英語礼拝を支える
月に一回、第二主日の午後二時から、柏教会の国際礼拝(英語礼拝)が始まる。三〇人ていど、多いときで四〇人近くが集まるが、周辺地域に特に外国人が多い訳でもないので、今は中国からの留学生、アフリカからやって来た夫婦など外国人は少数で大半は日本人である。従って説教には通訳がつく。
柏教会で英語礼拝が開始されたのは一九九〇年。その四年前からバイブルクラスを始めたが、開始時から中心になって来たのが小菅さんだった。
「ハーグ(オランダ)、その後の米国留学時代に、教会に繋がっていることの喜びを感じた。教会が生活の中心にあるのを知って、日本に来ている外国人は寂しい思いをしているだろうと感じ、そうした人に応えたいと思った。もう一つは、英語を勉強したいという若ものを誘って教会に導ければと願った」からだった。
得意の英語を活かして、最初は通訳も小菅さんがして、毎週礼拝をもっていたが、……
今期第一回の推進委員会が四月十八日(水)午前十一時から午後三時まで教団会議室において開催された。
開会礼拝では野村和正宣教部幹事から「フィリピの信徒への手紙」を通して「他人のことにも注意を」と題した説教をいただいた。
今期の組織として委員長に多田信一、実務委員に大杉弘、書記に滝川英子の各委員を選出した。
諸報告として滝川書記、黒沢事務局から、二〇〇六年度事業報告、二〇〇六年度推進状況報告、二〇〇六年度決算報告がなされ承認した。
二〇〇六年度は全国八五八教会から七、四四八万七〇〇円の献金があり、年金協力金に三、九六〇万円、謝恩金原資に二〇〇万円、すべての隠退教師とご遺族九〇九名に一人二万円のクリスマス祝金、教師退職年金制度発足以前に隠退された教師とご遺族に一人七万円、にじのいえと信愛荘に各五〇万円を支出した。
また、二〇〇六年度には、七月に京都教区両丹地区、二〇〇七年一月に西東京教……
四月十七~二○日、韓半島南端にある麗水光林(ヨスカンリン)長老教会を会場に「日・韓教会連合異端似而非対策セミナー」が開催された。昨年一月のソウルに引き続いて二回目の開催となる。
日本側からは「統一協会問題キリスト教連絡会」を構成する日本基督教団、カトリック教会、日本聖公会、日本福音ルーテル教会、日本バプテスト連盟の五教派の代表、弁護士、被害者家族の会、マスコミ関係者ら二三名、韓国側は大韓イエス教長老会異端似而非委員、麗水地区諸教会の牧師、長老執事、麗水市長、市議会議長、議員ら関係者約百二〇名の参加であった。ちょうど太田洪量元統一協会会長らの南米パラグアイでの誘拐、三二名の犠牲者を出したヴァージニア工科大の韓国人学生銃乱射事件のニュースが流れ騒然とした中での開催であった。
松島のような深いリアス式海岸と島々に囲まれ、鏡のような静かな湾を持つ麗水市は韓国でも最もクリスチャン人口の多い町であ……
横山幸夫氏(花小金井教会牧師) 三月二二日、逝去。六七歳。島根県に生まれる。一九七〇年日本聖書神学校卒業。七二年から花小金井教会の牧師を務めた。遺族は妻の利江さん。
明石春夫氏(隠退教師)
三月二三日、逝去。九二歳。東京都に生まれる。一九八四年日本聖書神学校卒業後、伊豆長岡教会に赴任。その後葉山教会を牧会し、九二年から九五年まで半原教会の牧師を務め隠退した。遺族は妻の照子さん。
新名サノ氏(隠退教師)
三月二六日、逝去。八四歳。中国に生まれる。一九四八年日本女子神学校研究科卒業後、野方町教会に赴任。その後本郷中央、武蔵境、武蔵野井口(伝・現境南)、飯能各教会を牧会し、八九年に稲城教会牧師を務め九二年隠退した。
福音宣教を共に担うために
西岡昌一郎
北海教区の教会・伝道所は全部で六四である。そのうち、十八教会・伝道所、約半数の会員が集中する札幌地区を別とすれば、残りの四六教会・伝道所は広大な北海道各地に散在している。隣の教会まで百キロ近く離れているのは珍しくないし、それ以上隔たっていることすらある。仮にある町の教会がなくなったら、数百キロにわたって「空白域」が生じることになる。小規模だからと言って、撤退するわけにはいかない。むしろ、そこは外すことも、欠くこともできない宣教の拠点として大切にされなくてはならない。
北海教区では、そういう状況の中で、相互に孤立することのないように連帯を大切にし、違いと多様さを尊重してきた。宣教理解や神学的立場の違いを言い合えば、北海道における福音宣教を共に担うことなどできなくなるからだ。これは北海道特別開拓伝道(北拓伝)の経験から学び取ってきたことだ。孤立し……
