免 職
日本基督教団正教師 宮原 亨
右の者、教規第一四一条並びに戒規施行細則第四条第二号及び第四号に基づき、『免職』に附す。
2014年6月18日
日本基督教団教師委員会
委員長 小宮山 剛
戒規執行にいたる経過
2014年2月18日付で、張田眞宣教委員会委員長、他を申立人とし、統一協会(世界基督教統一神霊協会)に関与している旨の理由をもって、宮原亨教師への戒規発動の要請がなされた。当委員会はこれを受理し、委員会内に調査委員会を設置し、申立て内容の事実関係等について調査を開始し、宮原教師とも面会して弁明を聞く機会を持った。
その調査委員会の報告を受けて、慎重に検討した結果、同教師が統一協会の活動に協力している事実を認定するに至った。同教師の行動は、当教団が統一協会の活動に対して早い段階より懸念を抱き、その反社会的性格を明らかにするとと……
第4回部落解放全国活動者会議in会津は、6月9〜11日の三日間、会津若松市の若松栄町教会を会場に、約180名の出席を得て行われた。主題は「『原発』という差別〜フクシマの声に聴く」。
第1日目は、小西望東北教区総会議長による開会礼拝、東谷誠部落解放センター運営委員長の基調報告、片岡輝美会津放射能情報センター代表の記念講演、僧侶の立場から田中徳雲さんの証言、強制避難者の立場から古川好子さんの証言。
第2日目は、布田秀治さん(いずみ愛泉教会)によるガラテヤ3・26〜29の聖書研究、自主避難者の立場からAさんの証言、農業従事者の立場から「赤べこの母」さんの証言、柳原敏夫弁護士による「ふくしま集団疎開裁判」の報告、山崎知行医師による「子ども健康相談」の報告、全体会での分かち合い、夕食・交流会。
第3日目は、病床から駆けつけてくださった会津放射能情報センターメンバーの渡邉規雄……
安藤 肇氏(隠退教師)
14年5月27日逝去、87歳。東京都に生まれる。50年日本基督教神学専門学校を卒業、51年石動教会に赴任。長崎平和記念、保田、新津田沼教会を牧会し、02年隠退。
遺族は妻・安藤愛子さん。
【経過説明】
2009年7月に「北村慈郎教師への戒規適用申立書」が信徒常議員7名によって提出され、2010年1月に免職処分が決定しました。北村氏は常議員会に上告するも、審判委員会は教師委員会が下した免職(教憲1条2条に抵触する)の戒規を適正と判断し、免職が確定しました。
北村慈郎氏は、2010年11月25日、日本基督教団代表役員石橋秀雄を債務者とする「地位確認等仮処分命令申立」を東京地裁に提起し、本件は始まった。北村氏が裁判所に求めたのは、⑴免職処分の無効と、⑵正教師の地位確認であった。この申立に対して教団は島林樹弁護士を訴訟代理人として全面的に反論し、「本件申立は法律上の争訟になり得ない」と一貫して主張した。
仮処分申立事件は、北村氏側からの「取下書」提出によって終結するかにみえたが、北村氏は本訴に進み、一審(東京地裁)は、教団側の主張を全面的に受け入れ、原告の北村氏……
東日本大震災被災教会の宇都宮教会会堂献堂式が、6月15日、関東、東京、中部教区の33教会、120人が出席して行われた。
献堂式で木村太郎牧師は、「甦りの主の下に」と題する説教で、「会堂建築は、単に建物の建築でなく、教会形成、教会の信仰を形作るものだった。
3月11日、金曜日午後の大震災直後、何人かの兄弟姉妹が教会に来てくれた。天井が崩落し、無数のひびが入った壁を見上げても、言葉を交わすこともなく、黙々と会堂の清掃に取り掛かった。翌土曜日、何とかして礼拝の場所を作ろうと、講壇を1階の集会室に降ろした。
会堂を再建しようと決めた後も、小さな波乱は幾つか起きた。設計者が設計途中で病死し、『幻に終わるのか』とも思ったが、その葬儀で、教会建築を手掛けた設計者と出会った。隣接のビル一室での仮会堂は、姉妹の葬儀からスタートした。この時私は、主の導きと深い思いがあること、死の先に……
蕃山町教会の近くで生まれ、初めて教会に行ったのは、小学校4年生ごろ。当時から、医者を志す夢を持っていた。高校2年の時に受洗。KKS(教会高校青年)キャンプの後に、仲間が洗礼や信仰告白を決意する中で、自らもまた、生涯求道生活のままで終わることはないと気づいたことによる。
