それでもあなたは
2012年新しい年の歩みが始まった。
わたしたちは、年の初めに、新しい一日の始めに、全ての業の始めに「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」(詩編124編8節)との御言葉が響きわたりその確信の中で歩みだすことが出来る。
3・11・246
この時を忘れることが出来ない。
あの巨大地震とその地震がもたらした凄まじい津波の破壊と二次災害としての福島原発の事故は、日本社会を揺り動かし続けている。
地震直後、被災地の教会を問安した後に教団議長声明を出した。その冒頭に掲げた御言葉が、詩編124編8節の御言葉である。
大船渡に住む越谷教会の信徒から津波の直後に電話をもらった。「神のなさることは凄まじい」と、すぐに「それでは何故、教会に行っていますか」と衝撃を受けている信徒に言ってしまった。
「神のなさることは凄まじい」すべては主の主権のもとにある。この信仰……
9月に秋田の湯沢教会54周年礼拝に説教の奉仕をさせていただいた。
豪雪地帯の教会だ。
「この地域では牧師が腰を痛めたら伝道できません」(田谷元義牧師)の言葉に、この豪雪地帯で腰をすえて伝道する伝道者の姿に敬服させられた。
この湯沢の地で熱心に礼拝を献げ懸命に伝道している教会に触れて感動した。
しかし、最も心が熱くさせられたことは、大人の礼拝の前にもたれている教会学校の礼拝だ。
教会学校の礼拝の時間に来て欲しいと言われ、用意してくださった旅館を出た。
教会学校の礼拝は司会者の教師と田谷牧師とわたしの3人だけの礼拝であった。
子どもが一人もいない教会学校の礼拝だ。しかし、田谷牧師は教会学校で準備をしっかりされた説教をされた。
子どもが礼拝に来なくても、湯沢の町の子どもたちのために礼拝が献げられている。
湯沢の子どもたちのために祈られている。このことに大きな意味があるということ……
1971年生まれ。奈良高畑教会員。
東京の世田谷にある大学に進学して、上京。大学の近くの梅ヶ丘に住み、梅ヶ丘教会に出席した。初めて出席したとき、青年会がとても活発で楽しそうに見えた。学生も社会人も集い、皆、CSの教師の務めも負っていた。その交わりに入りたいと強く願ったとき、受洗すればいいんだと思ったことが動機となって、植松英二牧師から洗礼を受けた。
卒業後、奈良に戻り就職。両親が所属し、自身も高校まで通った奈良高畑教会に戻る。今青年会員、またCS教師として、年に2回、近隣の子供たちを教会に導くための「教会であそぼう!」というプログラムを担っている。楽しいチラシは自作である。
サラリーマンであるなら、一度くらいは転職を考えるものかもしれない。北尾伸哉さんも仕事がおもしろくなく、転職を考えたことがある。そのとき、奈良高畑教会の湯谷忠興牧師によって示された聖句がある。コリントⅡ6章2節……
http://www.bp.uccj.or.jp
★新刊から
◇CDで聴く日本の説教《第3回配本》『竹森満佐一』加藤常昭:監修 聖書学者であり、神学教育者であった竹森満佐一は、何よりも教会の礼拝を通してみ言葉を語り続けた説教者であった。吉祥寺教会の礼拝で語られた代表的な説教の録音を二枚のCDに収録。《好評発売中》『島村亀鶴』『榎本保郎』各3570円
◇さんびかものがたりV 《全5巻完結》『平和の道具と 信仰生活の歌』川端純四郎:著 「讃美歌21」の430番以降の信仰の歌の中から、「神はわが力」「山路こえて」「あめなるよろこび」等の歴史的讃美歌、また「球根の中には」等の新しい歌まで、37曲の誕生のドラマを紹介。賛美する喜びがさらに深められるシリーズ。待望の完結。各2520円。
◇『東日本大震災を通して問われたこと 現代日本の危機とキリスト教 東日本大震災緊急シンポジウム』日本基督教団……
釜土 蘭子
(七尾教会員)
1985年、七尾教会に転入会した時にわたしは一番若い現住陪餐会員でした。自分に一番近い教会員でも10才以上離れていました。礼拝出席者も20人に満ちません。東京生まれの私にとっては、都会とは全く違う様々な状況に驚かされる毎日でした。
人口5万人ほどの七尾市。住んでいる人々はお互いのことをよく知っています。教会に新しい来会者があると、それが七尾在住の方であれば、その方がどなたであるかだいたい分かります。匿名の信仰生活などない社会です。
小さな教会は、一つの家族のようです。互いのことをよく知っています。その中でそれぞれが自分の役割を担っています。家族の中でキリスト者は一人だけという状況で、教会の礼拝に集っています。家族の顔色をうかがいながら、教会の奉仕をしています。
