第35総会期第二回台湾協約委員会が十二月十二日正午から、教団会議室で開催された。
村山盛芳委員長の祈祷により開会。前回記録承認の後、担当幹事より以下の主な報告を受けた。
世界宣教委員会に関する報告では、今年四月に教団主催で在米の退任宣教師訪問が計画されており、準備が始められていることが報告された。
また大阪台湾教会に関する報告では、宣教師を迎える手続きが進められているとの報告を受けた。
議事では、最初に第11回教会協議会に関する件が扱われた。十一月初旬に台湾で行われた教団と台湾基督長老教会(PCT)との協議会を振り返り、またPCTの徐信得幹事(世界宣教担当)が共同声明の内容の具体化を図るために十一月二六日に教団事務局を訪問されたのを受けて協議。PCTは青年交流が継続していることを高く評価し、加えて高齢者・女性の交流を求めていることに対して、小規模での交流を前提に、①PCTの松年大学……
この委員会は、第35総会期第三回常議員会において、「日本伝道一五○年記念行事を開催する件」(提案者/小林貞夫)が可決されたことによって、常議員会の下に設置されたものである。委員構成は三役一任となり、小林貞夫(招集者)、北紀吉、金刺一雄、高橋潤、藤掛順一が指名された。
第一回委員会は十二月十日(月)~十一日(火)に教団会議室において開催され、委員長に小林貞夫、書記に藤掛順一が選任された。
この委員会の課題は、二○○九年に日本伝道一五○年を迎えることを覚えて日本基督教団が行うべき行事を検討し、常議員会に答申することである。第一回委員会において先ず確認されたのは、二○○九年を「日本伝道一五○年」の年とすることの根拠である。以下の四点が指摘された。
①「日本基督教団成立の沿革」において、一八五九年を、わが国における福音主義キリスト教の伝道開始年としている。②それ以前のべッテルハイムの沖縄伝道……
*力による一致では悲しすぎる 後宮敬爾
今回の乱暴な「退任勧告」には、主イエスの愛をまったく感じることができない。数と権力による「排除」は教会として、あまりに悲しい姿だ。
たしかに一九四六年に教団教憲教規が定められたとき、世界の多くの教会は、聖餐は洗礼を受けたものに配餐されるという「前提」に立っていただろう。
しかし、二十世紀に入ってからの世界的なエキュメニカル運動の中で、聖餐理解の特徴と違いについて研究がなされ、さらに一致を求めるという数十年の歴史を経て、一九八二年に世界キリスト教協議会信仰職制委員会は『リマ文書』を満場一致で採択した。リマ文書で世界の教会が新たに確認したことは、聖餐の持つ多様な意味とその豊かさであった。こうした過程を経て、教会は聖餐の重要性を再確認してきた。
そしてその作業の中で、「陪餐資格」が課題となり、具体的には「知的ハンディを持つ人の陪餐」「幼児洗礼者……
教団連帯の証し
二〇〇四年十月の中越地震で損壊した二教会の再建が成り、一月十四日、見附教会会堂・牧師館の献堂式と十日町教会牧師館の完成感謝記念礼拝が行われた。全国諸教会の祈りと支えによって伝道拠点は再建され、新会堂を埋めた出席者から、「主は生きておられる」「教団連帯の証し」の声が溢れた。
*各地の災害に協力を
夜来の音もなく降り積もった雪も上がった一月十四日午前十一時、十日町教会牧師館完成感謝記念礼拝が始まった。
新井純牧師は説教を「忘れ得ぬ光景があります」と切り出して新潟地区、関東教区総会の議事に触れ、「関東教区が全国募金額の半分、七五〇〇万円を募金する議案を上程し、張り詰めた静けさの中で、圧倒的多数で教区の決意が表明されたのを見た瞬間」と語った新井牧師はここで絶句し、数分後にこう続けた。
「こらえていたものが溢れ出てどうしようもなかった。総会後、皆から祝福され、励……
十二月に上京した折、ギリシア正教のアドベントの飾りつけが見たくなり、ニコライ堂を訪ねたが、予想に反し、会堂外側には、クリスマスツリーなど一切なし。では会堂内はと足を踏み入れた。日本最大のギリシア正教の会堂で、天井の高い荘厳な礼拝堂であるが、飾りなどは外と同じで全くなし。
すると奥の方から、ご婦人が小走りに走ってきて、外国人特有のアクセントで「ハイカン、ハイカン」と言う。何かと思うと「拝観料が必要」だと言う。ローソク一本を含めて三百円。五千円札を出すと、「オツリアリマセーン」。仕方なくポケットの小銭を全部出すと計二六七円。「ケンキンダカラ、ソレデイーヨ」とのことで三三円の儲け?
