八月七日(月)津屋崎の夜は熱かった。福岡地区ヤングキャンプ(八月六日~八日、津屋崎教会にて開催)二日目夕食後、津屋崎海岸で夕陽を背にして、キャンプに参加した約三〇名のティーンエイジャーの若者たちは、熱心に講師の話に耳を傾けた。
講師西岡巌牧師(現福岡渡辺通教会)は「とらえられた私」との主題のもと、ご自分の愛するご子女を二歳で天に送られた経験より「『もし神様に出会ったら、殺してやりたくなるだろう』、そんな思いで牧師を続けた。大抵の牧師は、熱心に祈れば祈りは聴かれると言うけれど、僕は娘の命を生かして下さいという祈りが聴かれない所から、牧会が始まったのだ」と、パウロの喜びの書簡、フィリピの手紙から、純粋な瞳の子どもたちに、熱く語りかけられた。かつて、キリスト教徒を憎み、殺していたパウロが、回心後実は、神の愛にとらえられていたという驚きの経験と講師の経験が重なる。
サンセットサービスが終わり、……
東日本ユースキャンプは、東日本同信会が主催し、同志社大学神学教育後援会が後援となって行われるキャンプで、五〇年以上の歴史を持っているキャンプである。
最初は、東日本高校生献身修養会という名前で、献身者を募る目的で実施されてきた。五年前より東日本ユースキャンプと改名したが、その精神、内容などは今でも引き継がれている。
東北から関東までの諸教会に呼びかけ、高校生以上二〇歳未満の若者たちが参加する。スタッフは全員が牧師で、今年は、安藤昭良牧師(小出教会)をチャプレンとして、山下智子牧師(会津若松教会)、与那城初穂伝道師(国分寺教会)、佐原光児伝道師(霊南坂教会)、北村裕樹伝道師(弓町本郷教会)、そして、主事として千葉敦志牧師(太田八幡教会)。講師は、同志社大学神学部から原誠先生をお迎えして行われた。
三泊四日のスケジュールで行われるこのキャンプに今年は、男子三名、女子九名の合計十二名が参加……
戦後六十一年目の夏を迎えました。
「 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ五の九)とのお言葉どおりにピースメーカーでありたいと存じます。しかし、具体的に平和を作り出すことの難しさを感じます。ますます祈りの力に頼らねばなりません。
今日、日本では憲法が持つ平和と民主主義で表される理念と、日本国憲法以前に国家を形成してきた国粋主義的な理念とが改めてぶつかり合っています。
世界の情勢の変化から考え方が多様化し、これまで当然とされてきたことが改めて考えられなければならない時代なのでしょう。
私たちはキリスト信仰に基づいて平和憲法を支持し基本的人権の大切さを訴えてきました。けれども、日本社会ではこれまで、平和も人権も基本的なことがきちんと受け止められずに来たのではないでしょうか。
私たち自身も、民主、平和の理念がプロテスタントの歴史の中から生み出された……
伊豆諸島の伝道に生きる
富士火山帯が太平洋に伸びているその上に伊豆諸島がある。そして東京港から一番近いのが伊豆大島、その東南に波浮教会がある。竹井真人さんはその教会の牧師である。
中高生の集会に参加したのがキッカケとなり、日本メノナイト教会会議霧島キリスト教兄弟団で受洗。日本ホーリネス茂原教会から東京聖書学院に入学し、一九七六年卒業。徳山福音キリスト教会等を経て、日本ホーリネス教団のキャンプ場「大島・泉の家」のチャプレンとなった。
一九八六年四月、乞われて日本基督教団新島教会の牧師に就任。その年の十一月、日本基督教団に教師として転入。十一年間、新島教会に仕え、一九九七年から波浮教会に移り、波浮教会と新島教会を兼牧した。
以来九年間、毎週、土曜日の早朝大島から東海汽船で二時間かけて新島に渡り、新島教会で主日礼拝の御用をすませて昼過ぎに新島を出て大島に戻り波浮教会の礼拝に奉仕すると……
★東京地区原理問題相談会時=9月22日(金)13時~15時/所=日本キリスト教会館4階会議室/問合せ=東京教区事務所(TEL03-3203-4270)
キリスト教社会福祉
サマーキャンプ in はままつ
目 的 ①施設実習から隣人に仕える業を体験する
②キリスト教精神に立つ業のみことばを聴く
主 題 「はじめに愛がありました」
