佐々木美知夫常議員の発題は、「財政(経済状況)から見た日本基督教団の教会の現状と課題」。統計に如実に表れた数字から、献金額と現住陪餐会員の減少、高齢化のもと信徒の経済負担が限界に近づいていることなど、教団が抱えている問題点を鋭く指摘した。
「教区総会議案・報告書に現れた各教区の財政課題」では、互助制度と小教会援助が、全ての教区で課題となっていること、一六教区の合計は二億円で、教団負担金の70%、二~三教区分の経常会計に匹敵すること、更にこの会計を支える信徒の過半数が六〇才以上であること、更に教区諸会計に占める教区間互助の割合が増大していることを指摘、教区活動の縮小、教師を経済的に支えられない小規模教会が存続出来ないといったことが現実の課題となっていると述べた。
厳しい現状を描き出した後、「宣教委員会からの要望は『危機感の共有』であったが、このまま終わったのでは夢も希望もないので」と、将……
▼「今、私たちの教会は過渡期にあり、この一年二年をいかに過ごすかに五〇年後、百年後の未来がかかっています」。そんな話を教会総会で、昨年も一昨年もした。会員の高齢化、建物の老朽化、新来会者の激減、間違いなく正念場にある。▼ホームページ開設準備のために教会の沿革をまとめている所に、役員の一人が二〇年昔の『信徒の友』を持ってきた。短期間に四〇名の葬儀が行われたこと、教会創立時の会員が高齢となり、九〇才を超えた人もあるという説明文の後に、前々任牧師のこんな言葉が載っていた。「その意味では、いま大きな節目にあることは確かです。これから次の後継者を育てる、これが私たちの教会の大きな課題です」。▼多分、何時でも、何所でも、教会は節目にあり、正念場であり、危機であり、チャンスなのだろう。何時の時代にあっても、教会の一番大きな課題は、人を育てることなのだろう。▼二〇年昔の写真に、現在も礼拝を守っている人の顔……
厳しい数字にも希望を捨てずに
具体的なデータを基に展望を見出すべく
三月六~七日、阪神淡路大震災から一〇年、会堂再建なった神戸栄光教会を会場に、二〇〇五年度宣教方策会議が開催された。二年前は宣教理解の違いから主題をしぼり切れず開催できなかったので、四年ぶりの開催となった。今会議自体の評価についても見解は分かれるだろうが、一人の信徒参加者から「宣教方策会議の名にふさわしい会合であり、実のあるものだった」という感想を聞いた。とにかく、同じテーブルで、共に学び、話し合った。その意義は大きい。
・開会礼拝 「神義論を超えて」
山北宣久教団総会議長はエレミヤ書一二章一~六節による説教の冒頭に、「その歴史の半分以上が所謂紛争に費やされ『教団には宣教も方策もない』と言われる時、今回の会議の意味はそれなりに重い。教団の体力が落ちている中、体力測定し、改善・回復の契機とされたい」と辛辣と……
毎週水曜日は聖書研究・祈祷会が開かれる。夜七時半からであり、この時間に出席するのは困難な方が多い。おのずと出席者が少ない。開会五分前、連れ合いと共に開会を待っている。この時点ではまだ出席者がなかった。もしかしたら、どなたも来られないかな、ふとそんな思いがよぎる。
昔、地方の教会で牧会していたころ、やはり水曜日の集会が続けられていた。冬ともなると寒さがこたえる地方であり、いつもは四、五名の出席であるが、寒さの厳しいときは牧師夫婦二人の集会のことがある。夫婦で集会を開くとき、困るのはどのような話し言葉を使うかである。丁寧な言葉でもなく、普通の言葉でもない。気を使いながらの集会が終わるころ、決まって末の子がチョコチョコとやってくる。両親だけの集会をじっと見つめ、「今日は、お客さん、来ないねえ」と言うのであった。子どもなりに出席者を期待しているのである。「今日は寒いし、御用のある方もあるからね」……
骨太信仰者ここにあり
記章職人と言って何の仕事か解る人は少ないかもしれない。バッジ職人の方がよく解るだろうか。記章の蝋付け職人だった父の縁で、記章屋で修行することになった。生まれた時からバッジとの付き合いがあった。