牧師のパートナーといっても、一人の教会員にすぎません。教会としてすべきことがあり、誰かが……
田中美彌子氏(隠退教師)
11年3月20日逝去、64歳。東京都に生まれる。'82年東京神学大学大学院修了、同年東村山教会に赴任、鎌倉雪ノ下教会を経て、'84年より08年まで浦賀教会を牧会し、隠退した。
金光賢一氏(隠退教師)
11年10月10日逝去、83歳。長崎県に生まれる。'52年日本聖書神学校卒業、'53年水戸自由ヶ丘教会に赴任、富田林教会、美陵教会を経て'65年より'99年まで富田林教会を牧会し、00年隠退した。遺族は息・行田建さん。
第37総会期の第4回信仰職制員会が11月7日(月)~8日(火)に、委員7名全員の出席のもと教団会議室で行われ、以下の一つの諮問に答申が出された。
【諮問】 信徒の戒規における教区常置委員会の審判の効力について
戒規施行細則では、教師の戒規については第6条で、「審判委員若干名を挙げ、之を審判させるものとする。審判委員において審判したるものは、最終決定とする」とありますが、信徒の戒規については、第11条で「教区常置委員会の議を経て、之を審判するものとす。」とあるのみで、最終決定については触れられていません。信徒の戒規における教区常置委員会の審判と、戒規を執行した教会役員会とは、戒規の最終決定に関してどのような関係にあるのでしょうか。
【答申】
信徒を戒規に附することが出来るのは、その信徒が属する教会の役員会のみです。これは教規第102条(6)および戒規施行細則第9条、第10条が明示して……
第37総会期第1回宣教師支援委員会が、11月7日(月)教団A会議室において開催された。
委員長・横山良樹、書記・上田容功、荒川朋子、シュー土戸ポール、ボルスター相良スーザンによって組織された。海外からの受け入れ宣教師支援が委員会の役割である。
初めに、前回宣教師支援委員会議事録が承認され、事務局より、世界宣教委員会、海外からの震災救援募金についての報告を受けた後、旧CoC(宣教協力協議会)、宣教師支援委員会の沿革、新任宣教師オリエンテーションについての説明がなされた。
新任宣教師オリエンテーションは2004年まで毎年、主に東京に集まって開催されたが、現在は加藤誠幹事が着任した宣教師を個別に訪問している。旧CoC解散後、宣教師と教団との関係は希薄化の傾向がある。事務的な手続は教団を通して行われているが、具体的なお世話は受け入れ先が行っている。今後、宣教師と関係を深め、各々の状況を把握す……
第37総会期第2回宣教師人事委員会が、11月16日(水)、教団会議室において開催された。
まず初めに、現在日本国内で活動している宣教師の近況が紹介された。闘病中の一宣教師が無事に帰国できるよう恢復を願う。
また、近年、北米主流派教会の教勢が退潮傾向にあり、財政難の故、宣教師の支援体制に支障をきたしていること、日本から宣教師を引き揚げる方針の教派があることを確認した。
宣教師の受け入れに関しては、アジア学院(関東教区)に新たにレイチェル・ブラー宣教師が派遣される。さらに、東北教区の東日本大震災被災者支援センター・エマオ石巻の専従者を合同メソジスト教会より受け入れる予定である。現在、2名の派遣希望者があり、時期を違えて迎え入れる。
今回、特に協議がなされたのは、「外国人教師に関する規則」(案)が事務局より提示された今後の宣教師受け入れ体制の整備に関してである。その内容は、宣教師でない外……
▼120年以上の歴史を持つ、東北の小さな教会、その創設期の話。未だ数人しかいなかった教会員の幼い娘が亡くなった。鰻と梅干しの食い合わせによると、記録にはある。食い合わせの真偽はともかく、幼い娘は菩提寺の先祖の墓に葬られた。当時のこと、勿論土葬だ。▼住職は極めて寛容だった。しかし、神聖な場所に耶蘇の娘を葬るとはと、町の青年団から異論が出た。彼らは酒の勢いも借り、気勢を上げて墓地に押しかけ、ついには、娘の墓を曝いた。▼乱暴にも、棺の蓋をこじ開けた青年たちの目の前に、棺一杯に咲く菊の花が現れた。埋葬の時には未だつぼみだった花が、丁度満開になっていた。そして、朽ちるどころか、微笑むような娘のあどけない顔、それは、全く満ち足りたような表情だったと、これも記録にある。▼彼らは、この圧倒的な事実の前に、非を悟り、再びその場に埋葬した。この青年たちの中から信仰に至る者があったかどうかは記録にない。▼お経は……