主 題 「聖 餐」
日 時 二〇〇八年一月八日(火)〜十日(木)
会 場 国立オリンピック記念青少年総合センター
開会礼拝 学 長 山内 眞
主題講演 「聖 餐」 教 授 近藤 勝彦
シンポジウムⅠ 教 授 大住 雄一
教 授 小友 聡
准教授 中野 実
常勤講師 焼山満里子
シンポジウムⅡ 教 授 山口 隆康
教 授 棚村 重行
教 授 関川 泰寛
准教授 ジャンセン
特別講演 「ホスピスとキリスト教」
金城学院大学学長 柏木 哲夫
シンポジウムⅢ 教 授 芳賀 力
教 授 ヘイスティングス
教 授 神代真砂実
閉会礼拝 教 授 朴 憲郁
会 費 二五、〇〇〇円
申 込 案内が届いていない場合は、郵便振替(00160-5-188941 東京神学大学学外活動委員会)に会費を振り込んで下さい。振替用紙の……
村田武一氏(隠退教師)
九月二二日、逝去。七七歳。東京都に生まれる。一九五五年日本聖書神学校卒業後、五六年から九九年まで深沢教会牧師を務め、隠退した。遺族は妻の文子さん。
土合竹次郎氏(隠退教師)
十月三日、逝去。一〇一歳。富山県に生まれる。一九三四年青山学院大学神学部卒業後、日本メソヂスト教会樺太敷香教会に赴任。三六年から七四年まで秋田楢山教会を牧会。その後、八四年まで土崎教会牧師を務め、隠退した。遺族は娘の菊池安子さん。
神の善い業に参加する日々
タヒューン・ヘイゼル
タヒューン・ロバート
(合同メソジスト教会《UMC》からの派遣宣教師)
「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」とパウロはフィリピの信徒への手紙1章6節に記しています。それは大昔そこにいた信徒への約束というだけでなく、伝道するために日本へ導かれた私たちへの約束であるとして受け止め、今、それを確信させられています。この約束と神の愛と恵に満ちた働きと支えがあったからこそ、日本に住んで伝道する忍耐と希望が与えられたと言えます。
ヘイゼルがこの「善い業」に参加するきっかけとなったのは、アメリカのペンルヴァニヤ州の田舎にいた九歳の時でした。教会の礼拝で朗読されたイザヤ書6章8節の神のみ言葉に感動し、「あなたのみ旨ならば私はあなたの宣教師になります」と、心の……
猛暑といわれた夏も終わり、凌ぎ易くなった十月九日(火)に、二○○七年度の伊豆諸島伝道協議会が東京教区東支区内の三崎町教会にて開催された。毎年四月に行われていたが、五月には、伊豆諸島連合修養会が行われたので、今年はこの日の開催となった。
各島の教会から教職と信徒、東京教区各支区から五〇名近くの教職信徒の出席を得、この度日本基督教団総幹事として立てられた内藤留幸師をお迎えし、開会礼拝説教「恐れるな、語り続けよ」との御言葉と説教を頂き、「島における確かな教会形成」のテーマに相応しい励ましとお教えを頂いた。島の教会は勿論、都会の信徒にも有意義な礼拝のひと時であった。
昔は、都会でもよく路傍伝道が行われたが、最近はあまり見かけない。教会の中だけに留まらず、地域に溶け込み、とにかく出て行って、主が共にいて導いて下さることを信じ、何も思い煩わずに恐れず語るようにとの奨励をいただいた。
島の各教会か……
日本基督教会の牧師家庭に生まれる。一番幼かったので礼拝の時間は、一人で牧師館にいる事が多かった。その頃、礼拝堂からの歌声が心に響いてきた。その曲は、ハレルヤコーラスであり、それ以来、心に響く美しい音をいつも求め続けている。
その後、父は教会を辞し、目黒で幼稚園を経営する。園舎の一部が自宅であり家庭環境は余り良くなかった。学生時代は、受験競争とスパルタ教育に大きな反発を覚え、家にあった教育講座や関係書物を読み漁った。暗闇のような現実と、教育の理想の明るい世界との落差にどちらが本当なのかと悩んだ。
少し絵心があって研究所に通う途中、一念発起して一九四四年に地方の代用教員となり、学生生活を終えてから正式な教師となる。絵が好きというだけで美術の教師となったので、絵の何たるかを何も知らなかった。だから、とにかく良い絵を見ようと美術館に通った。フランスの後期印象派、セザンヌの絵を三三……
教会の近くに住む教会員が召天され、当然キリスト教の葬儀が行われた。葬儀にはご近所の皆さんも多く参列された。所用で電気屋さんに寄ると、葬儀には列席されたと言われ、キリスト教のお葬式はよいものですね、と言われる。お話も良く分かりましたとも。
