東日本大震災で被災した福島教会の新会堂献堂式が3月21日、県内外から143人が出席して行われた。
鍾楼の「作新人の鐘」を鳴らして献堂式は始まり、「ここに子どもがいます」と題した説教で、似田兼司牧師は、「大震災の年の末に着任した時、福島市には子どもの顔が見えず、声が聞こえなかった。日曜学校も1年間休校せざるを得なかった。翌年再開したが、生徒は会員の孫1人だった。ようやく、市内に多くの子どもを見かけるようになり、『ここに子どもがいます』という聖書の御言葉(ヨハネ6・1〜15)を思い出した。取り壊した時、近隣の人は『もう教会は終わりだ』と思ったそうだが、神がこの新会堂を与えて下さった」と語った。
福島教会は、1886年創立、129年目を迎える由緒ある教会で、旧会堂は1909年、来日3年目のヴォーリズが日本で最初に設計した教会建築。2001年、国の登録有形文化財に指定されていた。……
第2回将来構想検討委員会は、3月20日、委員長の開会祈祷にはじまり、教団会議室において開催された。委員全員の出席に加え、担当の道家紀一幹事およびこの日は特別に長崎哲夫総幹事の陪席があった。長崎総幹事からは、必要に応じて、委員長の許可を得て、発言があり、委員会の議事進行は活発に進められた。
まず、書記より第1回議事録案が朗読され、設置目的の確認にはじまり、各委員の発言要旨、今後の進め方などについて確認し、記録を承認した。第1回は主に自由討論を中心として、扱う可能性がある個別のテーマとその意味について、各委員がそれぞれの意見を述べることをした。また、グランドデザインの構築とそれを単に机上の理想論に終わらさないためのロードマップ作成の重要性が共通認識となった。
今回はそれを受けて、委員長方針に沿って、今後取り扱うべき事項についての整理を開始した。議論をリードする小テーマが複数提……
3月17日、教団会議室において第2回宗教改革500周年記念事業準備委員会が開かれた。出席者は、公務で関西出張中の石橋秀雄議長以外の委員4名と、長崎哲夫総幹事、道家紀一総務幹事、大三島義孝宣教部幹事、加藤誠世界宣教幹事であった。
前回議事録確認後、岡村恒委員長より、宗教改革500周年を記念してのルーテル教会とカトリック教会による共同文書『争いから交わりへ』(教文館、2015年、原題“From Con-flict to Communion”)が紹介された。改めて宗教改革史を共に振り返り、〈対抗宗教改革〉によって日本にキリスト教が宣べ伝えられたこと、宗教改革が清教徒を新大陸へ送り出し、さらに日本へのプロテスタント・キリスト教伝搬に重要な役割を果たしたことなどを再確認した。
そして、日本基督教団が「宗教改革の福音主義の伝統に連なる」教会として、宗教改革500周年を、神を誉め讃える……
藤木正三氏(隠退教師)
15年1月22日逝去、87歳。大阪府に生まれる。55年に関西学院大学院を卒業、同年より暁明(64年千鳥橋、80年西九条と改称)、京都御幸町教会を経て93年に隠退。
遺族は息・藤木大三さん。
柏木和宣氏(隠退教師)
15年2月23日逝去、81歳。群馬県に生まれる。58年に同志社大学大学院を卒業、同年より尼崎、摂津三田、琴浦、紫野、倉敷教会を経て03年に隠退。05年に復帰し、湖山、平安教会の代務を務め、09年に隠退。
遺族は妻・柏木耿子さん。
登美丘教会は大阪府堺市大美野に位置します。1933年(昭和8年)、旧日本基督教会河南教会(現在の河内長野教会)の牧師・信徒が大美野に青空日曜学校を始め、そこに集まった母親たちの聖書集会から教会が誕生しました。更に遡ると、大阪・奈良・和歌山の各地に福音の種を蒔いた「わらじ履きの宣教師」ヘール先生の働きを忘れるわけにはいきません。
一昨年、教会創立80周年記念事業として教会堂及び牧師館の全面改築を行い、新しい思いで歩み始めたところです。人間の思いを超える主の御業に驚き感謝すると共に、篤い祈りと献金によりご支援下さいました全国の諸教会・兄弟姉妹の皆様にこの場を借りまして心よりお礼を申し上げます。
