★特別展「満州基督教開拓村と賀川豊彦」記念礼拝と講演会/時=10月3日(火)14時~16時半/所=賀川豊彦記念松沢資料館 礼拝堂/第一部=記念礼拝 挨拶山北宣久教団総会議長、輿石勇NCC議長、第二部=記念講演 石浜みかる氏、証言 榎本和子氏、第三部=お茶の会/特別展開催期間=10月3日~12月2日
共に歩むために
向井希夫
教区議長に選ばれてから、教団以外の教派・教会の会議等に出席する機会が与えられ、感謝しています。特に、「宣教協約」を結んでいる在日大韓基督教会・関西地方会総会には毎年出席させていただいています。
今年度、初めて総会中の按手礼に出席、按手に加わり新しい牧師の誕生を共に祝福することがゆるされました。式の誓約の中で「どんな迫害や反対があっても忍耐し…福音の真理を守り…」との問いがあり、わたし自身ドキッとしました。もちろん彼らが歩んできた歴史の中から出た言葉にちがいありません。そして、教団の式文の中には無い言葉です。
わたしは改めて在日大韓基督教会の憲法(教団の教憲・教規にあたる)を読みました。第1章「原理」、第2章「教会」(以下略)です。「原理」の第1条は「良心の自由」で条文はこう結ばれています。「私たちは全ての信仰問題に関して各自の良心に従って判断する自由を……
松本章宏宣教師派遣式が六月二九日に大宮溥世界宣教協力委員長の説教、上田博子宣教幹事の司式により教団会議室で執り行われた。
松本氏は北海道で道立高校の英語教師として勤務した後、韓国の亜細亜連合神学大学院で学んだ。同校卒業後、北海教区十二使徒教会を二〇〇五年三月まで牧会した。その間、米国ウェスタン神学校大学院で一年間学んだ。
その後、シンガポールの弟子訓練センターで研修を受け、この度、ジャカルタ日本語キリスト教会の招聘により宣教師として派遣される運びとなった。教団からジャカルタ日本語キリスト教会へは、初めての宣教師派遣となる。
インドネシアではイスラム教・仏教・ヒンズー教・キリスト教が公認され、イスラム教徒が約八〇パーセントを占めている。ジャカルタ日本語キリスト教会は、インドネシアで毎週日本語礼拝を守る唯一のプロテスタント教会である。単立教会として創立以来二八年、インドネシアの経済状況と……
七月二六・二七日の両日、第34総会期第四回宣教研究所委員会が教団会議室において開催された。
今回は、今総会期の最後の委員会として、主に前回からの継続審議事項と次期総会期委員会への申し送り事項について話し合いがなされた。
継続審議事項は次の通り。
①資料の保守整備について。「教団年鑑」「教憲・教規」のコピー製本はほぼ完了。次に「教団総会議案報告書及び議事録」のコピー製本に取りかかる。
②ラクーア伝道プロジェクトが完了した報告を承認。
③『九、一・二の記録』オンデマンド出版がほぼ完了した報告を承認。
④『万博・東神大・教師検定試験問題年表』の「東神大年表」について。研究会を立ち上げることが前委員会で承認されたが、山口隆康氏、近藤勝彦氏、芳賀力氏に研究員を委嘱することを可決した。
⑤『教団史資料集第4巻』の宣研設立当時の記録について。改訂増補の必要があることが前回において加藤幹夫書……
わたしたち日本基督教団は8月15日の敗戦記念日に小泉首相が内閣総理大臣小泉純一郎と記帳して靖国神社に参拝されたことに強く抗議します。
わたしたちの教団は、1941年に大日本帝国憲法下に設立されました。天皇を頂点とする国家神道を宗教を超えたものとして、天皇崇拝や神社参拝を国民儀礼として求められ、受け入れました。そればかりか朝鮮、台湾をはじめアジアの諸教会にもそのことを奨励しました。また、国家の戦争政策にも協力しました。1967年に、わたしたちはこのことを心から悔い改めて再出発したのです。
靖国神社は太平洋戦争までは国のため、ひいては天皇のために戦死した人々を英霊として祀る国家が創設した神社でした。しかし、そのことから起こった思想、信教の自由の抑圧を反省し、戦後には靖国神社は国の保護から離され、一宗教法人として活動しています。しかし、このような歴史をもつ施設に私人としてとは言いながら「内閣……
第34総会期第四回障害者差別問題小委員会が、教団会議室にて六月二九・三〇日に行われた。