葬儀は召天された方の証を示されるのであるが、それと共に社会の人々に聖書のメッセージを伝えることができる。伝道が深まるときでもある。
そして、葬儀と共に一般の皆さんにメッセージを示すことができるのは結婚式である。
幼稚園の先生が結婚することになり披露宴に招かれた。相手の彼は小学校の先生である。彼の主賓は校長先生で、僧侶でもあるということである。教育者であり、宗教家である校長先生は、さすがに感銘深く祝辞を述べられた。終わったとき、随分長いなあと思った。
次に花嫁さんの主賓である園長(牧師)の祝辞である。園長は、キリスト教主義幼稚園で……
九月十二日、安倍首相の突然の辞任で日本中は大混乱。
その夕方、ある新聞社からの電話取材で「今回の突然の辞任をどう思いますか」とのことで、私なりに感想を述べた。
その後の確認で、「まことさんの字は旧字…眞…でしたね」「ええ」と返事をすると「印字の関係で、新字…真…を使いたい」と言う。
私は、新聞記者たる者が、人の名前を正確にではなく、簡単に間に合わそうとすることに驚いた。
さらに聞いてみると、名前に関しては、他新聞社とも協定ができており、どの新聞社もそうだと言われ、さらに驚いた。
結局は「旧字が使用できるなら名前を出し、使用できないのなら浜松市在住のA氏とする」で、電話を終えたが、翌日の結果は旧字。人によっては、自分の名前の旧字・新字に余りこだわらない方もおられるが、運転免許証をはじめ、他の免状でも、名前が正確でなければ無効のはず。
「名は体を表す」の言葉にもあるように、名前は記……
いと小さき者の一人に
「いと小さき者の一人に。」この聖句は、神宮さんの四〇年に亘る教員生活を支えてきた御言葉である。
戦後、価値観の大転換に人生の本当の意味を問うた。そんな折、金沢教会を会場に開かれていたYMCAの英語クラスに参加したことをきっかけに教会の門をくぐった。従姉がクリスチャンであったこと、他にも教会に触れるきっかけはあったが、教会の門をくぐったことを意識したのはこの時である。
実家は米穀商、父は家業のほか、能楽師として弟子をとるほどの実力者だった。小さいときから仏教色の強い環境で育ってきた。そのような神宮さんがこの英語クラス、また学んでいた師範学校で開かれていた学生YMCAの聖書研究会などを通じてキリスト教に触れ、信仰をすんなりと受入れられたのは驚きである。神宮さんは、「唯、神の招き」と言う。
教員として公立学校一筋で通した。公立学校での働きを続けたのは、伝道の困難……
去る一〇月十二日夜、東京・早稲田奉仕園スコットホールにおいて「陣内大蔵『僕んちは教会だった』出版記念チャリティー・コンサート」(主催=日本キリスト教団出版局/協賛=日本基督教団社会委員会、同関東教区、同中部教区、財団法人早稲田奉仕園)が行われ、観客一三六人を魅了した。(写真)
これはミュージシャンで東京・東美教会伝道師の陣内大蔵さんの自叙伝的エッセイ刊行を記念して企画されたもの。『僕んちは教会だった』(日本キリスト教団出版局刊・一〇五〇円)は牧師家庭に生まれた陣内さんの少年期から思春期の経験を綴ったもので、九〇年代初頭に音楽・文芸雑誌『月刊カドカワ』(角川書店)に連載されたものに加筆・修正され、一冊にまとめられた。山口・宇部緑橋教会を牧会していた陣内厚生牧師の長男として生まれ、牧師家庭ならではの生い立ちを記したエピソード二〇編が、ユーモアを交え痛快に描かれている。また表紙の旧宇部緑橋教会……
天国はどの地からも通じている
林田 義行
(台湾基督長老教会・高雄日本語教会宣教師)
1980年8月、神学生時代の夏期伝道実習で台湾に一ヶ月ほど滞在した。神学校卒業も近くなって台北の日語教会の長老からお誘いを受けたりもしたが、私はまだ手が付けられていない地を求めて南部を目指すことにした。1983年8月、産声をあげたばかりの後援会の仲間に励まされながら、刷りたての「高雄通信」創刊号を携えて、真夏の台湾に向け出発した。
台北に到着すると、キリスト教医療伝道会の堀田久子宣教師が出迎えてくださり、郊外の淡水では加藤実牧師夫妻(教団宣教師)にもご挨拶することができた。加藤牧師は流暢な中国語をお話しになり、言葉の学びの大切さを実感した。
また、PCT総会事務所では高俊明総幹事が不在で、自宅に政治犯をかくまった容疑で投獄中だった。日本からの献金をお届けして、台北からバスで高雄に向かった……