互助は、伝道の武器 野村忠規
四国と言えば互助、互助と言えば四国。四国教区は四〇数年ただ
ひたすら、互助を教区の最重要課題として取り組んで来た。それは、現実に教区内に伝道の困難を抱える小教会が多いから、協力しなければ立ち行かないからだ。しかし、この四〇数年の歩みは簡単ではなかった。まさに「荒野の四〇年」、たびたび危機を体験した。
しかし、その度に皆で悩んだ。激しく議論をした。そして祈った。
そして、その度ごとに、不思議と新しい道が拓かれて来たのである。
先日も教区内の互助の意見をまとめる会があり、互助の課題について話し合った。互助を受けながら伝道に専念する教師が言われた。
『よく「伝道の最先端でのお働きを感謝します。伝道の実りは簡単には与えられないでしょう。しかし、そこに立ち続けて下さい」とこのような励ましは有り難い。しかし、その場に立ち続けると言っても、何の展望もな……
第36総会期第一回の部落解放センター運営委員会が一月二七日午後から二八日にかけて、教団四階会議室で開催された。
出席者は、陪席者をあわせて三一名。新しく選出された委員のもと、共に部落解放への熱意を確認し、二日間にわたっての協議を行った。
組織会が行われ、東谷誠運営委員長(いずみ教会)、多田玲一書記(福岡女学院教会)が選任された。さらに、活動委員会の候補者が紹介され、活動委員会のメンバー二〇名が選任された。
また、今期も引き続き常任運営委員会を設置することが決まり、委員長、書記、活動委員長の他、宮田誉夫委員(草津教会)、柴田もゆる委員(廿日市教会)、片岡謁也委員(若松栄町教会)が選出された。
議事の中で特に時間を取り、次年度の同宗連議長に就任する小林眞教師、事務局長に就任する丹波二三夫教団職員から挨拶を受けた。出席者より、センターは同宗連に思いを寄せてきたこと、『解放のはばたき』の記……
統一原理問題東京地区学習会を開催
統一原理問題東京地区(東京教区、西東京教区)連絡会学習会が二〇〇九年一月三〇日(金)、教団会議室に於いて開催された。今回は、東京地区だけでなく他教区他教派にも呼び掛けたため、東北教区、カトリック中央協議会、聖公会、日本ルーテル教会、日本バプテスト連盟からの参加者も得て、出席者二九名を数え盛会であった。
最初に吉田好里牧師(世話人代表)より挨拶と集会の趣旨説明が以下のようにあった。連絡会による二ヶ月に一度の定期的な相談活動も既に二〇数年が経過したが、その間、相談者が来なかった日は一度もなく、むしろ最近は増加傾向にあり、カルトの被害は終息せず、益々深刻になっている現状である。その間、連絡会構成メンバーの高齢化もあり、改めて、今日の統一協会の活動による被害状況を多くの人に知ってもらい、救出の取り組みと相談者の裾野を広げていきたいというのが今連絡会の趣旨で……
*世界宣教のもとに六委員会 世界宣教
第36総会期第一回世界宣教委員会が二月六日に教団会議室において開催された。今期の委員は木下宣世(招集者)、秋山徹、岡村恒、藤吉求理子、村山盛芳、久世了(宣教協力学校協議会)、稲松義人(日本キリスト教社会事業同盟)の七名である。
まず委員会の組織がなされ、委員長に木下、書記に村山、実務委員に秋山が選ばれ、この三人が常任委員会を組織することが承認された。
前総会期に大幅に委員会組織が改定され、世界宣教委員会のもとに韓国協約・スイス協約・台湾協約・国際関係・宣教師人事・宣教師支援に関する六委員会が設置された。それぞれの委員会が具体的な働きをなすことと同時に、今後の働きのために必要な規則などの整備に多くの時間が費やされた。これからは、委員会の活動ひいては教団の世界宣教に関する見解を見直すためにどのように進めて行くのかについて昼食をはさんで懇談の時を……
▼お笑い芸を、観客の中から無作為に選ばれた五人が審査する番組がある。五人中三人が笑えば、ステージクリア。五人は自分が選ばれたことを知らない。▼なかなか笑わない。絶対に笑うまいと決めているかのように。▼見ている内に納得した。人間やはり笑顔が可愛い。美しい。いろいろと美形の審査基準があるだろうが 、そんなことよりも、笑顔が美しい。仏頂面ではなかなか美しいとは見えない。全身で笑っている顔は、決して醜くはない。▼ふと考えた。聖書には笑いと言う表現はあまり無いようだ。嘲るとか小馬鹿にするというような用例ばかりだ。▼笑うという意味の言葉は他に何があるか考えた。あった。喜ぶ。似たような表現に、喜ばせ る、喜び、喜び愛す、喜び歌う、等々、合わせて七~八百はありそうだ。ちょっと数え切れない。▼喜ぶは、日本語のニュアンスでも、単なる笑いではなく、心からの喜び、本当の満足、幸福、そんな印象がする。▼とすれば、喜……
