かの先輩牧師から「荒野の声、苦労してるね」と、再度声を掛けてもらった。新報をよく読んでくれている証し、とありがたく助言を聞いた。苦言、批判、非難とあまり動揺の振幅が振れなくなった。鈍くなったのか、図太く、顔の皮が厚くなったのか。慢心でないことを祈るばかりだ。▼パウロは、神の武具を身に着け、帯を締め、胸当てを付け、しっかりと履物を履き、盾、兜、剣を取れ、と言った。実際の鎧ではない、実際の剣ではない。堅牢な鋼や皮で出来た武具を身に着けずとも立っていられるのは、キリストの臨在と聖霊の内住を得ている者たちの実感でなかろうか。空っぽの胸は吹きまくる風に右往左往するが、満たされた胸は風を耐えるしなやかさ、強さを持つ。強かな足は一歩でも前に福音を運ぶ。▼けれども、その強さは、世界を動揺させるような原理主義者たちの持つ破壊的、暴力的な力ではない。教会は十字架にあげられたキリストを仰いできた。人の貧しさに……
台湾・第3回キャンプ実施
2015年、新年明けてすぐの1月4日~7日まで第3回こひつじキャンプin台湾が実施され子ども13名、保護者7名、スタッフ5名の計25名が参加した。
最初に渡された行程表に私は驚いた。2日目のプログラムでは10時~12時「遊覧船での自然観察と浜辺での水遊び」、13時~17時30分「公園での自由遊び」というような大枠のプログラム立てだったからだ。子どもたちが飽きるのでは、という私の心配をよそに、汗ばむほどの陽気の浜辺で子どもたちは砂遊びをし、打ち寄せる波の水しぶきを楽しみ、かにを捕まえては掘った潮だまりに入れて眺めていた。
午後からの4時間半はドッチボール、サッカー、バスケットボールと1つのボールで屋外コートを縦横無尽に駆け回わり、鬼ごっこをして遊ぶ。広場ではボール遊び、凧あげ、シャボン玉飛ばしだ。初めて会う子ども同士でも外遊びを通してすぐに打ち解……
2014年11月19日に、第39総会において選任された監査委員3名(服部能幸・神奈川教区、奥山盾夫・東京教区、辻康・中部教区)と退任する2名の監査委員(寺門文雄、岩澤嵩)とで、引き継ぎのための新旧合同委員会を、教団会議室において開催した。
その際、新監査委員への引き継ぎ事項として、公認会計士(任意)監査の必要の有無について、また、経理規定等の整備による内部統制の一層の確立の急務であることなど多くの意見が述べられ、新旧の委員で共有することができた。
また、今期の重要な課題としては、引き続き、東日本大震災特別会計が重要な関心であることに変わりがない旨が確認され、12月11日に、当該会計の進捗状況について監査を行うことが確認された。その上で、12月11日の当該監査においては、被災教会等への「長期貸付金」の状況と、その20年間にわたる返済計画について、計良祐時財務幹事の下で作成さ……
中村 博氏(隠退教師)
14年12月26日逝去、83歳。和歌山県に生まれる。59年に同志社大学大学院を卒業、同年より岡山博愛会、長岡、水沢、新潟、松山、コイノニア、倉吉教会を経て、00年に隠退。
遺族は、妻・中村まき子さん。
泉 琉江氏(隠退教師)
15年1月8日逝去、95歳。沖縄県に生まれる。44年に日本基督教女子神学専門学校を卒業、46年より福岡中部、犬飼、浜田、隈府、瀬高教会を経て、86年に隠退。
青森松原教会は、本年10月に創立124年を迎えます。私が赴任してから3度目の冬を迎え、毎年様々な気づきが与えられています。
1年目に気づかされたことは、教会が地域の方々に知られていないという現実でした。現在地に移転してから約30年。タクシーに乗っても場所がわからない、毎年行なっている行事チラシを配布しても「初めてやるの?」と聞かれる。「まず教会の存在を知っていただかなければならない」との想いを、強く抱かされた初年度でした。
2年目に入り、通りに面した場所へ、夜はLEDライトで光る大きな案内看板を設置し、各案内チラシも配布範囲を拡大、町会の様々なイベントに携わり、教会ホームページを開設、教会フェイスブックも開始しました。
地域との交わりが密になるにつれ、少しずつ地元にも教会の存在が浸透していきました。町会役員やその家族たちが伝道集会等に出席してくださるようになり、町……
2・11は、国民の祝日に関する法律で『建国記念の日』とし、「建国を偲び、国を愛する心を養う」と規定されています。この日は神話上の人物である神武天皇が紀元前660年2月11日に橿原に宮を建て即位した日とされる日で、1874年以来『紀元節』として守られてきたものです。それを、1967年に『建国記念の日』とし、祝日とされました。
