支え合いから始まる平和 大江 浩(総主事)
2010年度は、JOCS創立50周年という記念すべき年でした。半世紀にわたる活動が続けられたことを感謝すると共に、50年間、私たちの活動が必要とされる状況が続いたという事実に痛みをも覚えています。公益社団法人として初年度となる今年度は、従来の海外での保健医療協力と同時に、東日本大震災への対応から幕を開けました。JOCSのこれまでの10か月を振り返ってみたいと思います。
東日本大震災被災者支援から
JOCSの被災者支援活動は、私たちの仲間である仙台JOCSが拠点とする東北教区センター/東北教区被災者支援センターへの協力から始まりました。その後釜石に移り、初期段階(~5月末)では避難所での巡回診療や新生釜石教会前の街角保健室の活動を行いました。
第2段階(6月~)はカリタス釜石(カトリック釜石教会)を拠点に、カウンセラーの派遣……
2012年を迎えました。
昨年春の東日本大震災のため、今なお多くの人々が痛みと悲しみ、不安を抱えつつ歩んでおられることでしょう。しかしまた、その中で復興を目指し、前に向かって進もうとしておられる方々もたくさんおられることと思います。こちらにも東北出身で、ご家族のこと、故郷のことで心を痛めている方々がおられます。主の平安とみ支えが被災地の皆さんの上に、復興に取り組む方々の上に豊かにありますように祈ります。
ウェスレー合同メソジスト教会は、日本からアメリカに移り住んだ人々によって始められた教会です。それゆえ、日本にいたとき以上に日本的なもの(行事・食べ物)に囲まれながら、教会生活を送っています。
年末、29・30日は、ウェスレー合同メソジスト教会恒例の餅つきでした。今年は3000パウンド(約1・36トン)のお餅が出来ました。この餅つきは、教会財政を支えることを目的としていますが、若い……
第60回北海教区年頭修養会が、2012年1月9日~10日、シャトレーゼ・ガトーキングダムサッポロで開催され、全道各地から、また、道外からの客人も含め、総勢486名が集いました。
今年は札幌地区が企画・実施を担当し、『お話しください わたしたちは聴きます ~大震災から10ヵ月…~』というテーマを掲げ「聴くこと」を中心としたプログラムが行われました。昨年3月11日に起きた東日本大震災は、多くの人々に深い痛みと悲しみをもたらしました。北海道に住む私たちにとっても、あまりに大きなできごとでした。このことをどう受けとめ、教会の歩みをどう進めることができるのか、いまだ戸惑いと不安の中にあって、今、私たちがなすべきことは「聴くこと」であるとの思いから企画されたプログラムです。そして、2日間の修養会は、『聴くとき』、『分かち合いのとき』、『祈るとき』、『遣わされるとき』の4つの「とき」で構成されました。……
宗教弾圧の証言
その一 「恥は我がもの、栄光は主のもの」
(第8代牧師 大住三郎)
…この間、新しい求道者も起きたが、国家は急速度に太平洋戦争へと傾斜して行き、遂に開戦となったので教勢は遅々として進まなかった。そして遂に翌年の六月二六日朝、忘れられぬ教団第六部教職検挙が起こった。
後年判明した事だが、少者が検挙から外されたのは、余りにも幼い家族が多いので控えたとの事であった。然し厳しい取り調べは二十回近くも時の特高に呼び出しを受け、そのたびに家内と目くばせで、今日は収監され帰宅不可かもしれぬから後事を頼むとの無言の挨拶をして出かけたものであった。
やがて教会は解散を命ぜられ教籍も剥奪された。そして人的資源不足の折故、就職せよとの事であった処、幸い県産連の菜園支所に採用された…。
戦時中教会堂は其の筋の命令で倉庫として使用されたが、これは徴用に準ずるものだったのか。もちろん無……
東日本大震災の発生から、まもなく一年が経とうとしている。
緊急時の支援においては、教団を挙げて、また各教区毎に、精一杯の支援が行われたことを、あらためて感謝申し上げたい。
しかし現地では、ボランティアの減少や政府の無責任な原発事故収束(冷温停止)宣言などによって、被災地の現実が覆い隠され、忘れ去られようとしているのではないかとの危惧を抱かざるを得ない。
教団の支援体制は間もなく長期支援に移行しようとしている。地域社会への支援の継続と共に、これから本格的に始まっていくのが「会堂再建」に象徴される「教会再建」の業である。地域を差し置いて教会(の建物)だけが復興されるのではない。地域により良く仕えるためにこそ、教会の体の再生が急がれるのである。
この機に当たり、教団としては教会再建のための支援が公平かつ明朗なものであることを願い、被災三教区の議長を中心に、再建資金配分のための委員会を立ち……
