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日本キリスト教団出版局よりお知らせ2!
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2025年2月号「こころの友」一面「この人を訪ねて」では、「深大寺・なるみ塾」の主宰、成見知恵さんを紹介しています。
20年あまり高校の物理教師として活躍されてきた成見さんが、学生たちと向き合う中で抱くようになった志とは……。イエスの眼差しを感じる、心あたたまるお話を伺いました。
ぜひキリスト教を伝えたい方に、伝道新聞「こころの友」をお渡しください。
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なお、出版局ではFacebookにて新刊情報などのお知らせを行っています。よろしければFacebookもごらんください✿
#なるみ塾 #深大寺 #発達支援 #こころの友 #キリスト教
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日本キリスト教団出版局よりお知らせです。
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2025年2月号「信徒の友」が刊行されました。
特集は「専従牧師がいない」。
近年、兼牧や無牧という言葉が頻繁に聞かれるようになってきました。
無牧を経験したことのない信徒にとっても、この課題、もはや他人事ではありません。
この困難に他の教会の信徒たちはいかに立ち向かっているのか、神さまはこれらのことを通してどう働かれているのか。いち信徒としての在り方を、抜本的に考え直すための特集です。
そんな今月号の特集。少しだけ内容を覗いてみましょう!
「牧師がいない教会のある役員さん」(30-31頁)
専従牧師のいない教会が、どのような方の奉仕に支えられているのか……。そのリアルを取材。
「日本基督教団 いまとこれから」(32-34頁)
データから現状を分析し将来を見据え、これからの教会に何が求められるのかを考えます。
コラム「つながりと自立を考えた2教会」(35頁)
2つの証言から、教会の置かれた場所によって、異なる課題があることを学びます。
「大牧者がいてくださる」(36-38頁)
3つの島の教会を牧する福田哲牧師による、励ましのメッセージ。
「私たちの得た恵み」(39-41頁)
専従牧師が不在な中でこそ、前進し続ける教会の恵みの証し。
この他に連載中の「世界の教会は今」は、アメリカなどにおける牧師不足に対する3つの方策を紹介。
「教会生活 きほんのき」は、各個教会と全体教会の関係性とそれぞれの役割を改めて概観します。
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続きは、ぜひ実際にお手にとってお読みください。
#教会 #牧師 #雑誌 #信徒の友
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祈るほかない現実を前にして
――楽に祈るな、汗を流して祈れ――
41「目を覚ませ。そして祈れ。誘惑に入らないために。霊は熱望しても、肉は弱い」。
(マタイによる福音書26章41節[私訳])
冒頭に引用したマタイ福音書26章41節は、有名な「ゲツセマネの祈り」(マタイ26章36−46節)の場面において、イエスが弟子たちに向かって発した言葉の一節です。「ゲツセマネの祈り」は自らの死が避けられないことを悟ったイエスが神に祈りを捧げる場面を描いています。マタイ福音書によれば、イエスはガリラヤという周縁からユダヤのエルサレムという中央に弟子たちを伴って乗り込み、群衆からの人気を後ろ盾にして、ユダヤの支配者たちと渡り合い、エルサレム神殿で一悶着起こします(マタイ21章12−17節)。しかし、この事件を境として風向きが変わります。イエスは危険因子としてユダヤ当局に命を狙われます。さらに、イエスを支持していた群衆たちや弟子たちのうちからは、イエスの言動が度を超えたものであり、社会の常識からすると、常軌を逸したものであるとして、イエスのもとを離れる人たちが現れます。
イエスは自分が孤立していくのを実感していました。あるいは、最初から最後までイエスは孤独だったのかもしれません。そのイエスを支えていたのは神でした。神に対する燃えるような信仰がイエスを支えていたのです。何があっても神は自分を守ってくれるとイエスは熱狂的と言えるほどに信じていました。しかし、そのイエスに魔の手が忍び寄り、イエスは死を覚悟せざるえない状況に追いやられます。昼間にエルサレムで活動する分には、人々の耳目を集めるイエスにユダヤ当局も手出しができませんでしたが、夜の闇に紛れて暗殺されてしまう危険が常につきまとっていたために、夜はエルサレムの城壁の外に逃れていました。
