11年、3・11、その日に
「あなたは、あなたの馬に、海を大水の逆巻くところを通って行かせられた。それを聞いて、わたしの内臓は震え、その響きに、唇はわなないた」
(ハバクク3・15~16)
2011年3月11日は、2日前の9日から主の受難節に入ったばかりの日であった。東京は寒いが陽の光は春めき、木々は水気を含んで匂い立っていた。
その時、わたしは西早稲田の教団ビル5階東京教区事務所でその夕開催する常置委員会を準備していた。
地震、とは思ったが、それは意外に長引き、階下から轟音すら突き上げた。
棚上の荷物は落ち、目前のお茶がこぼれた時、初めて机の下へ潜れと叫びながら自分もそうした。
最早エレベーターは動かず、4階出版局は避難したのかいち早く戸閉め。3階事務局には2、3人残ってはいたものの、ミシミシ軋む第2震の中、耐震装置無き脆弱な階段を庭に降りた。
午後3時半。人々の慙愧の一切は、ほぼその同時刻に起っていた。大津波が、千葉から北の太平洋沿岸至る所の人と生活、農漁商工等産業、医療、介護、教育、福祉、公共等諸機関全体の拠点を襲い、全ては海に押し流されていた。
午後6時、場所は定かでないが、「海岸に千人以上の遺体が打ち上げられている」との速報に茫然自失。
頭上から言い知れぬ重いものがのしかかり、主の憐れみに縋るしかない己の悲惨にうちのめされた。
無念の人々を深く思う
「お前たちは、主の日の戦いに耐えるために、城壁の破れ口に上ろうとせず、イスラエルの家を守る石垣を築こうともしない」
(エゼキエル13・5)
その時すでに、原発の炉心溶融は進んでいたが、真実は蓋されていた。
翌日、国内外大半の人々が釘付けされたTVは、覆われていた格納容器爆発を目の当たりにさせた。
地震と津波との複合事故とは言え、放射能汚染は拡大し、空と海と山と町と人の全部を飲み込んだ。
地域の牧者から、「自分は此処にいるが、人がいなくて集まりは出来ない」との悲痛な叫びも飛び込む。
それは、色々なことを曖昧にしながら、その余禄のような贅と豊満とを、我が物とする都会人の高ぶりを、音立てて崩して行く力と化し、以来辺り一帯は其処から得ていた光を失った。
現地は更に深刻を究めた。今も35万人離散家族の帰宅と、除染の目処は立たない。
「人の子が現れる日にも、同じことが起る。その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。」(ルカ17・30~31)
松島から八戸までのリアス式海岸と山間の町や村をバスで旅したことがある。
豊かで美しい海辺に入る毎、否応なく目にした大きな看板の太文字は、この地の歴史を伝える知恵であろう、「津波の際は山へ逃げて下さい」だった。
人は常に御手の裁量に委ねられるべき存在。それに生きる者だが、あの合言葉は果たして誰に有効であったか。欲しても果たせなかった無念の人々を深く思う。まして、逃れることを促し続け、手を貸した義人たちが流れ去ったことを。
全てを流失した人、生かされても寒さに耐える人、帰る場所はあるのに、適わぬ人々の現実が身に迫る。
時が良くても悪くても
この事実の峻厳に真向かい、己が立ち位置と、想像不可能の、かの地の実状との乖離に立ち尽くすだけなのか。
何時の時代も牧者は、その境界線上の証しの台に立つべき者。彼は、そのマージナルな(境界線上の)地点にある苦しみのために召されている。
「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる」
(詩編55・23)
6月、梅雨晴れの澄みきった空の青、深い森の濃い緑、清冽を究めた川の流れを抜けて被災地に入った。
津波は、港までのゆるやかで長い稜線全体を一気に襲ったのだ。その時から手つかずの跡地を辿る。
やがて、海底からめくり上げられて、流れよせたヘドロが家々の床下、その高さに及ぶ壁裏の全体にこびりつき、独特の湿気と匂いを発していることが分かる。
被災地の教会では、同様に会堂の壁や床下からヘドロをかき出す働き人と会う。
その町に百年以上も在り続けた群れは、この地で再建を果たすのか。それとも町ぐるみ波の来ない山裾に移してのことか。
長年の地域との行き交いは、何と濃密であったことか。此処でも教会は、主イエス・キリストの信仰の故に、人々の思惑との狭間で苦悶する。
「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(イザヤ53・5)
「わたしたちは羊の群れ」
(イザヤ53・6)
自らも傷つき、その弱さに耐えつつも、波を被ってがらんどうとなった商店街の、道行く人の憩い場となろうとして会堂前にテントを張った教会の優しい配慮と心意気に出くわす。
受けた打撃は余りにも激しいのに、牧師家族が、訪ねた者に昼食をもてなした。
網戸も張られているのを何処から入り込むのか、ハエが飛び交う中、涙を堪えつつも祈って食した。
見回せば、現状を呈する物何一つ無いまま、此処からキリストにある福音の輝きが減じはしない。
何故なら、主の教会は、あの方への忠実を、時が良くても悪くても、訥々として歩む所にのみ立つからである。
(長崎哲夫 東京山手教会牧師、
救援対策室室長)