主が与えて下さった器を、主の御業のために十分に用いさせて頂くことが私たちの祈りです。教会堂が地域にあって、礼拝・伝道・教育・牧会の諸機能を十分に発揮するために中長期的展望と具体的な計画……
結婚式を終えて家に帰るや否や、夫(木村栄寿牧師)は「座って下さい」と言い、「あなたの御言葉はわたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯」(詩編119・105)を読み、「あめなるよろこび」を歌った。このようにして結婚の日々は始まり、この御言葉と讃美は夫が召された今も自分の存在を貫いている。
水戸の偕楽園近くに生まれ、3歳の時に「子ども会にどうぞ」と招かれて、兄姉と一緒に行った先が教会学校だった。その体験があるので、戦後、社会も自分も揺れ動く中、教会に飛び込むことができた。水戸教会で受洗。結婚後には、教会に、また静岡英和女学院の教務教師として遣わされる夫と共に歩んだ。
どの教会においても、忘れがたい経験がある。教会の中での試練や争いも幾度も経験した。しかし、それらを超える不思議な主の導きをいつでも与えられてきた。語りつくせない思いの中で、佐渡教会の大雪の日のことは今も鮮やかに思い……
1月末から2月初旬の2週間、2004年の解散以来疎遠になっていた旧日北米宣教協力会 (JNAC)関係諸教団をトロント、ニューヨーク等、何処へ行っても連日零下10度のなかを訪問して回った。此処では、関係者との旧交を温め何よりも3・11の東日本大震災への見舞いと協力への返礼、国内キリスト教学校と教会への各教団派遣の宣教師41名と教団から関係教会への派遣宣教師7名等、更なる相互の関係強化の 確認、後藤健二さんへの弔意を受けたことへのお礼を申し述べた。
この公式訪問の動機となった「アジア太平洋フォーラム」(APF)は、マンハッタンにある国連関係チャーチセンターで行われた。テーマは、今や先進諸国共通の使命「青年伝道」であり、最近目立つ教会青年の自殺問題等も取り上げられた。1970年代終盤、JNACに在日大韓基督教会も参入した前後、NYのストーニーポイントに出席したことがある。あの時代の教会……
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわ……
聞きやすい説教、一方、深みや力強さを
2月24日から26日にかけて、春季教師検定試験が行われた。今回の検定試験の受験者数は、補教師試験55名、正教師試験18名、計73名であった。
例年、春の検定試験は、キリスト教会館(東京・早稲田)で行われてきたが、耐震工事に伴い、現在使用できないため、信濃町教会(東京教区)を借りて行われた。初めての会場ではあったが、事務局の入念な準備のおかげで、大きな混乱はなく、支障なく行われ、感謝であった。
試験全体の印象は次の通りであった。まず、補教師の提出試験である釈義と説教は、復活の主イエスとトマスの出来事、そしてモーセの召命の出来事が課題箇所とされた。全体的に、聖書を物語るように語る説教が多く、優しい言葉遣いのものが多かった。これは、最近の傾向でもあるが、聞き手に配慮した聞きやすさを目指した説教が増えてきている。
しかしその一方、肝……
2月26日、39総会期第3回(通算第37回)救援対策本部会議を、教団会議室にて開催した。最初に募金状況として、2月26日現在で、国内募金の総額が9億6345万5451円(前回より約2600万円増)、海外からの献金の総額が3億8587万5005円(同約630万円増)となっていることが報告された。また、募金については本年3月末日をもって終了することを確認した。
続いて救援対策室及び担当幹事から、被災教会会堂・牧師館再建復興支援・貸付執行および返済状況、こひつじキャンプ開催(台湾にて)報告及び計画、RCA並びにEMSからの献金入金、被災地支援演奏会計画、台湾からのボランティアチーム来訪予定(7~9月)等の報告がなされた。
被災教区報告として奥羽教区からは、宮古教会会堂・幼稚園舎建築状況、一関教会礼拝堂修復工事計画、江刺教会礼拝堂建築計画、震災4年を覚えての礼拝開催予定等の報告が……