けれども、所詮神話です。紀元前660年2月11日が建国の日と考える人は、少なくとも日本の古代史の専門家の中にはいないでしょう。紀元前660年2月11日に、奈良の橿原に、強力な統一国家が建国され、天皇という祭祀と政治を司る大王が存在したと考えることは、通常できないからです。また、統一国家の形成や天皇制の確立、天皇という名称の使用は、紀元645年(一巳の変)から712年(日本書紀成立)の間に行われたと考えるのが一般的ですから、紀元前660年2月11日が歴史的に根拠……
茨城と言えば納豆」、「納豆にはねばりがある」、「納豆のようにねばり強く」、隣の伸ちゃんがすかさず、「あなたはねばり強くない」と指摘する。
後藤道子さんが腹話術と出会ったのは、短大卒業後、キリスト教主義の幼稚園の教諭となって3年目に、職場から言われて参加したロゴス腹話術の初心者研修会だった。
春風イチロー師匠(野田市朗牧師)が、人形と聖書を語ることを始め、研究会が発足。多くの人が集っていた。
研修では大変厳しく、激しい口調で檄を飛ばす師匠は、一方で、優しく聖書の福音を説き、温かい言葉で励ましてくれた。その人柄と出会い、キリスト者の母を通して知っていた神様が、直接目の前に迫って来たという。この出会いを通して、洗礼に導かれた。
その後、後藤さんは、忙しさもあって、腹話術からも、教会からも離れて暮らす時期を過ごす。この間、次男、伸介ちゃんが生まれてすぐに亡くなると……
今冬は、ことのほか寒いと言われた。東京の気温は、昨秋、天気の定点観測をビルの谷間の気象庁から皇居の堀内に移したことで、以前よりは2、3度低い発表である。だが、この寒さが加わるほど冬晴れの空の青は深まるが、それに比例して雪深い日本海側地域や今だ放射能残土そのままの被災地の荒野の厳しさを思う。
少年時代、信州・上田まで信越線のD51で汽車通学をした。朝7時、家を出ると辺り一面が木花(樹氷のことで「きばな」と言った)。明け方の零下10数度に空気中の水分が木の枝に凍りつき、雪とは違う白の世界。そこを教科書の鞄を抱いて駅へ急ぐ。それは、日曜日も同様、今度は聖書と賛美歌を手に町の坂の上にあった教会へ直行。その頃は、あの辺りも雪多く、たまに吹き溜まりでもあれば、道なのか川なのかの区別もつかなくなる。その道行は格闘ごときものと化し、たいした防寒具もない上着に雪が張りついた。それは修行僧にも似て、……
わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。 《コリントの信徒への手紙一3章9節》
礼拝が奇跡
わたしが尊敬する伝道者の講演を聞いた。その講演の中で「礼拝が奇跡だ」と語られた言葉が心に残っている。教会の紛争の中で赴任した伝道者の「礼拝が奇跡だ」との言葉に感動した。
どのように激しく対立していても礼拝を重んじる信徒たちだ。
一般社会では激しく対立する者同士が共に座ることは出来ない。しかし、どのように激しく対立していても礼拝共同体だ。
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」。「礼拝で慰められ、礼拝で教会が整えられて行った」。だから礼拝が奇跡だとの講演者の言葉が心に残る。
「神の畑」
「あなたがたは神の畑、神の建物なのです」。
(コリントの信徒への手紙一3章9節)
わたしたちの教会は「神……
信仰・教会 一致にもとづく伝道協力を
石橋秀雄議長
信仰の一致と教会の一致をもって伝道協力を
第39回総会において「伝道資金規則」が制定され、その運用について第39総会期第1回常議員会において検討し方向が決定しました。全教団的に具体的な伝道協力が実施されることになりました。
伝道協力を全教団的に取り組んでいこうとする時、そこで求められるのは信頼関係です。この信頼関係は人間的信頼関係ではありません、信仰の一致にもとづく信頼関係です。
第39総会議長挨拶では、「信仰の一致と教会の一致にもとづく伝道協力を」と訴えました。日本基督教団信仰告白と教憲・教規の中に、教団の教会がどのような教会であるかということが明確に示されています。信仰告白が脅かされ、教団の教会の一致が脅かされるとしたら、信頼関係をもって伝道協力を進めることは難しいのです。「信仰の一致と教会の一致」にもとづく信……