その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」

1923年9月1日に発生した関東大震災は10万人を超える死者・行方不明者を出しました。未曾有の災害を覚えると同時に、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」といったデマが流され、6千人以上の朝鮮人が日本人によって虐殺されたことを忘れることはできません(http://www.ayc0208.org/2_8/kanto.php)。デマの発生源は特定できませんが、デマの流布に最も力を発揮したのは内務省であり、虐殺を実行した自警団を組織したのは軍と官憲でした。このように朝鮮人虐殺は国家機関の主導によって行われたのですが、政府は民衆や自警団に虐殺の責任を転嫁し、さらに司法省を使って朝鮮人の犯罪が事実でもあるかのように情報を捏造することで、朝鮮人虐殺の国家的関与を隠蔽したのです。聖書は最後の審判で歴史の全てが明らかになると述べていますが、それは問題を歴史の彼方に先送りにするためではなく、今ここで問題を明らかにするようにとの勧告です。歴史修正主義が跋扈する日本社会にあって、歴史を直視し、過ちを認める誠実さを持って過ごす者でありたい。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン宗利淳一)
「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」
イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」
「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」
イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、わたしの選んだ僕。
わたしの心に適った愛する者。
この僕にわたしの霊を授ける。
彼は異邦人に正義を知らせる。
彼は争わず、叫ばず、
その声を聞く者は大通りにはいない。
正義を勝利に導くまで、
彼は傷ついた葦を折らず、
くすぶる灯心を消さない。
異邦人は彼の名に望みをかける。」
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