ドイツ、ベルリン。この東西分断を乗り越えた未曽有の歴史を持つヨーロッパの国際的大都市にも日本語教会があります。
80年代に日本人牧師の呼びかけで始まった日本語礼拝は、ささやかながらも主に守られ導かれて今日まで歩みを続けてきました。礼拝に集う人々は、在独数十年という方から留学生、ご家族の転勤に伴って、ワーキングホリデーの方、旅行者、日本語や文化に興味のある外国の方など実に様々です。
しかしながら大都市とはいえ邦人数は決して多くはなく、街中で日本人に出会うことは非常に稀です。そんな中いかに教会の存在を多くの人に知ってもらうか、試行錯誤しながら皆で心を砕く日々です。
言葉や食事、習慣、気候など海外生活は予想以上に不安や困難が多いものです。教会にも人とのコンタクトを切実に求めて来られる方や、疲れた日常の中ふと昔の教会学校を思い出して行ってみようと思って、という方も多くいます。この規模でほぼ毎……
北海道函館市の西部地区元町において、昨年9月29日(土)午後、キリスト教各教派による合同企画、「元町・教会めぐり」が行われた。「一般市民に、音楽を通じてそれぞれの教会の伝統や特色に触れていただこう」という、一昨年に続く2回目の試みであった。
函館は、安政5カ国条約(1858年)における開港5港(箱館、新潟、神奈川、神戸、長崎)の一つであり、幕末から明治初めにかけて伝道を開始したキリスト教各派の会堂が、函館港に面する函館山の山裾斜面に集中的に存在する。その範囲は直線で3百メートル足らずである。こうした歴史的・地理的背景を利用して、それぞれの教会を順次訪ね、約30分ずつ各教会の特徴的な音楽に触れていただこうというのが企画の趣旨である。
土曜日の午後1時30分、いちばん坂下に位置する教団函館教会からツアーは始まった。参加者はほぼ170人、各教会で待機していた人々を加えると最終的には250人を……
「あなたがたは、何を見に荒野へ行ったのか」。風にたおやかにそよぐ水辺の葦、着心地の良い服を着飾った高貴な人々だったか。主の問いかけにどう答えるであろうか▼荒野では熱風が吹きつければ、昨日咲いていた花も今日はもう枯れている。水の豊かな国に暮らす者には想像できない厳しさかもしれない。では、瑞々しさに満ちたこの国に荒野はないだろうか。わたしたちの間に殺伐とした荒野は、命を恐怖に陥れる脅威はないだろうか▼ひとりの教会員が、震災直後からこの2年に亘り、被災したひとつの地域に通い続けている。彼女は絵を描くことを生業としている。子どもたちを集めて絵を描かせている。色の乏しかった絵が少しずつ色を取り戻してきたそうだ▼震災で昨日まであった暮らしが一瞬で流されてしまった。すべてを流されてしまった地が麗しさを取り戻すことができるよう願う▼荒野にあったのは、声であり、預言者、いやそれ以上の者である。これが主のお答……
ルカによる福音書8章22〜25節
メッセージ 雲然俊美
主イエスの呼びかけ
「向こう岸に渡ろう」、主イエスは弟子たちに呼びかけられました。「向こう岸に渡ろう」、主イエスは私たちに呼びかけておられます。
弟子たちと同様に、私たちも主イエスの呼びかけに応えて、福音を宣べ伝えるために一歩を踏み出します。伝道は主の呼びかけを聞き、その促しに応え、主と共に出かけることです。
私たちはさまざまな理由(言い訳、口実)を上げて、なかなか一歩を踏み出そうとしないことがあります。そのような時にこそ、私たちは自分の思いにではなく、主のみ声に聞き従わなければなりません。
風と荒波の中で
弟子たちは船出しました。しかし、その舟路は決して楽なものではなく、風に悩まされ、荒波にもまれる旅路でありました(22~23節)。弟子たちの中には、かつてその湖で漁をすることによって生計を立てていた……
朝、幼稚園の園庭で遊んでいるとベテランの保育者が私のところに来て言った。
「ともちゃんはジジそっくりね」
(私の孫が幼稚園年長組)
「どこがそっくりなの?」
「直感で行動して結果として周りに迷惑をかけている」
そばにいた副園長が言った。
「そうそう、昨日、園長先生はボールをいきなり蹴飛ばして、そのボールが水溜まりに落ちて、泥水が回りの園児にかかって迷惑をした」と追い討ちをかけた。
確かに直感で動くことが多いということは否定しない。
その結果として迷惑をしていると言われると抵抗があるが、教会員も同じように思っているに違いない。
