秋田桜教会・下浜教会
教団の課題の深奥には、地方の問題が
秋田桜教会の誕生
「自立した教会の使命は教会を生み出すことである」。秋田市の中心部にある秋田楢山教会(1888年創立)の開拓伝道への幻によって、秋田桜教会は生み出された。1983年、伝道に着手し、秋田駅東側、新興住宅地である桜市に家を借り、秋田楢山集会所が開設される。開拓伝道専任の牧師として、雲然俊美、真理子両牧師が赴任し、全力を投じる。土地を購入し、秋田楢山教会の会員115名の内、17名が桜市の集会に移ることを決意。1988年、秋田楢山教会百周年事業として、会堂を建て、伝道所が開設された。その後、受洗者および転入会者が与えられ、1990年5月に第二種教会設立式、秋田桜教会となる。俊美牧師は、「自分に与えられた思いによってではなく、教会の業の中で開拓伝道に用いられたことが良かったと思う……
昨年の夏に開催された同志社神学協議会において、会衆派から見た教団の構造を「団子とそれを貫く串」とするモデルが提示され、参加者全員から、ほぼ異論なく受け入れられた(と思う)。
団子が各個教会であり、それを貫く串によって、その一体性が確保されているという意味である。
会衆派の伝統に立つ者の一人として、私もこのモデルに異存はない。ではこの串とは何か。私見では、それは教憲・教規以外には無いであろう。会衆派の伝統に立つ教会(また信徒)と雖(いえど)も、共有するルールは順守しなければならない。小学生でもわかる理屈である。
同時に、教団にはこのルール遵守のみが求められるのであって、個人の思想や政治的決断に関する事柄を「総会決議」によって拘束し、就中何らかの「方針」を過半数で採択することによって、各個教会に「体質改善」を迫るなどということは、会衆派の伝統から見た時に、……
「エッファタ」との御言葉によって
2007年、日本で唯一の私立でキリスト教主義の聴覚障がい児学校、日本聾話学校の校長となった。大学時代に社会福祉を学び、就職を考える際に、教授に紹介されるまま見学に訪れたのが、この学校との出会いであった。それまで聴覚障がい児と向き合ったことは一度もなかったが、学校の生徒の屈託のない笑顔に魅かれ、そのまま働くことを決意。現在まで第一線に立ち、子どもと共に歩み続けてきた。
この学校の最大の特徴は、手話を使わない聴覚主導の口話法教育にある。人工内耳や補聴器によって、僅かな聴力を引き出し、愛情をもってひたすら語りかける。言葉は、コミュニケーションの手段であるばかりでなく、人間が思考し、人格形成をする上で決定的な役割を果たしている。子どもたちが聴き、話す力を身につけ、豊かな交わりに生きる人格として成長することを目指している。
この……
http://www.bp.uccj.or.jp
★新刊から
『聖書は語りかける』W・ブルッゲマン:著、左近豊:訳 現代を代表する旧約聖書学者が聖書全体から聞き取った、苦悩に満ちた現代社会に語りかける力強い神の言葉。2、310円
『サウロ--キリスト教回心以前のパウロ』M・ヘンゲル:著、梅本直人:訳 キリスト者以前のパウロの出自、教育、迫害者としての姿などを、ユダヤ教やヘレニズム資料を駆使して考察する。2、520円
『古代末期に生きた最初の現代人--アウグスティヌスに聴く』茂泉昭男:著 「正義の戦争」はあり得るのか?......。現代の問題を1600年前に考察していた思想家の叡智をやさしく紹介する。1、260円
『うさおとあるく教会史』しおたになおや:著 「うさお」とゆかいな仲間たちが旅するキリスト教2000年の歴史。歴史展開と偉大な信仰者……
神からいただく導きの中で 森稚子(牧師夫人研究委員会委員長)
世界で最初の牧師夫人は誰でしょう。マルチン・ルターの妻カタリーナと言われています。それを知ったのは、第17回全国牧師夫人の会で千葉支区牧師夫人会の皆さまの発表によるものでした。時代は違えどもカタリーナは信仰を護るために、夫と教会、地域に仕えた女性でした。多くの人々の食事を賄うため、畑を耕し、品物を売って現金を得ようとする姿は、特に会堂建築などを経験した者にとって共感できる事柄でした。
牧師夫人研究委員会は、全国教会婦人会連合の小委員会の一つです。1967年に婦人伝道専門委員会が主催した全国集会で、「私の訴え」と題し、2人の牧師夫人からの率直な発題が行われたのを機に、牧師夫人の手による「牧師夫人生活実態調査」が発表されました。その結果、牧師夫人一人で担える問題ではなく、日本の教会全体の課題であるとし……