日 時 二〇〇六年八月二〇日(日)~二三日(水)
三泊四日
場 所 静岡県浜松市(聖隷ゾーン)
スケジュール
《8/20》
開会礼拝・施設紹介と見学・教会夕礼拝
《8/21~22》
施設礼拝・体験実習・職員の証し・交わり
《8/23》
閉会礼拝(母の家)・交わり・観光ドライブ
定 員 二〇名程度(先着順)
参加費 一五、〇〇〇円
(学生は交通費の一部補助あり)
申 込 所定の用紙に記入の上、事務局に郵送又はFAXでお申込ください。所定の用紙のない方には詳細の案内書と一緒に郵送いたします。ご連絡ください。
申込締切 二〇〇六年八月十四日(月)
問合せは…
日本キリスト……
小さな教会の大きな恵み
片倉教会牧師 八木原敬一
少年が教会に来た。都心から引っ越してきた彼は、もの珍しそうに部屋(実は礼拝堂なのだが)を見まわして、お母さんに言った。
「これ、教会?」
「すみません、この子は母教会にしか行ったことがないものですから」
実際、私たちの教会は、屋根の上に十字架がなければ普通の家と同じ。普通の家のリビング・ダイニングのスペースに椅子をならべて礼拝堂として使っている。
だから、礼拝で三〇人も集まれば、あとは「立ち見」(もちろんそんなことはなく、つめ合わせて座っているが)。
まさに初代教会時代の「家の教会」。
私たちの西東京教区は、中野区以西の、戦後、住宅地となった地域の中で開拓伝道から始められた教会が多いが、私たちの教会もそう(現在でも、山林がアッという間に南欧風の街並みやマンションに変わっている)。
いかにも教会らしい建物は、たたずま……
岩政三枝氏(無任所教師)
昨年十二月二四日、逝去。八〇歳。山口県に生まれる。一九五七年日本福音神学校卒業。六四年から七七年まで原宿教会担任教師を務め、七八年から八九年まで釜石鈴子教会を牧会した。
魚住せつ氏(隠退教師)
五月十八日、逝去。九二歳。東京都に生まれる。一九三四年救世軍士官学校卒業。四九年から八三年まで姫路和光教会を牧会し、隠退した。遺族は長女の渡邉頌子さん。
鶴谷忠男氏(隠退教師)
六月十一日、逝去。七八歳。石川県に生まれる。一九五八年東京聖書学校卒業後、京都復興教会に赴任。その後、都農、尾鷲、安曇川、有田各教会を牧会し、二〇〇一年隠退した。遺族は妻の頼子さん。
謝儀保障受給の見直し
福島純雄
当教区では、謝儀保障制度が始まって十数年が経過しているが、最近その問題点がいよいよ明らかになってきた。それは一言で言うと、受給教会が固定化し新しく生じる受給の必要に全く応じることができない点である。謝儀保障が受給できれば教師を招聘できるのに、という教会が少なからずあるが、残念ながらその希望に応えることができないでいる。またこれも少ない数ではない教会で、公的年金などをいただいておられるがゆえに、謝儀保障を必要としない教師をお迎えしているが、これとていつまで続けることができるか、まことに心もとないのである。
そこで今総会での協議会で、謝儀保障受給の在り方をこの一年かけて見直してゆくことを協議したところである。
見直すといっても、どういう観点から見直すのかが難問である。特に現在受給されている教師と教会にとっては切実な問題になる。要は、その地域に生きる信……
第五回信仰職制委員会は、六月二六日~二七日に教団小会議室で開催された。
式文改定小委員会より報告がなされた。結婚・葬儀・主日礼拝式文の最終原案が確定し、試用版を信仰職制委員会編として、一〇月中旬、教団総会前に出版することとなった。
中部教区常置委員会より「未受洗者への配餐についての諮問」があった。「常置委員会において、未受洗者への配餐を容認する趣旨の発言がありました。(一)教憲教規において未受洗者への配餐は認められるでしょうか。(二)上記の行為を教会総会および教会役員会において議決した場合、その議決は有効でしょうか」。 答申「(一)教規第一三五条は信徒を陪餐会員と未陪餐会員の二種類に分けています。このうち未陪餐会員とは『聖餐に陪しえない者』(教規第一三八条①)であり、陪餐会員とは『信仰を告白してバプテスマを領した者、または未陪餐会員で堅信礼または信仰告白式を了した者』(教規第一三六条……