迷惑をかけ続けて、42年伝道者として、園長として用いられてきたことは、教会員の忍耐と主の憐れみによるものだ。
しかし、その反省をしつつも、経験と信仰と学びに基礎付けられた直感で行動することは、重要なことだと思っている。
教団議長に再選……
雲然俊美教団書記は高校の後輩、高橋和人東北教区議長は同郷、邑原宗男奥羽教区議長は最初の赴任地の2代前の伝道師である。これからも東日本大震災のことを心に留めて、出来るだけのことはしたいと思っている。
献身のきっかけとなったのは、フランソワ・モーリアックの『イエスの生涯』を読んだこと。その日のうちに新約聖書を買いに行き、翌日、教会の門を叩いた。その年のクリスマスに受洗、年が明けたら神学校を受験していた。神学校を卒業してからは、大曲教会、白川教会、松江北堀教会を経て、現在、玉川教会を牧会している。
趣味は若い頃から続けている家庭菜園と読書。教会の庭では、薩摩芋、里芋、ピーナッツ等、地面の下に成るものを栽培している。読書は、中学3年生の頃から1日1冊を心がけて来た。新報主筆を担うようになってから、読書量は落ちたものの、今でも週に3冊程は読むようにしている。最も影響を受けた作家は、聖書やキリスト……
毎週の礼拝や特別な集会などに役立てていただきたいと思って作られました。
それぞれの教会で、このパンフレットに掲載された数々の工夫が役立つことを願っています。
《2012年10月31日発行》
《編集・デザイン/伝道アイデアパンフレット編集の会》
《印刷・製本/株式会社シャローム印刷》
《発行者/第37総会期日本基督教団伝道委員会》
《目次》
◆広告・宣伝
◆新来者への対応
◆集会
◆こども
◆バリアフリー
◆伝道力
◆伝道のビジョン
※1部200円の頒布額でお分けすることが出来ます。教団事務局にお問い合わせください。
※日本基督教団公式サイト(https://uccj.org/kyodan/)で関連データーのダウンロードや閲覧をすることができるようになる予定です。
伝道への熱意を受け継いで
橋本教会牧師 須田 拓
私の遣わされている橋本教会は、神奈川県北部の相模原市にあり、東京都との県境近くに位置する。この地で、戦後間もなくの1946年、2人の信徒によって家庭集会と日曜学校が始められた。
うち一人は、救世軍の士官として各地で伝道に当たり、やがて救世軍を離れて神学校に学んだ後、一信徒として教会を支えてゆく決断をされた方である。もう一人は、かつて新潟での集会でその方と知り合った方で、同じ市内に移り住んでいた2人が町でばったりと再会し、この地に福音をとの強い思いで意気投合したのである。
やがて、隣の相模原教会が設立されるとそれに合流したが、やはり橋本の地に教会をとの祈りから、1969年に橋本での開拓伝道を開始、7名が相模原教会から移籍し、1970年に橋本伝道所が開設された。
このように信徒の伝道への熱意によって橋本教会は始まり、まず駅から徒歩……
多田一三氏(隠退教師)
12年9月5日逝去、76歳。大阪府に生まれる。'66年関西学院大学大学院修了、'63年中津教会に赴任、'93年より12年まで九州キリスト教社会福祉事業団に勤め、隠退した。遺族は妻・多田玲子さん。
石川直一氏(隠退教師)
12年11月27日逝去、88歳。静岡県に生まれる。'57年農村伝道神学校を卒業、'58年興部教会に赴任、下川教会、藤崎教会を経て、'99年まで沼津岳南教会を牧会し、隠退した。遺族は妻・石川美佐子さん。
2・11は、国民の祝日に関する法律で『建国記念の日』とし、「建国を偲び、国を愛する心を養う」と規定されています。この日は神話上の人物である神武天皇が紀元前660年2月11日に橿原に宮を建て即位した日とされる日で、1874年以来『紀元節』として守られてきたものです。それを、1967年に『建国記念の日』とし、祝日とされました。
けれども、所詮神話です。紀元前660年2月11日が建国の日と考える人は、少なくとも日本の古代史の専門家の中にはいないでしょう。紀元前660年2月11日に、奈良の橿原に、強力な統一国家が建国され、天皇という祭祀と政治を司る大王が存在したと考えることは、通常できないからです。また、統一国家の形成や天皇制の確立、天皇という名称の使用は、紀元645年(一巳の変)から712年(日本書紀成立)の間に行われたと考えるのが一般的ですから、紀元前660年2月11日が歴史的に根拠のある日……