息長く粘り強く希望をもって 高橋和人
あの時、くぐもった緊急地震情報の警戒音から、異質な時間が始まりました。押し寄せる破壊と恐怖の怒涛、不安と混乱、緊張感の継続。地震、津波、原発事故と広範囲で複合した災害。物と人身に加えられた破壊から、生活、心、共同体へとその傷の深さ。いまだ犠牲者の数もわからないほどの規模、あらゆる分野への波及。信頼に足る情報のなさ。支えあうこともままならないもどかしさや苛立ち。時間感覚さえもあいまいになります。騒ぎ立つ心に「落ち着け」と言い聞かせています。
しかし、祈りに覚えられていることに、今ほど力づけられていることはありません。弱る思いが支えられるのは主にあって結ばれたものたちの祈りです。
真っ先に教団救援対策委員会より石橋教団議長と調査委員3名が駆けつけ、つぶさに現地を見、全面的な協力を申し出て下さった。
また、奥羽教区議長と共に教区・教団……
教会被災状況、奥羽教区 邑原宗男
被災地を訪ねて、やっと見つけることができた方から、「なぜ、どうして、」という声の前にただ黙しているのみです。聞こえてくる声の中には、「遅い」と。まさに遅いです。でも、この大震災は、もちろん、東日本全域にわたっているから、奥羽のみをいうことはできません。でも、いかんせんこの広さ、岩手県のみで四国全域と同じ中を鉄道網は壊れ車も規制された。道路事情は、国道4号線を中心に三陸海岸に櫛の歯のように道路が伸びている。沿岸沿いの道は寸断されていて直接回れなかった。それもガソリンがなくなり近隣教会の牧師の車からガソリンをもらい走ってたずねた。
宮古教会、津波のために海岸線に近い街並みは、なくなり、教会付近は瓦礫の山。1メートル70センチの高さの泥水に浸かってしまった。その中で森分和基牧師は避難所にいる方々を支援し、教会は役員が、溜まっていた泥をスコップでかき出……
被災地域の教会と共に-命に仕えるー
「わたしたちの助けは、天地を造られた主の御名にある」
(詩篇124編8節)
被災された方々とその関係者の方々に心からお見舞い申し上げます。
3月11日午後2時46分、巨大地震が東日本を襲いました。世界の観測史上4番目に大きいマグニチュード9.0を記録し甚大な被害をもたらしました。その地震のエネルギーは関東大震災の45倍、阪神・淡路大震災の1450倍とのことです。さらに地震による津波は太平洋側の奥羽、東北、関東500キロにわたって、沿岸地域の町や村を襲い、多くの尊い人命と家屋を呑み込みました。地震発生から10日たっても、その被害状況の全貌は把握しえない状況にあります。
3月22日現在で、8千名余の死亡が確認され、さらに1万2千名余りの安否不明者、そして、35万名に近い人々が過酷な避難生活を強いら……
さらに石巻市街を海岸方面へ進む。自衛隊や警察、消防の車の往来が目立ち、ついに一般車の進入が規制された。規制区域の外に車を駐め、歩いて石巻栄光教会へ向かう。
小さな土手にかかる橋を越えると、いきなり、あり得ない光景が目に飛び込む。おびただしい瓦礫の山、どれも異常な姿勢の多数の車。折り重なり、電柱に引っかかり、家に突っ込んでいる。破壊された建物。爆撃後の街さながらの壊滅状態。
多くの人々がどこへ向かうともなく、荷物を抱えながら、黙々と歩いている。時々、悲鳴とも歓声ともつかない声が上がる。無事と言えるのか、とにかく生きて再会したのだ。
規制区域内でも、もちろん緊急車両は走っているし、一般の車も少なくない。道路には大勢の人も歩いている。なのに、何か静かだ。しばらくして気づいたが、人を避けながら走るどの車も、決してクラクションを鳴らさないのだ。他の被災地でも車の……
地震発生の翌12日、総幹事のもとに設置された「救援対策委員会」は、直ちに被災地に調査員4名(石橋秀雄教団議長、藤盛勇紀幹事、加藤誠幹事、森田恭一郎社会委員)を派遣することを決定した。主な目的は、教団として被災教会を問安、安否・被害について情報を収集し、僅かでも救援物資を運び、可能ならば奥羽、東北の教区議長と対応を協議することである。翌日曜日早朝の出発と決まった。