このような危機迫る状況において、イエスは死の杯を飲まねばならない苦悩に苛まれつつ、ゲツセマネの園で祈ります。そのイエスとは対照的に、イエスに伴われた側近の弟子であるペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人はイエスの不安など知る由もなく、居眠りをします。イエスは三度繰り返して祈ります。だが、三人の弟子たちは三度繰り返して居眠りをするのです。最初に引用したイエスの言葉は二度目に居眠りしていた弟子たちに発せられたものです。
続きはホームページをご覧ください→https://uccj.org/kobeya
#日本基督教団 #日本キリスト教団 #uccj #キリスト教の小部屋 #マタイによる福音書 #ゲツセマネの祈り #宗利淳一デザイン #小林昭博 #酪農学園大学
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能登半島地震から1年経ちました。
今週月曜日(1月6日)から輪島教会の解体作業が始まりました。
初日は建物内に残された書棚、冷蔵庫、コピー機等の搬出撤去と、内壁剥がしが行われました。
引き続き、作業の安全が守られますようにお祈りください。
#能登半島 #能登半島地震 #解体 #教会 #日本基督教団
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日本キリスト教団出版局から石丸昌彦著「不安と孤独の処方箋ー病の教訓、聖書のヒント」が販売中です。石丸氏は放送大学で精神医学を主に教えていらっしゃいます。誰もが抱える不安や孤独に対して、専門的知識だけでなく、聖書からヒントみつける一冊です。
https://x.gd/s7JWw
#心理学 #精神医学 #臨床心理 #聖書 #メンタルヘルス #石丸昌彦 #放送大学 #キリスト教
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YouTube更新しました。
毎月お届けしている「今月のメッセージ」
2025年1月は『背負われ、刻まれて』のタイトルで、大阪城北教会の東島美穂先生からのメッセージをお届けしています。
https://uccj.org/message/50334.html
https://youtu.be/HvX0G1ixiXA
YouTubeはストーリーもしくはプロフィールのリンクツリーからどうぞ。
#大阪城北教会 #日本基督教団 #日本キリスト教団 #基督教 #キリスト教 #uccj #イエス #キリスト #メッセージ #動画 #説教 #イザヤ書
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毎月第3主日は日本伝道の推進を祈る日です。
全国の教会・伝道所を覚えて共に祈りましょう。
1. 祈祷運動 -共に祈ろう-
主の伝道命令に従い、500年を経た宗教改革の信仰を受け継ぎ、罪の悔い改めと救いの感謝の祈りをささげるために「日本伝道の推進を祈る日」(毎月第3主日)を設けて共に祈りを合わせる。
2. 信徒運動 -共に伝えよう-
礼拝において聖霊の力を受け、聖書を読み、熱心に祈り、喜びをもって主の恵みを証しし、キリストの十字架による罪のゆるしの福音を宣べ伝える信徒として共に成長することを目指す。
3. 献金運動 -共に献げよう-
日本の各地にあって、日夜伝道のために苦闘している教会・伝道所を具体的に覚えて祈り、その働きを支えるために共に献げることによって、信徒および教師における献身の志が高められ、献身者を生み出す教会となるように献金運動を展開する。
ご献金はこちら↓から
振替:00140-7-293436
銀行:ゆうちょ銀行
種目:当座
店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号:0293436
名義:日本基督教団全国伝道推進献金
#日本基督教団 #日本キリスト教団 #uccj #日本伝道推進を祈る日
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■冬期休業のお知らせ
日本基督教団事務局、出版局、部落解放センター、年金局は下記の通り、冬期休業を頂戴します。
12月24〜25日(火〜水)
2024年12月28日(土)〜2025年1月5日(日)
2025年1月6日から通常業務開始。
※土日祝は通常休業日
年内のご連絡は12月27日17時までにお願いいたします。
#日本基督教団 #日本キリスト教団 #uccj #冬期休業
