前期委員会からの申し送り事項の一つに、式文の扱いについて検討することがあり、これは教規に示された当委員会の職務に直接関わることなので、今期はまずこれを優先することとした。
ここで「式文」とは、『日本基督教団式文(試用版)』(「試用版Ⅰ」)と、同(試用版Ⅱ)のことで、それぞれ2006年、2009年に発行されたものである。これらは新しい式文の発行を目指して、そのために各方面からの意見を寄せてもらうことを期待して発行されたものであるが、これまで当委員会から意見を収集することはしてこなかった。今期は試用版Ⅰの発行から10年が経過することから、ここで試用版について実際に使用されている現場からの意見を求め、神学的な意見、評価をも聞かせてもらうこととした。
委員会としては、新しい式文の発行を視野には入れているが、従来の文語式文や口語式文、さらに試用版の検討ないし評価まではできるとしても……
中島康三氏(隠退教師)
15年7月9日逝去、93歳。愛知県生まれ。89年受允、91年受按。89年より八千代台教会を牧会し、99年に隠退。
遺族は娘・山本麻奈さん。
藤原 亮氏(隠退教師)
15年7月28日逝去、91歳。東京都生まれ。51年受允、54年受按。51年より鎌倉雪ノ下、小田原十字町教会を経て、95年に隠退。
遺族は娘・髙桑厚子さん。
和田信子氏(隠退教師)
15年8月11日逝去、84歳。東京都生まれ。62年受允、69年受按。63年より西片町、日立南教会を経て、07年に隠退。
遺族は姪・栃下真理さん。
にじのいえ信愛荘」は日本基督教団の隠退教職ホ―ムです。1959年、東京教区によって設立された「信愛荘」と、1973年、全国教会婦人会連合によって館山市に設立された「にじのいえ」が合併して5年が経ちました。
ホームは、美しい自然に囲まれた青梅市の郊外にあります。主からの召命に従い、生涯を宣教に捧げられた牧師とその配偶者が、隠退後の生活を平安のうちに過ごすことができるよう備えられました。
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ホームは27名が入居でき、常時20数名の方が生活しておられます。平均年齢は84歳、最高齢は93歳です。最高齢のこの方は今年で28年を過ごしておられますが、あの日、静かに語られました。「東日本大震災の時、最終任地の東北の教会で洗礼を授けた姉妹が津波で流され、天に召された」と…厳しい状況の中で伝道牧会に励まれた牧者の老後が、主からの慰めと憩いに満ちたもので……
アニー・ダウドは、1861年11月6日「ミシシッピ州ダウド」だけで郵便が届いたと言われるほどの名家に、弁護士の三女として生まれました。女学校卒業後は教会付属の学校で音楽の教師として働いていましたが、やがて外国人に神の救いを伝えたいという思いを強く持つようになりました。丁度その頃、高知に来ていた宣教師の依頼を受けた南長老派教会は、26歳のダウドを高知に赴任させました。
1887年、高知英和女学校の教師として来高したダウドは、教師のかたわら、独力で市内の婦人たちに聖書を教え、キリスト教伝道を熱心に行いました。この学校は10年足らずで廃校になりましたが、ダウドは高知に留まり、僻地伝道を始めました。
その途中で出会った恵まれない少女たちのことが忘れられず、この少女たちに教育を受けさせ、信仰を持つことが出来ないものかと祈り願うようになりました。
1901年、乳ガンの治療から……
矢野肇さんの信仰のルーツは曾祖母の時代まで遡る。曾祖母は江戸時代生まれのクリスチャンだった。子ども時代、曾祖母が天眼鏡で聖書を読んでいた姿を憶えているそうだ。父方の祖父は熱心なクリスチャンで、伝道にかなり力を入れていたようだ。家にあった仏壇も処分されたそうだ。母方の祖父は松山番町教会からは離れたところに住んでいたが、熱心に教会に通った。
両親も松山番町教会で洗礼を受けた。父は明治生まれで、7人の兄弟姉妹の長男であり、教員であった。結婚後、日本で教員をしていたが、1938年に満州の奉天市(今の中国瀋陽市)に移住した。
矢野肇さんは、満州の奉天市で1940年に誕生した。満州のことは幼少であったため、あまり記憶がないが、終戦後、ロシア兵3人が家へ靴のままで銃を肩に入って来て、物を物色して、家中のものをひっくり返し、父と妹と肇さんは呆然として恐ろしかったこと、そのとき母は床の下に……