13日(日)早朝、車2台でそれぞれ埼玉、東京を出発。すでに深刻な事態となっていた福島第一原発を避け、日本海側から仙台に入ることとした。まずは新潟の十日町教会を目指す。新潟中越沖地震の際に救援活動の拠点の一つとなった十日町教会で主日礼拝を守り、新井純牧師と懇談して、アドバイスも受けた。市内のスーパーで救援物資を購入し、急ぎ被災地に向かう。新潟、山形、経由で仙台に入り、仙台東六番丁教会(東北教区議長高橋和人牧……
「この1カ月で、車で3千キロ走りました」。岩手県沿岸地域にある教会の牧師の言葉である。
北海道には及ばないにしても、岩手県は広い。なんと四国四県がすっぽりと入ってしまう広さである。そこに18の教会が、まさに点在している。けれども、それらは決して「点」としては存在していない。それこそ1カ月で数千キロという距離を移動しながら(しかも雪道を!)、相互に訪問し合い、集会に集うなどして伝道協力を推進している。これは奥羽3県(青森、岩手、秋田)において日常的になされていることである。
北東北3県は教団成立時には東北教区所属であった。戦後、広大な地域に立てられている諸教会の維持と伝道協力のために奥羽教区が創設された。
その創設以来今日に至るまで、奥羽教区では「教区の教会性」ということが語り継がれ、「一つなる教会」としての教区形成が目指されている。つまり、「それぞれ個……
信仰の灯を点し続けよう
福島で生まれ、姉と共に教会学校に通い、受洗した。1966年、獣医師である夫の赴任に伴い、夫の郷里である三宅島に移る。
夫の両親が保阪松太郎牧師と親しく、その縁で教会生活を送ることとなった。6~7人で守られていた伝道所だったが、若い母親のための会には15人も集まるなど、活動は盛んだった。
しかし次第に信徒が高齢化し、礼拝に来られなくなっていった。「保阪牧師も本当に貧しくて、私も今なら一人くらい支えられるのですけれど、当時は若くて、子どもも小さくて、力になれなかったんです」と語る。
保阪牧師が隠退、無牧となった。会堂も老朽化、'83年の噴火以前に集会は個人の家庭を転々とする状態が続いていた。鎌川さんも民宿だった自宅を積極的に開放した。この頃のことを「放浪の時代」と呼ぶ。本土から訪れたキリスト者や、東支区からの牧師・信……
URL www.uccj.or.jp
2008年10月より、日本基督教団公式サイトが正式稼働しています。
*教団新報、教団ニュースレター
毎号主要な記事を掲載しています。見出しから検索、バックナンバーもご覧になれます。
①台湾基督長老教会での宣教体験プログラム
アイラブ台湾
《6月28日~7月14日》
*内容
現地各個教会の子供、青年向け夏期学校に参加する、要英語力、35才まで
②ドレスデンでのドイツ・プロテスタント教会大会
《6月1日~5日》
*2名まで、②の詳細はwww.kirchentag.de
①・②とも
◎自己負担 往復旅費等
◎応募期限 4月15日
(必着)、書類選考あり
◎問合先 世界宣教部
(03-3202-0544)
……
網走開拓伝道の使命
神様は日本にすばらしいことを期待 森下 貴史(教団教師)
2001年4月、東京聖書学校を卒業し、伝道師として初めて赴任したのは、日本基督教団北九州復興教会でした。21世紀初めに晴れて伝道師としてのスタートをきり、この教会の出張伝道所である曽根集会所の担任教師として遣わされました。そこでの働きは、私にとって、聖書の見方、福音の見方を180度方向転換させる貴重な時間であったと感謝いたしております。
その3年間で、被差別部落出身の方や在日韓国人との出会いがあり、今でも、人権侵害を受け、義務は負うが権利は認められない世界が、豊かなこの日本にあることを身をもって教えられました。この経験が、イエス・キリストとの出会いであり、神が人になられたイエス・キリストの福音の隠された大きな柱ではないかと示されました。
私は、ホーリネスの流れ……