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祈りのしおりはホームページからダウンロードできます。
https://uccj.org/news/50262.html
日本基督教団 各教区 諸教会・伝道所の皆さま
主の御名を賛美します。 いつも能登半島地震被災教会と関連施設をお覚え下さり、感謝申し上げます。
中部教区では「能登半島地震 1 年を覚えて」地震発生1月 1 日 16 時 10 分に黙祷し、祈りを合わせるために冊子「祈りのしおり」を作成しました。
これをもとに中部教区主催で、1 月 1 日(水)16:10 発災に合わせて 40 分ほど、Zoom によるオンライン祈祷会を行うことを決議しました。このオンライン祈祷会は中部教区諸教会・伝道所に呼びかけます。
そこで、全国の各教区、諸教会・伝道所の皆さまにも、この時に祈りを合わせていただければと 思い、この「祈りのしおり」を配布、配信させていただきます。Zoom ミーティングの参加者数制限もありますので、今回はライブでは中部教区内にいたしますが、ご一緒に祈りに覚えて下されば幸いです。
まだまだ再建には時がかかりますが、今後とも、お祈りにお覚え下さり、ご支援をいただきたくお願い申し上げます。
2024年12月9日 中部教区総会議長 加藤幹夫
#日本基督教団 #日本キリスト教団 #キリスト教 #uccj #中部教区 #能登半島 #能登半島地震 #祈り #祈りのしおり
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■3.21.を覚えて3.8.にひろばで歌おう・踊ろう 出演者大募集
日時:2025年3月8日(土)午後3〜5時
出演エントリー締切:12月末
お問い合わせ先 s.watanabe⭐︎cmim.jp
※⭐︎を@にしてください
3月21日は国際人種差別撤廃デーです。
マイノリティ宣教センターではこの日に集会を重ねてきました。今年度2025年3月は、NO!RACISMひろばとして、できるだけ多くの人々が参加し、この日を弔いと祈りの日とし、NO!RACISMを合言葉に繋がりあう、繋がり直しのプログラムを考えました。
東京にる聖アンデレ教会(日本聖公会)が会場を提供くださいました。
それぞれの団体、グループから出演者として、歌や演奏などのパフォーマンスで、反差別、平和、人権の表現活動をしてください。たくさんの人々が、人種差別撤廃のために声を出し、動き、祈っていることを世界に発信していきましょう。
参加者には参加記念品があります。
また動画に撮ったパフォーマンスで参加することもできます。
まずはエントリーしてから演目を決めていただいてもOKです。
詳細は画像をご確認ください。
#noracism #人権 #平和 #国際人種差別撤廃デー
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2024年 クリスマスおめでとうございます
神さまの愛する世に在って、
誰からも理解されず愛されていないと感じる人に
すべての人と共にいる救い主の誕生が、
喜びの知らせとして届きますように。
日本基督教団
総幹事 網中彰子
#日本基督教団 #日本キリスト教団 #uccj #クリスマス #キリスト教 #キリスト #Christmas
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日本基督教団と協約を結ぶ米国長老教会(PC(USA))のアジア担当責任者、Hery Ramambasoa氏が教団事務局を来訪されました✨
これから2週間、日本の様々な場所を訪問予定です。Ramambasoa氏はマダガスカル共和国の出身です。
#PCUSA #presbyterianchurch #uccj #日本基督教団 #church #マダガスカル #madagascar
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誰かが平伏させられることのない世界を願って
――2024年のクリスマスに寄せて――
1さて、イエスがヘロデ王の日々にユダヤのベツレヘムで生まれたとき、見よ、東方からの占星術の神官たちがエルサレムに到着し、2言った、「お生まれになったユダヤ人たちの王はどこにおられるのですか。わたしたちは東方でその星を見たので、その方に平伏してキスするためにやって来たのです」。
(マタイによる福音書2章1−2節[私訳])