開会礼拝では、長尾邦弘委員が、マタイ伝9章1~8節より「自殺者が三万人を超えている現代において、赦しと癒しが分けがたく存在していること。自分は自分自身に絶望しても、主イエスは受け入れて下さっているという恵みによって、人は生かされていること。御言葉の説き明かしの中で、主イエスの赦しと癒しを示され、関係を回復しうること。教会は御言葉を宣べ伝えることによって、神様の愛と受容を人々に伝え、苦難の中にある人々と共に生きる」というメッセージを語った。
前回記録承認、第五回宣教委員会報告が、それぞれ資料に基づいて行われた。
最後の委員会なので、委員会の課題などについて自由な討議がなされた。今期委員会は「障害者差別問題と取り組む活動者全国交流会」を開催しなかった分、学びを深めることができた。その中で障害者を巡るこ……
今総会期第四回目の「靖国・天皇制問題小委員会」が七月四日と五日と教団会議室で行われた。
村田元委員長が欠席のため村田委員長の指名で須賀誠二委員が司会を担当した。
今回の委員会では、国際基督教大学教授の森本あんり氏に「信教の自由と憲法-アメリカの歴史的実験に学ぶ」という講演をしていただき、靖国問題、靖国問題から見た憲法改正の動向、宗教に関する判例の読み方、さらには宗教団体と国家との関係の背景となる「信教の自由」の問題について協議を行った。
「宗教的寛容」と「信教の自由」との関係と違い、また「政教分離」と「信教の自由」との違いなどを明確に、歴史的に説明していただき、靖国問題や憲法改正における宗教問題、あるいは最近盛んに論じられている愛国心について考える場合に必要なスキルを与えていただいた。
行動や運動、批判のためにはまず正しい理解が必要であり、その意味では有意義な講演であり、今後社会委……
七月二一日に教団事務所にて、第二回スイス協約委員会が開催された。
日本基督教団とスイスの教会との関係はSOAM(スイス東アジア・ミッション)との長年の宣教協力を基盤として、SEK(スイス福音主義教会連盟)との宣教協約を結び、現在もSEKの宣教師が日本で活躍している。二〇〇一年にはSOAMスイスの海外宣教団体が連合して、 mission21を結成した。それ以来、教団は mission21 のアジア部局とも連携を保ちつつ、宣教協約の実質化に取り組んできた。
しかし、二〇〇六年三月にSOAMが mission21を脱退し、独自の活動を続けていくことになった。教団は、SOAMを通じて mis-sion21と繋がっていた。
mission21 からは、今後も関係を続けていきたいとの申し出があり、委員会としては、SEKや mis-sion21 と教団のこれまでの関係を尊重し、今後も宣教協力を続け……
八月一~四日、大阪のいずみ教会で青年ゼミが行なわれました。日本各地や、インドからの参加者が集まり、大変にぎやかなものになりました。
北海道出身の私は、部落差別問題と直接関わる機会がなく、この和泉の地に来て初めて体感を伴いました。しかし何故、部落差別が存在するのか、私には全く理解できないのです。
日本には古くからケガレという信仰があり、そのことによって特定の職業に就いていた人たちが、穢れた身分とされ、部落民とされるようになったそうです。そしていつしか、その地域に住む人々が、差別されるようになったということを学びました。中世、あるいは近世から続く差別問題は、身分制度がなくなった今もなおステレオタイプ的に残っている。そして、そのことによって、悲しみや苦しみを抱えている人がいることを知りました。
一方で、必ずしも全員が差別体験を受けたという実感があるわけでもないことも、青年部のある方の話で知……
▼テントキャンプも三日目夜、一大イベントのバーベキューが始まった。畳一枚分の鉄板に、あらゆる具を載せて薪で焼く。菜箸を伸ばしても届かないし熱い。一人がシャベルを持ち出して、具をかき混ぜる。他がつぶやいた。「便所を掘ったシャベルなのに」。高校生がこれに反応する。「キャンプ、キャンプ」。▼キャンプだから許される範囲内だと言う意味で、このキャンプでの流行語・合言葉となっていた。中学生の女の子も、便所シャベルでかき混ぜた肉や野菜を、まあたくさん食べること。「キャンプ、キャンプ」。▼湖畔の上下水道もないススキの原で、草をなぎ倒し、便所を掘ることから始まるこの企画を、中高生は献身ではなくサバイバルだと評した。第一回目には台風に襲われ、真夜中テントにぶら下がって、飛ばされるのを防いだと聞く。体験は、伝説となって語り継がれる。▼バーベキューが初日だったなら、誰も箸をつけなかったろう。共に過ごすことで出来た……