それこそ拝観場所に座ってパンフレットを読むと、私たちとの用語の違いが目についた。
例えば、「礼拝→聖体礼儀」は何となく分かるが、「マリア→生神女(しょうしんじょ)」は読むのも無理。更に「聖職者→神品」に至って「……
雅号を「創歩」という。歩みを作りだそう、そういう思いがあった。漢字を専門に書いているうちに「創」という文字に「傷」という意味があることに気付かされる。「絆創膏の『創』です」自分の傲慢さに気付かされた瞬間だった。「傷」という言葉が「自身の傷である罪」とも「贖いのしるしであるイエス様の傷」とも結びついた。今はイエス様が私の罪の絆創膏となって下さったと感じると言う。
書道を始めたのは六歳。教会に行き始めたのは中学三年生。それが結びついたのは、自分が父の養女である事を知り、大学進学を断念した事が切っ掛けだった。銀行に勤めながらアナウンサーになろうと学校に通う。日曜日に学校に通うという日々の中で、教会が大きなウェイトを占めている事に気付かされる。教会生活を続けながら書道を続ける事になった。
専門は漢字だった。儒教や仏教の影響の強いものを書きながら、「なぜ、こんなものを書いているんだろう」と思った……
二〇〇七年十一月二四日(土)午後一時より、新津田沼教会において東京教区千葉支区東葛分区八教会十三名の出席のもとで「隠退教師を支える運動」推進座談会が開催された。
座談会に先立ち、同教会の眞嶋威牧師の説教により礼拝が捧げられた。
「教会に招かれている一人一人がみ言葉に生かされ、神のご用に役立つ者としてお立て下さる。資格のある者がその役に立てられているのではない。み言葉に召され、証しをもってそれに仕えることが今求められている。神はその志を用いてくださる」とのメッセージを受け、一同励ましを与えられた。
礼拝後、推進委員会の瀧川英子書記の司会で座談会が開かれた。冒頭、運動推進委員会の多田信一委員長より挨拶、続いて櫻井淳子年金局業務室長より挨拶および教団年金局の状況報告を聞き、質疑応答と自由懇談へと移った。
一九七三年、北海教区旭川豊岡教会、牧田建夫氏の提唱によって始まった「隠退教師を支える……
四国教区牧師夫人の会
互いの立場をこえて共感し合う
黒田麻美子(石井教会)
尊敬する先輩牧師夫人からのご依頼で、四国教区の牧師夫人の会の現状をご報告させていただくことになりました。
まず、四国教区牧師夫人の会の開催について残されている記録を紐解き、先輩夫人方の足跡をたどりました。
今から三三年前、教区レベル牧師夫人会(まだ四国教区牧師夫人会という名称はなかった)を開催したいという夫人方の願いで始められたようです。それを第一回として、昨年第十六回目が東予分区で開催されました。
四国教区は六分区からなり、香川分区、徳島分区、高知分区、愛媛は三つの分区(中予分区、東予分区、南予分区)の六つの分区が順番に会のお世話を致します。初期の頃は、教区全体で世話人を決め、その方が中心となってやっていたようです。
各回主題を掲げ、概ねそのテーマに基づき発題者三~五名の発題、会によっては講……
日本で長年ご奉仕の後退任された宣教師の方々を訪問し、感謝の意をお伝えするツアーを日本基督教団が主催します。今回は訪問地を米国に定め、参加者20名を公募します。
◎期 間:2008年4月14日(月)より4月23日(水)までの10日間
◎費 用:3,000米ドル(食費は朝食のみ含む)、払込期限3月7日(金)
◎行 先:カリフォルニア州クレアモント、ミシガン州ホランド、テネシー州プレザントヒル、ノースカロナイナ州アッシュビル
◎締 切:先着順
◎資料請求先:℡03-3202-0544 教団事務局世界宣教部
《退任宣教師感謝募金》
神様から日本宣教への召命を受け、日本の為に生涯を献げられた宣教師の方々を訪問する際には、感謝の表明に記念品等をお贈りします。ツアーに来られない方も、献金をもってこのツアーを応援されませんか。
◎募金目標額:100万円、感謝ツアー共通費用に充当
◎郵……
吉池みつ氏(隠退教師)
十月二四日、逝去。九二歳。長野県に生まれる。一九四一年松本活水学院卒業後、松本基督伝道館に奉職。五三年から九一年まで川俣教会牧師を務め、隠退した。遺族は甥の功さん。
眞山光彌氏(隠退教師)
十一月四日、逝去。七九歳。岐阜県に生まれる。一九五四年日本基督教神学専門学校卒業後、西岩国教会に赴任。仙台広瀬河畔教会を牧会後、明治学院高校、金城学院大学教務教師として奉職。九八年から二〇〇五年まで名古屋新生教会、豊明新生教会牧師を務め、隠退した。遺族は妻の成子さん。