マタイ福音書2章1−2節は東方の占星術の神官たち――いわゆる東方の博士たち――の来訪の物語の冒頭を飾るテクストです。クリスマス物語を解釈するうえでの最近の潮流のひとつはポストコロニアル批評による読解です。ポストコロニアル批評とは、西洋の植民地主義と帝国主義を批判的に省察する学問的営みであり、同様の視点から古代ローマ帝国支配下に著された新約聖書テクストの読解が試みられています。特に、ルカ降誕物語の読解においてこの潮流は顕著であり、初代ローマ皇帝アウグストゥスとイエスを対比しつつ、イエスがアウグストゥスを凌駕する真の「神の子/神の息子」ないし「救世主」であることをルカの降誕物語は伝えているとの理解が呈されています。
それと同様に、マタイ降誕物語にもポストコロニアル批評が適用され、ローマ帝国支配に対抗する物語としてイエスの誕生が描かれているとの理解が提唱されています。このような視点からこのテクストを読解すると、ヘロデ王がローマ皇帝からユダヤの王を名乗ることを許されていることを考えても、東方の占星術の神官たちがイエスをヘロデ王に替わるユダヤの王と呼んでいることもまた、ローマ帝国に対抗する物語としてマタイ降誕物語を再読することが可能となります。
また、占星術の神官たちが東方で見た星に導かれるように西方に位置するエルサレムを訪れる物語の背後に、ローマ帝国の礎を築いたユリウス・カエサルとその養子でもある初代ローマ皇帝アウグストゥスの双方が属するユリウス家に対抗する意味が込められているとも指摘されています。すなわち、ローマの叙事詩が伝える神話によれば、ユリウス家はローマの最高神ユピテルの娘である女神ウェヌスを祖とする神の子孫であり、東方に位置するトロイアから西方のイタリア半島まで女神ウェヌスの星(金星)に導かれたのがユリウス家を中心とするローマ人であるというのです(ウェルギリウス『アエネーイス』1:286−290)。したがって、マタイ2章1−2節において占星術の神官たちが東方の星に導かれてその西方に位置するエルサレムに現れるという物語の背後には、ユリウス家に連なるローマ皇帝に替わる新たな世界の王としてイエスが誕生することが暗示されているというのです(ジョン・D・クロッサン/マーカス・J・ボーグ)。
わたし自身はポストコロニアル批評による新約聖書の読解を肯定的に受け止めてはいるのですが、この潮流に半分は乗っかりつつも、半分は乗ることができずにいます。それはユダヤの王であれ、あるいはローマ皇帝であれ、それらに替わる新たな王としてのイエスという理解に否定的にならざるをえないからです。なぜなら、ローマ皇帝からイエスへという流れでは、支配者がローマ皇帝からイエスに置き換わっただけであり、その論理構造は同じだからです。それはこのテクストにおいて占星術の神官たちがイエスに示している「平伏してキスする」という振る舞いからも感じられます。…続
全文はホームページでご覧ください。
#日本基督教団 #日本キリスト教団 #uccj #クリスマス #マタイによる福音書 #ポストコロニアル #Christmas #ローマ帝国 #キリスト教#宗利淳一 #宗利淳一デザイン
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YouTube更新しました。
毎月お届けしている「今月のメッセージ」
2024年12月は『神に栄光、地には平和あれ』のタイトルで、在日大韓基督教会 新居浜グレース教会の鄭守煥先生からのメッセージをお届けしています。
https://uccj.org/message/50139.html
https://youtu.be/0nC99Qo4Hcc
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#在日大韓基督教会 #新居浜グレース教会 #日本基督教団 #日本キリスト教団 #基督教 #キリスト教 #uccj #イエス #キリスト #メッセージ #動画 #説教 #ルカによる福音書
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教団ホームページにて、PCUSA第226回総会で採択された「キリスト教シオニズムへの加担の告白について」を掲載いたしました。
詳しくはuccj.orgをご覧ください。
#日本基督教団 #日本キリスト教団 #基督教 #キリスト教 #uccj #antizionism #シオニズム #反シオニズム #クリスチャン #church #pcusa #アメリカ合衆国長老教会
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分断という名の二項対立図式を脱構築する未来を求めて
――コリント教会の分派争いに寄せて――