坂上昌二氏(小石川明星教 会主任担任教師)
10年12月2日、逝去。74歳。青森県に生まれる。'58年早稲田大学を卒業、'97年准允、同年小石川明星教会に赴任、'99年受按。遺族は妻・坂上昭子さん。
西川哲治氏(隠退教師)
10年12月15日、逝去。84歳。東京都に生まれる。'49年東京大学を卒業、日本基督教神学専門学校夜間部を終了し、'49年大塚教会に赴任、'51年豊島岡教会に名称変更、02年まで牧会した。遺族は妻・西川都美子さん。
三宅島伝道100周年 倉橋康夫
当支区の特徴は、伊豆諸島を含んでいることです。伊豆七島の内、伊豆大島に2教会(大島元村、波浮)、八丈島に1教会、新島に1教会、三宅島に1伝道所があります。
夫々の教会には、長い歴史があります。波浮教会も創立は1946年ですが、前史を加えると、117年の歴史があります。三宅島伝道所の場合も、伝道所開設は1955年ですが、前史を含んで本年「三宅島伝道100周年」ということになります。
そこで、支区常任委員会の提唱で、記念事業を企画しました。第一に、「記念礼拝と祝会」及び「記念コンサート」を、6月13日(月)に行うこと、第二に、記念誌を発行すること、の2つの事業を実施するというものです。記念誌の発行は、来年度にずれ込む見込みですが、前者の礼拝と催し物は、期日を定めていますから、鋭意準備に取り掛かっているところです。
当支区には、このように離……
2月1日に第37総会期第1回宣教研究所委員会が開催された。今期の委員は《長》宮本義弘(沼津教会)、《書》長谷川洋介(石岡記念教会)、飯田敏勝(大曲教会)、上田光正(美竹教会)、熊江秀一(新津教会)、神代真砂実(東京神学大学)、寺田信一(海老名教会)で担当幹事は道家紀一、担当職員は新名知子である。
まず初めに宣教研究所規定に基づき活動を行うことを確認した。宣研の働きについては教団内にいまだに充分な認識があるとは言えず、資料収集やデータ収集をする機関と思われがちであるが、宣教研究所規定第3条には「この研究所は研究機関であり、本教団の宣教と教会形成に関する基本的、実際的問題を研究し、常議員会並びに諸委員会等に対して研究成果を報告して、教団の宣教活動を担う」と積極的な位置づけがあり、主の御前にこの責務を果たしたい。
続いて前期委員会よりの申し送り事項の確認を行った。……
2011年1月10日(月)、日本基督教団西千葉教会を会場にして、第18回千葉県信徒大会が開催された。45教会から234名の教職、信徒が集められ、会場は熱気に満ち溢れた。一つの教会から何十人もの参加者が与えられた教会もあったようである。大会のテーマは「つなげよう信仰の輪」。信仰の継承という縦のつながりと、教会同士の横のつながりを意識したテーマである。
大会は、第1部の礼拝からスタートした。説教者には日本基督教団総幹事の内藤留幸牧師が立てられた。礼拝ではヨシュア記24章14節~15節と、マルコによる福音書10章13節~16節の御言葉が朗読され、総幹事は説教の中で、それらの御言葉から、家庭、子どもについてを強く意識しながら、主に信仰の継承について、自身の豊富な牧会経験の中から、様々なケースを引き合いに出しながら熱く語っていった。
総幹事は、信仰の継承は現在の日本基……
2011年2月1日、日韓教会交流史研究会が韓国・長老会神学大学と聖学院大学とによる共同研究会として開催された。この研究プロジェクトは両大学と長年にわたって深いかかわりをもつ、池明観(元東京女子大学教授)、康仁徳(元韓国統一省長官)両氏の共同提案から始まった。その提案趣旨には「日韓のキリスト教史を1910年を起点に、日韓関係の未来に向けて前向きに捉えなおす。北朝鮮、中国を視野に入れ、北東アジアのキリスト教会の交流と協力の基礎を築く。また研究の基礎に第二次世界大戦後に制定された日韓両国の憲法研究を置く」と記されている。
今回は第1回目として、先行研究の学びと検討を主眼とし、3名による講演発表がなされた。
最初に、「1910年までの日本側から見た日韓キリスト教会交流」との題で、原誠氏(同志社大学神学部教授)が講演、その当時の日本における各教派の教会指導者たちの発言……