1945年生まれ。愛媛県出身。
遠州教会員。
父親と兄が牧師である。自らもその道に進むことを意識しなかったと言えば嘘になる。しかし、その道が示されることはなかった。ひょっとすると、そんな信仰者は少なくないのかもしれない。
愛媛県で生まれるも、父親の転任に伴い、間もなく大阪の豊中に。以後27歳まで豊中教会で過ごす。信仰の土台は豊中教会で培われた。
中学2年の時に信仰告白をするも、牧師の息子としてのプレッシャーを感じることが多く、同世代の優等生たちとなかなか交わることができないなど、教会では苦い思いをすることもあった。そんな中、兄が献身をする。当時の牧師の生活の厳しさを知るが故、自分が兄を様々な面で支えることがあるかもしれない、そんなことを思ったと言う。
大学生時代は、紛争真っ只中の時代であった。教会も紛争に巻き込まれ、野次と怒号が響く中での礼拝を体験する。異常な礼拝体験だったと振り……
木本勝子氏(隠退教師)
11年9月30日逝去、89歳。大分県に生まれる。'56年日本聖書神学校卒業、同年犬飼教会に赴任、同教会を'93年まで牧会し、隠退した。遺族は姪・佐藤郁代さん。
古堅宗伸氏(隠退教師)
11年10月1日逝去、71歳。沖縄県に生まれる。'68年日本聖書神学校卒業、新井教会に赴任、'79年まで青海教会を牧会、同年教師退任、03年復帰、08年まで志村栄光教会を牧会し、隠退した。遺族は妻・古堅ふさゑさん。
西堂 昇氏(隠退教師)
11年11月9日逝去、94歳。埼玉県に生まれる。'41年青山学院神学部卒業、同年釧路教会に赴任、牛込教会、本郷中央教会、東京愛隣教会、八戸柏崎教会、仙台五橋教会を経て、'78年より'88年まで本多記念教会を牧会し、隠退した。遺族は妻・西堂ウラさん。
東京教区は、中越地震以来、能登半島地震、東日本大震災に際し、一貫して特設委員会を設け、募金活動を積極的に行って来た。中越、能登募金は、実質2年半でそれぞれ目標を達成したが、中越募金の3年目に能登半島地震が発生し、能登募金3年目の年度終了直前に東日本大震災が襲った。
従って、大災害に対する募金の特設委は05年度以来連続7年間、切れ目なく続いているので、常設委員会と異なって、委員の変動が殆ど無かった。各支区3人の計15人、東日本大震災では、宣教協力学校協議会、日本キリスト教社会事業同盟各1人が加わって17人体制となったが、委員長(永井清陽)、委員も半数が一貫してその任にある。その結果、募金活動に通じた人が各支区に誕生することとなった。
東京教区が大災害の度に特設委を設けているのは、中野・杉並区、市部、西多摩郡を除く東京都と千葉県に5支区、256教会という広大さにあるだけでなく、教団紛争で長……
教師委員会は神学校と教団のパイプ役として、総会期初年度は、教団立及び認可6神学校を問安することになっている。
今総会期においても、10月3日に同志社大学神学部、関西学院大学神学部を、11月22日に東京神学大学、農村伝道神学校を、11月29日に東京聖書学校、日本聖書神学校を問安した。
各神学校独自の課題もあるが、共通していたのは学生数(特に若い献身者)の減少、教師として立てられてからの継続教育(メンタルケアも含めて)であった。教会が献身者を送り出し、大学が神学生を育て教会へ送り、牧師と信徒によって伝道の業がなされて新たな献身者を生み出す。このサイクルをいかに構築していくかが、明日の教団の大きな課題である。
また教師委員会として東日本大震災を覚え、震災を受けた教会教師を問安した。これは、震災の結果として教師謝儀の減額などが懸念されており、それに対して教団は現在のところ対応していないなどの……
12月2日、教団会議室にて、教団救援対策本部第7回会議を開催した。限られた時間の中で、被災地支援活動、教会再建・復興に向けての支援の検討など、多くの案件を取り扱った。
開会の後、国内募金総額が1億8、288万2、056円、海外からの献金総額が1億8、362万4、064円となっていること、および、救援対策本部会計が資料により報告された。
次に、前回委員会において立ち上げた海外献金プロジェクト小委員会より、仙台エマオの専従者公募、エマオ石巻の専従者候補の検討、自殺防止センターの活動支援、会津放射能情報センターへの活動費援助等のことを扱った報告がなされた。
続いて、教団救援対策本部事務局(通称「11号室」)より、西南ドイツ宣教会(EMS)からの指定献金の使途に関する提案(放射能被害を受けた教会付属幼稚園・保育園の入園・保育料減免分の支援など)や、ボランティアが滞在するためのアパート契約の提……