4というのも、一方である者は「わたしはパウロ系の者だ」と言い、他方で別の者は「わたしはアポロ系の者だ」などと言っているのだから、あなたたちは人間で〔しかないで〕はないか。5では、アポロとは何なのか。また、パウロとは何なのか。この者たちを通して、あなたたちが信じるに至った奉仕者である〔にすぎない〕。6しかも、それぞれに主が与えてくださった仕方に応じている〔奉仕者でしかない〕のである。7わたしは植えた〔だけであり〕、アポロは水やりをした〔にすぎない〕が、〔ほかならぬ〕神が成長さてくださったのである。したがって、植える者も水やりをする者も何ら重要ではなく、成長させてくださる神だけが重要である。8もっとも、植える者と水やりをする者はひとつではあるが、それぞれが自らの報酬を自らの労苦に応じて受け取ることになるであろう。9というのも、わたしたちは神の同労者だからであり、あなたたちは神の畑、神の建物だからである。
(コリントの信徒への手紙一 3章4−9節[私訳])
Ⅰコリント書は教会内の格差や意見の違いなどを解決するためにパウロが書いた手紙です。引用したⅠコリント書3章4−9節からもコリント教会内部に分派争いがあったことが分かります。この部分のギリシャ語は言葉足らずであり、翻訳するうえでは少々厄介ですが、パウロが言わんとする意味は明瞭です。自分たちは神の同労者であり、その働きには神によって与えられた違いもありはするが、神のもとでひとつの目標に向かっているのだから、アポロ派やパウロ派などの取るに足りないことに拘ることを止めて、神に属する者として、目標に向かって歩もうとの呼びかけです。
キリスト教の小部屋でこのような建徳的な聖書テクストが取り上げられるのは稀ですが、この背後には分断され続けている世界に対する担当者の逼迫した危機感があり、それは取りも直さず、分断によって命が奪われ続けている世界の惨状に対する深い悲しみと怒りに溢れた思いでもあります。このような分断の潮流は、世界の各地で続く戦争の現実によって最も鮮明に映し出されていますが、日本やアメリカの選挙結果からもひしひしと伝わってきます。そして、時代を先取りするかのように、分断の潮流は日本基督教団の歴史に絶え間なく押し寄せてきました。
2024年10月29〜31日に第43回日本基督教団総会が開催されました。総会は二年に一度開催される教団の最高の意思決定機関ですが、近しい人から聞いたところでは、スタンスの違いを超えることのできない平行線を辿る議論が続き、何の前進もない徒労感の漂う日々であったとのことです。もちろん、これはその人の個人的な感想であり、むろんその場にいた人たちは真剣に議論をし、自らの思いの丈を表白したのだとは思います。しかし、その人が言うには、このような教団内部のスタンスの違いは、端から眺めると、同じにしか見えないのではないかというのです。それをわたしなりに理解すれば、現在の日本の政党政治において、大局的には保守とリベラルの二項対立図式などはもはやなく、同工異曲を奏でているようにしか感じられないのと同じように、教団内部の議論も異曲同工にしか聴こえなくなってしまっているということです。
続きはこちらから
https://uccj.org/kobeya
#日本基督教団 #日本キリスト教団 #uccj #キリスト教の小部屋 #ガザ #ルカによる福音書 #キリスト
#宗利淳一 #宗利淳一デザイン
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YouTube更新しました。
毎月お届けしている「今月のメッセージ」
2024年11月は『沈む者に伸びる御手』のタイトルで、神奈川教会の兼清啓司先生からのメッセージをお届けしています。
YouTubeはストーリーもしくはプロフィールのリンクツリーからどうぞ。
https://youtu.be/LcHAGbb_H90?si=1Btf6rb8cshSOOky
https://uccj.org/message/49970.html
#日本基督教団 #日本キリスト教団 #基督教 #キリスト教 #uccj #イエス #キリスト #メッセージ #動画 #説教 #マタイによる福音書
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10月22日〜25日、能登半島地震ボランティアを派遣しました。
今回は兵庫教区、奥羽教区からそれぞれ
2名の参加者が与えられ
自然災害支援のご経験のある先生もおられたことから作業も順調に進み、また教区をこえた祈りによるよい交流の時となりました。
日本基督教団は引き続きボランティアを募集しています。詳細は教団ホームページよりご覧ください📢
#日本基督教団 #日本キリスト教団 #uccj #能登半島地震 #ボランティア #輪島教会 #能登 #能登半島 #能登半島ボランティア
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10/18、台湾基督長老教会(PCT)議長、総幹事とエキュメニカル幹事が教団事務局をご訪問されました。
両教会の喜びや課題を共有する時となりました。