第35総会期第一回靖国・天皇制問題小委員会が、四月十六日(月)午後二時~十七日(火)午前十一時、教団会議室(キリスト教会館)において開催された。今期の委員には、西之園路子(委員長・蒲原教会)、芳澤信(真和志教会)、須賀誠二(東京愛隣教会)、沼田和也(宇和島中町教会)、横山順一(石橋教会)の五名が選任された。小委員会書記には互選により芳澤委員が選出された。
礼拝、自己紹介、書記選出に続き、これまでの小委員会活動、引き継ぎ事項について委員長より説明があり、この委員会が担う五つの課題について確認した。
1.信仰告白共同体としての日本基督教団の形成に寄与する働きを目指す。
2.1の大前提のもとに教団成立時から今日までの「教会と国家」の関係をどのように理解してきたかを検証する。
3.1・2を踏まえて「靖国・天皇制問題」を教会の課題、信徒の課題としていくために委員会として協議しながら担う。
……
主の御名を讃美いたします。
さて、3月25日(日)午前中に発生した「能登半島地震」によって、輪島教会、羽咋教会、富来伝道所、七尾教会、魚津教会に顕著な被害が出ています。余震が続き、いまだに亀裂が拡がり、二次災害の心配もあるという状況です。
これらの諸教会は、地域の方々と共に復興に取り組んでおられますが、礼拝堂・牧師館・付属施設などに緊急の応急処置が必要であり、さらに、専門家の診断を受けて本格的な建て替えや修復に取り組まなければならない状況です。
中部教区より全国募金の依頼がありましたので、下記のように「能登半島緊急救援募金」を行います。
祈り、ご支援をお願い申し上げます。
2007年4月13日
日本基督教団社会委員会委員長
張田 眞
記
◎目標額 1,000万円
◎募金期間 2008年3月末まで
◎送金先 加入者名 日本基督教団社会委員会
◎郵便振替 00150-2……
白壁の土蔵を連想させる、倉敷教会の瀟洒な礼拝堂を会場に、五月二一~二二日、第56回東中国教区定期総会が開催された。明治・大正のロマン薫る「美観地区」もほど近い。
開会時で正議員九七名中六八名が出席した。
宇野稔教区議長は、議長報告で、「教区この一年」を振り返り、特に「教区交換講壇」の実施を上げ、「教会相互、信徒相互の顔の見える関係」づくりを強調し、この三年間は教職のみであった「礼拝交流」を、「信徒が参加することで成果が高められる」と提唱した。
この日の夕食時には、新任教職を迎えての交流会が持たれたが、そこでも、宇野議長の六年間、当初二年は毎週葉書で、後にはB5版で隔週に、各教会への通信が発行されたことに感謝が述べられるなど、四八教会伝道所の「顔の見える関係」構築の努力が偲ばれた。
議長報告ではまた、三三教会一八五名の参加があった「教区の集い」、目標には届かなかった「教会強化献金」と……
第62回奥羽教区定期総会が五月二二日、二三日、奥羽キリスト教センターにて開催された。開会時、正議員一一六名中一〇四名が出席。会議冒頭に准允式が行なわれ新しく一名の教師が立てられた。
教区総会議長報告で邑原宗男議長は、多くの教師異動があった中で主任担任教師の「兼務体制による宣教協力が現実的な課題」となっており、教職人事を「各教会の自主的な決断によること」としながら「教区全域の宣教を視野に入れて進めていきたい」とした。また、各教会への綿密な問安を行なってきたことを報告した。さらに「教勢が減少していることは憂慮すべき」だが、「この状況を踏まえた上で教区の宣教を共に担ってゆくことに励み」、「後継者の育成ということに心を配った」とした。教区財政は、新しい負担金算定方式導入の一年目を混乱なく終え、二年減額の続いた教区活動連帯金が今年度増額となり「日本基督教団全体の祈りが益々集められていることに感謝す……
第57回中部教区総会は五月二二~二三日、名古屋中央教会を会場として開催された。
開会礼拝では御言を通して信仰告白の岩の上に教会が形成されていることを確認し、聖餐式が執行された。 出席正議員は二一二名中一八五名。
議事は主に常置委員会報告、教区三役選挙、常置委員選挙、能登半島地震関連の報告と議案であった。
特に常置委員会報告では中部教区より教団信仰職制委員会への諮問「未受洗者の陪餐について」の答申をめぐって、「式文通りであれば正しい聖礼典か」という質問があり、楠本史郎議長の「御言により生きて働き給う神による信仰告白を基とする教憲教規、その基本精神が式文に表現されている」との応答、また鈴木伸治教団問安使挨拶も含め「正しい聖礼典」理解について再確認がなされた。
また特別委員会「能登半島地震被災教会再建委員会」設置の決定報告を受け、能登半島地震関連の報告と議案について審議がなされた。
ま……