹事職務代行の挨拶の後、四月に行った第35総会期第一回推進委員会の報告。二〇〇六年度の事業報告・決算報告・二〇〇七年度の計画額及び四月~五月の現状報告があった。そして「隠退教師を支える運動・私たちのビジョン」(これは隠退教師を支える運動の基本理念として持っているもの)を全員で朗読。
それから各教区(東京各支区)の推進状況について委員全員よる活動報告があった。同じ目標に向って推進……
開かれた教会として
羽咋教会牧師 内城 恵
羽咋教会の関連施設である「羽咋白百合幼稚園」園舎移転に伴い、旧園舎を学童保育施設として用いるよう市より委託され、二〇〇三年七月から学校法人 羽咋白百合学院により「ゆりっこ児童クラブ」が開所されました。対象児童は小学校一年生から六年生。しかし多くの児童は低学年の子ども達です。毎日賑やかに、四つの小学校から約六〇名の児童が、放課後の時間にこの場へ帰ってきます。長年、幼稚園園舎を間借りして礼拝を守っている私達の教会は、幼稚園こそが「伝道の場」であると信じ、そのためにいつでも祈り、支えながら歩んでまいりました。今では幼稚園と共に小学生の子ども達が、二〇〇六年度から再開した「教会学校」へと導かれることを切に祈っています。
児童クラブでは礼拝は行われませんが、毎日のおやつを食べる時、夏休みなどに給食を食べる時、感謝のお祈りを捧げます。「神様。美……
鈴木平一氏(只見伝道所主任担任教師)
六月十八日、逝去。七五歳。福島県に生まれる。一九五四年農村伝道神学校卒業後、越谷教会に赴任。その後五五年から只見伝道所を牧会した。遺族は子の恵さん。
杢尾義範氏(無任所教師)
七月十四日、逝去。七一歳。兵庫県に生まれる。一九六〇年関西聖書神学校卒業。六六年から山手教会担任教師を務め、六九年から九〇年まで信州教会を牧会した。遺族は妻の静子さん。
二〇〇六年度第三回教区活動連帯金配分検討委員会が、七月十日~十一日に教団会議室で開催された。
二月に開催された前回委員会において、二〇〇八年度の「配分額」計算方法に全教会の現住陪餐会員の平均以下の教会をサポートするファクターを加えることを確認した。今回の委員会はその方法で試算したものが現状とどのように符合するかを確認し、九月に開催予定である教区活動連帯金配分協議会に提案するものを最終的にまとめるためのものである。
検討の結果、教会員一人当たりの負担金負担額を平均化することが、この制度の理念と一致するとの認識において、教区活動に用いられる負担金負担率を現在の経常収入の段階的サポートに加算する方法を採用することを決定した。しかし、このような制度の理念を反映する計算方法が加えられたものの、現状の配分金とでは金額的開きが生じる教区も起こることも事実である。このことに対しては、拠出、受入れとも「……
第35総会期第二回信仰職制委員会は、六月二八日に教団会議室で行われた。辞任した委員の補充として山口隆康委員(東京神学大学)が加わった。
今回も諮問が寄せられていないことから、左記の前期委員会からの申し送り事項について検討した。
一、教団教会暦行事についての問い合わせの件(出版局より)
教団としての教会暦の決定については、現在その主体が出版局聖書日課編集委員会となっている。かつて存在した「日本基督教団聖書日課研究委員会」から「日本基督教団出版局聖書日課委員会」への推移と継承に関する資料を調べる必要があることを確認した。
二、教規の検討点に関する 件
いくつかの整備すべき点の内、特に次の二点について協議した。
①「教規施行細則」第八条の二「教規第一二八条⑤にいう無任所教師」は、「一二八条④」の誤りであろう。度重なる教規変更の過程の中で生じた単純なミスと推測するが確認を行う。
②「……
六月二五日、教団会議室に於いて第一回障害者差別問題小委員会開催された。
委員会組織として、委員長が篠浦千史であることを確認し、書記に加藤幹夫を選出した。
主な議事の第一は、委員会の名称変更について。このために今後の委員会の取り組みを協議し、教会が表面的な差別問題に留まらず、障がいを持つ苦しみの根底にある心や魂の配慮を豊かにできるように願い、すべての者がイエス・キリストを主とあがめる教会になることを望みつつ、この委員会の働きを担いたいことを確認した。そこで、委員会の名称を「障がい」そのものを考える委員会にふさわしいものにしたいことが話し合われた。
第二は、精神障害者への取り組み。次回委員会で、加藤幹夫が発題し、これを基に協議することとした。
第三は、「かがやけともに」のレターについて。レター版はアピールが弱いのではないかという意見があり、レター版をやめて、「信徒の友」や「こころの友」……
七月五日~六日にかけて教団会議室において第35総会期第二回宣教研究所委員会が開催された。今回特筆すべきは、第一回委員会で確認した宣教研究所規定第三条を踏まえたケーススタディを行ったことであった。委員三名が発題した。
一日目には、宮本義弘委員が「教規から見た東静分区における伝道者の現実」と題して発題し、教師の役員会形成に大きな課題があることが指摘され、また、地方教会では教師が孤立しやすく、その打開策が必要であることが訴えられた。
続いて、相浦和生委員が、「宣教研究所規定第三条をめぐって。宣教の目的を考える」と題して発題し、宣教研究所の歴史を概観する中で、研究機関としての宣教研究所の成果が各個教会にどのように生かされてきたのかを問うた。また、第三条の中にある「宣教の主体たる教会」の理解に触れて、教団が全体教会の宣教として教師を生み出すことの重要さへの話し合いの糸口をつけてくれた。
二日目……
六月二五~二六日、全国から三二名の参加者を集めて統一原理問題全国連絡会が開催された。
今回は近年被害相談が急増している仏教カルト問題が取り上げられ、日蓮宗大明寺住職、日本脱カルト協会代表理事の楠山泰道師を講師に講演「仏教系カルトの諸相」が行なわれた。創価学会から分かれ「日蓮遺文原理主義」による強引な青少年伝道で問題を起こしている「顕正会」、独特なエリート主義を掲げる「親鸞会」等の仏教系カルトの成立事情、教義内容、問題点が説明され、楠山師が取り組む被害者救援組織「立正福祉会相談室」の取り組みが紹介された。仏教関係者との協力態勢の中で被害相談に対応していく手がかりが与えられた。
海洋博誘致に統一協会が絡んだ問題で四月一七~二○日韓国南端の麗水(ヨス)市で開催された「日韓統一協会問題セミナー」の報告がなされた。同地は二○一○年の万博誘致が上海市に敗れ、一二年の海洋博誘致においても現地教会の協……