去る6月23日、東北教区相双・宮城南地区にある中村教会の献堂式に出席した。此処は東日本大震災会堂牧師館支援金支給教会で東北教区16教会の一つ。教区最後の復興献堂式だった。
この日、仙台回りで常磐線がつながる亘理駅まで行き、そこから国道6号線に沿う代行バスに乗り、相馬の町へ向かった。町に近づくにつれ、「大津波で浸水した地点」とあの日の様子を示す看板が立ち、緑のシートを被せて周囲の木々や田畑の風景にマッチさせてはいるが、その下に汚染土をいれたフレコンバックが道路わきに積み重ねられ、行き交う「防災林復興工事」等標識を出す大型ダンプの群れを見るにつけ、4年前のあの時から変わるものが何も無いことが胸に迫り、緊張が増した。
相馬は古い城下町。ややさびれたとは言え、落ちついたたたずまいがある。あの時此処でも何人かの人々が命を落としたと町の人が話してくれた。目指す中村教会は、当時仙台から太平洋沿岸を伝道し教会を設立させた吉田亀太郎牧師の旧長老教会。来年創立130年を迎える。復興の教会は、雨もよい町の中であざやかな光を放っていた。あの厳しい震災の中から、教会の信仰の証しによって見事に立ち上げられた姿である。生野碩保牧師も信徒の方々も参集した大勢の教区や地域の関係者に喜びを表し、大手を広げて迎えて下さった。教会の返済の労苦はこれからだが、それも主のお助けによってかなえられるだろう。(教団総幹事 長崎哲夫)