出雲・松江、諸教会訪問記② ▼松江 ▼松江北堀
迫害・火災、試練を乗り越え 松江教会
松江教会は、松江城の内堀から直線距離なら二〇〇メートルと離れていない閑静な住宅地のなかにある。図書館、県庁は目の前、市役所、宍道湖傍の松江温泉街も遠くない。立地条件は悪くはないのだが、しかし狭い。この界隈では普通の民家程度の敷地で、駐車場がない。勿論、礼拝堂、集会室、牧師館と全て窮屈 だ。しかも、土地は借地。
訪問した週の週報に、会計報告が載っていた。土地購入会計繰越金の項を見ると、約四〇〇万円が積み立てられている。土地の入手は、何十年来の懸案と聞く。
この狭い会堂に、かつては五〇名の礼拝出席があった。最新の教団年鑑では、平均二四名。会員数も四〇名と記載されている。
松江教会はその名前から分かるように、松江市内の教団諸教会中最も古い歴史を持つ。しかし、戦時中、弾圧によって礼拝休止とな……
150周年、言わずと知れた日本プロテスタント伝道開始150年である。
150周年という数え方そのもんがベッテルハイムによる琉球伝道を捨象し、沖縄を無視した暴挙として反対を唱える人たちがいることはよく知っている。
しかしそのベッテルハイムを背景に持つ日本聖公会は九月にカンタベリー大主教を招いて日本伝道150年を記念する。
反対する方は反対の立場からの伝道の集いを持ったら良い。
この記念すべき年を東京信徒会は初週祈祷会をもって歩み始めた。
五日の銀座教会を皮切りに、富士見町、小石川白山、高井戸、阿佐ヶ谷、東京山手の各教会で連日持たれた。
記念すべき年をまず祈祷会をもって始める、何とも相応しいことだ。祈りなくしては記念も伝道もないからだ。六教会で延べ五百人が集うた。そして祈りの輪により全員が祈りを合わせた。
これだけでも画期的なことだ。
東京教区の東、北、西南の各支区と西東京……
「できる先輩」を目指して
十九の年に終戦を迎えた。高等商船学校を辞めるにあたっての教官の面接で「これからはあなた自身がしっかり生きていかなければならない」と教えられた。自分の中にも「俺がしっかりしなければ、日本はダメになる」との自負があった。しかし、今までの軍国主義に代わる、自分の中心に据えるものが見つからなかった 。何を中心にすればいいのか、と思いながら手に取ったのが聖書だった。
神田で路傍伝道の声を聞き、キリスト兄弟団神田教会で求道を始める。同時にYMCAの会員になった。CSにも関わり、励まされながら受洗の時を迎えた。東京都職員として働いていたが、YMCAの主事となる決意をする。当時、YMCA主事となることは献身と同じ意味を持っていた。家族は大反対だった。
夫人の三和子姉ともYMCAで出会った。「YMCAの主事の妻となる」ことを、自分自身の召命として捉えてくれた。尊い仕事であ……
一月十九日~二〇日にかけて秋田県鷹巣教会で「子どもたちの未来の食を見つめて」と題して行われた。講師は安田節子さん(食政策センター・ビジョン21)。
グローバリズムで、食べ物もあらゆる国から輸入することになり、安全性や質が低下してきたことなど、わかりやすくお話していただいた。
食べる人の健康より、輸入を優先させたため、日本では認められていなかった添加物を認定し、基準を緩和してきた。
例えば、日本では魚に着色してはいけなかったのに(鮮度の良し悪しがわかるように)、輸入の養殖の魚の餌に入っている着色料や抗生物質が認められてしまった(輸入の養殖鮭が真赤)。
輸送中の劣化を避けるためのポストハーベスト(収穫後の農薬散布)、放射線照射など...様々な添加物の複合的な作用も恐ろしい。
安い食材を求めるあまり、畜産にも”効率”が求められ、鳥インフルエンザや狂牛病が出てきた。
ある鶏舎では、二羽……
神の御旨は不思議に満ち、「肉の思い」を超えている。
鈴木岩夫(筑紫教会牧師)
筑紫教会は、故鈴木吉三郎牧師による開拓伝道によって生まれました。教会設立記念日は戦後間もなくの一九四六年十二月二五日、設立認可は'49年三月、その苦労の程は、この日付からでも察していただけるものと思います。
'52年には、幼稚園を併設、教会も幼稚園も戦後を生き抜き、漸く形が整ってきたのですが、諸事情と更なる発展を願い、福岡市博多区から現在の大野城市へと移転いたしました。教会も幼稚園も、大きな転機、むしろ危機を迎えました。特に、幼稚園は、その時点で通園しています園児への責任があります。そのために、送迎バ スを一台増やしました。その送迎バスの運転手として働くようになったのが、初代牧師の三男に当たります私でした。工学部を出て以来勤務していました自動車会社を退社して、幼稚園に就職いたしました。財政的な事を考慮す……