#日本基督教団 #教会 #uccj #台湾基督長老教会 #PCT
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困窮するひとりの命を
――古の預言者はガザに遣わされる――
24 すると、彼〔=イエス〕は言った、「アーメン、わたしはあなたたちに 言う、自分の故郷で受け入れられる預言者はひとりもいない 25 そこで、ま ことにわたしはあなたたちに言う、多くのやもめたちがエリヤの日々にイ スラエルにいた。そのとき、天が 3 年 6 ヶ月のあいだ閉じられ、大飢饉が 全地に起こった。26 すると、彼女らの誰のもとにもエリヤは遣わされるこ とはなく、シドン地方のサレプタのひとりのやもめの女性のもとにだけ 〔遣わされた〕。27 また、多くの〔律法に規定された〕皮膚病の者たちが預 言者エリシャの頃にイスラエルにいた。すると、彼らの誰も清められるこ とはなく、シリア人ナアマンだけが〔清められた〕」。28 すると、これらの ことを聞いていた会堂内の全ての者たちは怒りに満たされ、29 そして立ち 上がって、彼〔=イエス〕を町の外に追い出し、自分たちの町が建つ丘陵 の崖に彼を連れて行き、彼を突き落とそうとした。30 だが、彼自身は彼ら のあいだをすり抜けて、歩いて行った。
(ルカによる福音書 4 章 24−30 節[私訳])
引用したルカ福音書4章24−30節は、イエスがナザレの会堂で公生涯のデビューを飾る物語(4章16−30節)を締め括る場面です。ここに登場するイエスはひときわ煽動的です。いくら故郷のナザレとはいえ、イスラエルにおいて預言者が受け入れられない運命にあるのは昔からの定めであると言うだけでも、古の預言者を大切にする人々は怒り心頭に発しますが、自分を預言者になぞらえ、自分が受け入れられないのも預言者としての宿命であると宣言するイエスに怒髪天を衝くといった雰囲気が伝わってきます。そして、ルカが描くイエスはそこからさらに人々を煽ります。預言者エリヤとエリシャがイスラエルの地にではなく、異邦の地に遣わされた聖書(旧約聖書)の故事をわざわざ引き合いに出し、イスラエルの神が救済するのは、イスラエルの民ではなく、異邦の民なのだと断言しているからです。しかも、イエスはそれをユダヤ教の会堂で言っているのですから、詰め寄られるのも当たり前ですし、崖から突き落とされそうになるほどに、同郷の人たちの気持ちを逆撫でしているのです。
この場面を一読すると、公生涯の最初から全開で飛ばすイエスに驚きつつも、どこか飄々とした印象も受けます。取り囲まれて崖から突き落とされそうになっても、人々の間をすり抜けて、――走り去ったのではなく――歩いてどこかに行ってしまったのですから。イエスはどこだ、どこだと探している合間に、ゆっくりと歩いてイエスがいなくなってしまう描写はコントの一場面でもあるかのようです。しかし、イエスはそれから二度と故郷のナザレに戻ることはありませんでした。
この物語においてイエスとナザレの人たちを隔てたのは、地縁や民族の枠内で物事を完結させる故郷の人たちとそのような枠組みに囚われることのないイエスとの考え方や生き方の違いだったのですが、このような狭隘な民族主義が排外主義につながっていくことを批判するイエスの姿勢は、自国ファーストに突き進む現代世界をも射抜くものだと言えます(嶺重淑)。さらに、このテクストにおいてイエスは預言者エリヤとエリシャが異邦の困窮するひとりにだけ遣わされたことをとりわけ強調しています。このようにイエスが示す預言者の姿は、イスラエルによるガザの危機がレバノンやイランに広がることによって、世界の関心が原油問題、中東戦争、そして第三次世界大戦の危機に移り、ガザで今も続く惨劇が後ろに追いやられてしまう事態に否を突きつけているように思えるのです。
このようなガザの惨状とその状況を生み出し温存し続けてきたのは帝国主義と植民地主義という名のデモーニッシュな力であり、それはポストコロニアルと言われる状況においても、イスラエルによるガザの惨劇が象徴するように、そのデモーニッシュな相貌を露わにして猛り狂っています。確かに、イスラエルとレバノン、そしてイスラエルとイランの戦争を止めなくてはなりませんが、中東の危機を回避するためにも、まずイスラエルとガザの停戦が最優先であることは確かですし、それこそが世界の危機という名のもとに忘れられているガザの困窮するひとりの命を救うことにつながるからです。古の預言者が現代に甦るとすれば、その預言者はガザに遣わされるのではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
#日本基督教団 #日本キリスト教団 #uccj #キリスト教の小部屋 #ガザ #ルカによる福音書 #キリスト
#宗利淳一 #宗利淳一デザイン