教会との出会いも小さい時から。自宅の前が浅草教会だった。教会付属小百合幼稚園に入園。そのまま日曜学校の生徒として成長。中学生時代「日曜学校」ではなく「教会」を意識するようになった。自分の罪を誰が救うことができるのか。谷底へ落ちるような、そんな状態から自分を救ってくれるのはイエス様しかいない。そんな気持ちで洗礼を受けた。しかし、赦して頂いても次から次へと罪を犯す自分がいた。とても苦しかった。自分が罪人であると気付くのも洗礼の意味なのだと納得するまでにずいぶん時間が掛かったという。しかし、その間教会との関わりは密接になっていった。一九六六年、夫人の邦子さんと結婚。クリスチャ……
★日本基督教団年鑑二〇〇六年版の追録を発行いたしました。
教団年鑑二〇〇六年版において、ミスが多少あったことについてお詫び申し上げます。そこで当年鑑の正誤表を内容とする追録を、年鑑をご購入された方々に差し上げます。年鑑を購入された書店、もしくは教団事務局総務部年鑑係(☎03-3202-0541)に直接お申し込みください。
なお、統計一覧の一部訂正が追録から漏れてしまいましたので、ここに記します。
▼神奈川教区経常収入計=一、〇七五、九九九。同平均=一〇、一五一。
▼全国経常収入計=一二、九〇二、〇〇八。同平均=七、八三四。
以前より申請が出ていた全国教会幼稚園連絡会(全教幼)の自主活動団体認定が、一一月七-八日開催の宣教委員会で承認された。前総会期からの継続審議であったが、慎重な審議の末、今日に至った。
また、全教幼は一一月一四-一五日に教区連絡会と総会とを行ったが、その席上に岩﨑隆宣教委員長が訪れ、直接、認定を報告し、認定証を授与した。
自主活動団体とは、教規四十一条④に規定されている教団の機関であり、宣教委員会の目的を側面から支える団体とされている。全国教会婦人会連合が既に自主活動団体として活動している。
全教幼は教団年鑑に出ている約四百の教会関係幼稚園の連絡体であり、教会関係幼稚園が各個教会の宣教のわざとして存立しているという意味においても、教団の自主活動団体として位置づけられるべきものであった。今後、教団のなかで明確な位置を持つことにより、より宣教の課題としての幼稚園のわざに仕えるものと期待され……
今、地方教会の時代
長門教会牧師 稲垣 裕一
今春、山陰地方と東京を走り続けていた、特急寝台列車が廃止された。私の街でも、昨年、唯一の特急列車が廃止になっている。
今、地方の過疎化が進んでいる。半世紀後に、教団の教会は地方にどれだけの数が残っているだろうか。地方教会の牧師たちは、緊張感をもちながら伝道している。
「長門教会に行かないか」というお誘いを受けたのは八年前だった。いくつかの候補があり、都会の教会も含まれていた。その中で、山陰の小さな街の教会に赴任することにはためらいがあった。
条件は、伝道することと当時の半分の謝儀。退職金はない。教会員は一八人。平均年齢は六〇代で給与所得者は二名である。伝道者は遣わされた地へ行くが、家族に苦労をかけることは目に見える。
「大丈夫。飢え死にはしないから」私の授洗者である大澤務牧師が開拓伝道に赴く時に、そう励まされたと聞く。
神……
清原平ハリス氏(隠退教師)
二月六日、逝去。八五歳。米国、ロサンゼルスに生まれる。一九五一年日本基督教神学専門学校卒業後、五日市伝道所に赴任。七一年から八六年まで昭島教会担任教師を務め、隠退した。遺族は妻の和子さん。
美伝道五〇年から問われること
西畑 望
今年九州教区は奄美伝道五〇年を憶えていくつかのプログラムを計画している。一九五三年クリスマスの日に奄美諸島の施政権が、アメリカから返還されたのを受けて、教団「奄美特別開拓伝道」が開始された。一九五六年四月のことである。もちろんこれ以前にも奄美には教会があった。アメリカ軍占領時期においても他教派などは沖縄の教会と連携を取りながら奄美の伝道を継続していた。しかし教団は政治のシステムに追随する形で伝道を開始したのである。
多くの苦悩を抱えながら教会形成を始めた奄美の教会の声を断ち切るかのように、教団の伝道計画は一〇年をもって終了した。教団の人材と資金を主流とした一方的参与と資金のパイプ役に徹する九州教区の姿が浮かび上がる。
《私共は、大変熱心に、気負うて「ひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩いて来たのである」(マタイ二三・一五)が、私……