教会が関係するキリスト教学校の中学生たちが夏休みの宿題の一つとして、牧師へのインタビューにやって来た。教会やキリスト教のことを深く知るために準備されたプログラムであろう。早朝礼拝と主日礼拝の間の短い時間に予め設定されている多くの質問に答える。「教会は何時出来たのか」「どんな活動をしているのか」「あなたは何故、牧師になったのか」、そのような質問の中に「理想の教会はどんな教会だと思っていますか」というものがあった。この問いに答えるのには少し戸惑った。何しろ日頃あまり考えたこともない事柄である。教会に対して理想の姿を描いたこともないし、教会に与えられる幻とも違うように感じたからである。教会は主のものであって、牧師や教会員の理想を描くところでもない。時折、“教会はこうでなくてはならない”と主張する人々もあるが、信仰の一致に基づいて多様な証しが為され、それによって主の栄光が現されるのであるから、あ……
会館工事費用負担決定を報告
第39総会期第3回常議員会が7月13日、14日、富士見町教会を会場に開催された。常議員30名中29名が出席した。教区議長は沖縄教区を除く16教区が陪席した。
開会礼拝では東野尚志常議員が説教を担当した。
冒頭、議事日程承認において北紀吉常議員から安全保障関連法案の衆議院採決を間近にして常議員会として何らかの表明をしないのか、と意見があった。石橋秀雄議長は「現在、在日大韓基督教会と共同で平和メッセージを準備中であるが、三役にて協議する」と応じた。後に議案として整えられて本常議員会に提案となった。
6月5日に石橋教団議長と小橋孝一日本キリスト教協議会(NCC)議長との懇談があったことから、NCC議長が協議会の基本方針、取組みの各項について報告した。常議員からは、特にNCC総会議員をはじめ各部委員会委員の教団からの選出について質問があり、選……
伝道資金制定に伴う補正予算承認
常議員会2日目に、財務関連議案が審議された。
予算決算委員会報告を愛澤豊重委員長が行った。委員会、常任委員会を2回ずつ行い、補正予算、特別勘定内にある休止している資金の運用、会館改修工事費用貸付等を議題としたことを報告した。課題として、①教区活動連帯金が廃止された中での財務委員長会議の持ち方、②教区負担金配賦額計算式に対する理解を深めること、③会館耐震工事による支出がある中での適切な会計処理、④教団の機構の見直しと共に、財政縮小化を進めること等を指摘した。また、北海教区からの意見書、飯塚拓也元予決委員長からの質問書に対する応答を書面で行った。これらの応答を常議員会として両者に送ることを含め、報告は承認された。
2014年度教団歳入歳出補正予算では、事業活動収支の収入において、長期預り金(別口勘定とすべきものが受託金にあり二重計上となってい……
6月26日、教団会議室において第2回在日韓国朝鮮人連帯特設委員会が開催された。
今回は、1月29~31日に北九州小倉で開催された「第29回外キ協全国協議会」の報告がなされ、8月18~19日に開催される第26回全国キリスト教学校人権教育セミナーへ長山信夫委員を派遣することと、9月21~23日に開催される「第39回日本カトリック『正義と平和』全国集会」に小橋孝一委員長、中嶌曉彦、深谷春男委員が参加することを決めた。
また、在日大韓基督教会主催の「第3回『マイノリティ問題と宣教』国際会議」について長崎哲夫総幹事から準備状況の報告を受け、当委員会としても協力できることがあれば協力していくことを確認した。
次回委員会は10月1日を予定している。(宮本義弘報)
第2回委員会が6月22~23日に行われた。会場は1日目が石和教会、2日目が韮崎教会であった。
伝道委員会は、過去に開拓伝道援助を行った教会で委員会開催をし、知見を得ている。
石和教会は突風で屋根がはがれ、急遽会堂建築に入ることになった経緯を聞いた。山梨英和の幼児施設に囲まれた環境の中、新会堂と共に歩みだした報告を受けた。韮崎教会ではモダンな建築の中、パイプオルガンが印象的な礼拝堂を目と耳で体験した。教会に集まり奉仕する教会員にも会い、手作りのジャムやケーキを購入して僅かながらも更に支援に協力した。
議事としては、前回委員会議事録を承認、業務報告及び会計報告を承認、また、東日本大震災救援対策本部報告を受けた。常議員会報告、東日本大震災救援対策本部報告を受けた。担当委員から、伝道推進室委員会報告、宣教委員会報告、「こころの友」「信徒の友」編集委員会報告を受けた。
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