岡山から離れずに大学に進学し、教会内で結婚。医者の務めの中で、礼拝出席は必ずしも良い方でもないのに、辞退者の故、長老へと繰り上げ選出された時には頭の中が真っ白になった。長老当選を機に、当直勤務以外は出席するようになった。
中学の頃から憧れた僻地医療の思いが強く、海外を見据えている時に、「海外に行かなくても、岡山にだって医師不足の所はある」と教えられ、美星町(現在は井原市に編入)の病院へと赴いた。ただし、条件をつけた。「土曜の晩から日曜の夕方までは、私の代わりの医者を派遣してください」。この条件が受け入れられ……
安行教会50周年記念礼拝に説教者として招かれた。安行教会はかつて越谷教会が親教会であり「安行教会は私の青春だ」という2人の信徒も同行し、この信徒たちから、越谷から安行へバスもない不便な地に自転車で牧師と共に伝道に向った青年時代の思い出を聞きながら安行に向った。
安行教会は、今でも不便な地にあるが、勢いのある教会に成長した。安行教会、田中かおる牧師は「礼拝の充実」に全力を注ぎ、「礼拝第一」の教会形成をしてきたが、今、その実を結んでいる。最近、現在の敷地より数倍広いかにみえる(実際はほぼ同じ広さ)隣接地を購入、駐車場には困らない教会になっていた。
私は埼玉一筋に歩み、何度も安行教会の説教奉仕をして来た。その時、楽しみにしてきたことがある。あの印象深い女性信徒たちに会うことだ。私が高校3年生の時に、関東教区KKSキャンプに参加した。このキャンプに安行の地から6名の女子高校生が参……
信徒戒規「除名」で紛糾
沖縄教区
第73回沖縄教区総会は、5月25、26日両日、沖縄キリスト教センターで、正議員43人中、開会時40人が出席して開催された。
沖縄教区は、03年以来、12年連続で教団問安使を拒否して来たが、長崎哲夫教団総幹事は、東中国教区総会に赴く2日目午後まで傍聴した。
開会礼拝後、「なぜ准議員席しか与えらないのか」という伝道所信徒の発言から、2011年総会で可決した「伝道所信徒議員正議員」問題が再燃した。「昨年総会で常置委付託となり、推進作業委員会が出来たが、教団の回答に縛られて、何も『推進』していない」との批判に対し、竹花和成議長は、「教区総会可決の際は、合同議定書の精神がまだ活きており、教規61条の援用で道が開けると信じていた。批判は甘受するが、合同も、『教団と距離を置く』決断も教師主導でやって来た。教区内でも、信徒に正確に伝えていない教会があ……
第9回教区活動連帯金検討委員会は6月6日教団会議室において開かれた。
今回は、「伝道資金」がどのように活かされるか、各教区総会などで出された意見を受止めながら、規則の内容について、再度検討を進めることとした。
現在の教区活動連帯金の配分金受入教区からの批判はいくつか伝えられており、その主なものは、配分金が減ることに対する不安によるものであった。
試算によれば、確かに減る教区もある一方で、増える教区もあって、増える教区からの批判は無かった。
これは、計算基準をいかに公平なものにするかによって、変わってくるのであって、公平性の原則に照らして、最善の方法を目指すべく努力が期待されていることは確かである。
また、別の観点で、現在の教区活動連帯金の継続を望む意見もある。つまり、これまで、教区活動連帯金は地方教区の宣教を支えてきた。それを廃止して、伝道の名のも……
第38総会期第6回予算決算委員会が6月5日に教団B会議室において行われた。冒頭総幹事より次の報告がなされた。
⑴キリスト教会館問題特別委員会において、会館を建て替えるのか、耐震補強工事とするのか、早く結論を出す必要があるが、教団のみでは決められない問題でもある。その結論を前にして、教団三局は工事に備えて一時移転先を既に大久保に確保し、引っ越し作業日程を7月4日から6日とした。常議員会やその他の規模の大きな会議のためには部屋を別なところに借りる必要も出てくる。
⑵教団総会議員数の削減について、予算決算委員会としては予算削減の観点から常議員会に対して推進を提言したが、削減を具体的に進めることはなかなか難しい問題である。
主な議事については以下の通りである。
⑴2013年度2次補正予算に関する件 款を超えての支出超過について補正を行った。
⑵2013年度……