秋田桜教会・下浜教会
教団の課題の深奥には、地方の問題が
秋田桜教会の誕生
「自立した教会の使命は教会を生み出すことである」。秋田市の中心部にある秋田楢山教会(1888年創立)の開拓伝道への幻によって、秋田桜教会は生み出された。1983年、伝道に着手し、秋田駅東側、新興住宅地である桜市に家を借り、秋田楢山集会所が開設される。開拓伝道専任の牧師として、雲然俊美、真理子両牧師が赴任し、全力を投じる。土地を購入し、秋田楢山教会の会員115名の内、17名が桜市の集会に移ることを決意。1988年、秋田楢山教会百周年事業として、会堂を建て、伝道所が開設された。その後、受洗者および転入会者が与えられ、1990年5月に第二種教会設立式、秋田桜教会となる。俊美牧師は、「自分に与えられた思いによってではなく、教会の業の中で開拓伝道に用いられたことが良かったと思う」と振り返る。教会員一人ひとりの献身が牧師を支え、牧師の献身が教会を励ます時に、豊かな業が生まれて行くことを教えられる。この間、児童文庫を開き、多くの子どもたちが集められた。70名近い子どもが集まった時もあったという。また、パイプオルガンを導入し、コンサートを通して地域の伝道を展開している。現在は、現住陪餐会員42名の群れとなっている。礼拝出席は、朝夕の礼拝を合わせ30名程である。
献身の思いを与えられた時
教団書記に選ばれた主任担任教師、雲然俊美牧師について触れたい。
秋田で生まれ育ち、大学進学の際に故郷を離れ、茨城で学生生活を送った。世の不条理と、その原因を学問的に探究しようと、社会学を学んだ。
紛争の余韻が残る時代、統一原理の集会にも顔を出したことがあった。秋田に戻り就職する中、「聖書を用いている新興宗教に関わったのだから、キリスト教会では聖書がどのように語られているかを聞いてみたらどうか」との知人の勧めによって横手教会の門をたたき、主イエスと出会う。
信仰を与えられた時が、献身の思いを与えられた時でもあったと言う。それは、珍しいことなのかもしれないが、主イエス・キリストとの出会いとは即ち献身であり、ごく自然な成り行きだったのだそうだ。
神学校では旧約聖書を専攻。現在は教会の牧会と共に、原理問題にも取り組む。
四国の教会で育った真理子牧師とは神学校時代に出会った。卒業したら「秋田で」とは思っていなかったが、「地方で」というのは二人の暗黙の了解事項であったと言う。それ以来、二人三脚で主の福音を宣べ伝えている。
地方教会の現実と課題
人の流れは、地方から都市へと向かって行く。その勢いは近年顕著になっている。若者は上京し、教会を訪れる子どもの数も年々減少している。
秋田駅から教会まで、雪が積もる道を歩いてみた。車は数台走っているものの、人とすれ違うことはほとんどない。人口が増加している都市部の教会と同じように教勢が伸びることは困難、それどころか、現状維持も大変である。
秋田桜教会をはじめ、秋田市内の教会はまだ良いが、市外の教会が置かれている状況は更に厳しい。俊美牧師が兼牧する下浜教会を訪れた。秋田の市街地から車で40分程の農村地帯にある。農村伝道の幻によって建てられ、会員17名で始まった教会だが、現在は、教会員8名、礼拝出席4名程である。
牧師を呼ぶ体力はないが、かつては、牧師を招聘し、多くの子どもたちが集まっていたこともあったと言う。俊美牧師が、毎主日、秋田桜教会での主日礼拝を終えた後に、礼拝奉仕をしている。秋田桜教会の夕礼拝は真理子牧師が担当する。夫婦で牧会しているからこそ、出来ることだ。地方において、兼牧や協力牧会の体制を整えることは急務だと言う。
また、都市部以上に土地に根差した伝道を展開することが求められる。いのちの電話、大学での講師、ボランティア団体での講演、様々な委員等、活動の幅は広い。それらのつながりから教会を訪れる人も多いと言う。
伝道者として赴任した際、自分の中に伝道の進め方についての思いや計画があった。得意のギターを用いて青年伝道を試みたりもした。しかし、自分の思い通りに進んだことは殆どない。遣わされた土地で、教会を訪れる、様々な重荷や課題を負う人々と向かい合う中で、自分では想像もしていなかったような形で用いられ、伝道が進められて行ったそうだ。
自分から進めようとする計画によってではなく、自分の方へとやって来る与えられた課題と、一生懸命、向かい合って来た結果として今があると言う。
教団書記として
俊美牧師に、地方教会に仕えている者として教団書記の務めを担うことについての抱負を聞いた。書記に指名されたのは、驚きだった。しかし、開拓伝道の業に仕える中、常に他教会との協力を大切にし、地区、教区、教団を重んじて来たことを振り返りつつ、教団の働きに仕えられることは喜びであり、教会員も応援していると言う。何よりも先ず、議長、副議長を支えることに専念したいと語る。また、次のような点にも触れた。都市部の教会が地方教会の苦労を分かっていないのではないかとの思いを抱いてしまうような、心ない言葉を聞くことがある。何気ない言葉の中に無関心を感じることがある。この無関心の中に、都市と地方の距離が生まれるのだろう。教団の課題の深奥には、地方の問題(地方と都市の関係から来る問題と言っても良いだろう)が少なからずあると言う。地方の教会と都市の教会が益々良い関係を築き、更に豊かに、主のご委託に応えられるようになればとの願いは強い。そのためにも、信仰の一致を確立しつつ、伝道へ向けた協力関係を一層深められる教団になるよう仕えて行きたいと語る。
共に祈りを合わせつつ
教会では毎週木曜日の昼と夜に祈祷会が持たれている。昼の祈祷会に出席し、8名の出席者と共に御言葉に聞き、祈りを合わせた。祈りの中心は、日本基督教団が、主の体なる教会として、豊かに用いられて行くこと、そして、そのために仕える俊美牧師の働きが導かれることであった。小さな証しをする機会も与えられた。突然訪れた者を温かく受け入れ、その語る言葉に耳を傾け、それぞれの思いを吐露してくださった信徒の皆さんの姿の中に、地方教会の温もりを感じる。果たして、同じような思いをもって、地方から来る若者を都市の教会が迎え入れてきただろうかと自らを省みつつ秋田を後にした。
(嶋田恵悟報)