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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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世界教会協議会(WCC)
2026年 イースターメッセージ

2026年4月3日

「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく……」
(コリントの信徒への手紙一 15:17)

 喜びの叫びが絶望の叫びにかき消されがちな今、どうすればイースターを祝えるのでしょう? 戦争、経済的不正義、性暴力、政治的抑圧、気候災害、宗教における迫害の犠牲となった、あまりにも多くの方々が悲しまれています。これらの苦しみに向き合わずに、真にイースターを祝うことはできるのでしょうか?
 イースターはキリスト教信仰の礎です。この困難な時代におけるただ一つの、大きな希望の源です。イエスは愛と希望の言葉を語り、癒しの手で人に触れ、異なる背景を持つ人々を一つの愛に満ちた共同体へと導くことで、人々に大いに鼓舞しました。人々は神ご自身の存在を感じたことでしょう。
 ローマ帝国によって占領され、政治的に抑圧された時代に、イエスは神によって平等に創造されたすべての人間が尊厳を持って生きる世界への窓を開きました。希望が広がり始めました。しかし、その後、大きな失望が訪れました。権力者たちはイエスを逮捕し、拷問したのです。彼は死刑に処され、こう叫びました。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」それは正に絶望の状況でした。世界の歴史において、人々を道徳において鼓舞した霊的な指導者が、また一人、結局は失敗しました。これまでに私たちが何度も目の前で見てきたように、そして今、戦争や紛争、暴力、そして気候崩壊の時代に鮮明に目の当たりにしているように、また一つの希望が失望にかえられたのです。
 しかし、3日目が訪れ、女性たちがイエスの墓で体験したことがすべてを変えました。涙を流し、嘆くために来たとき、墓は空っぽでした。彼女らは生けるイエスに出会ったのです。そして弟子たちにそのことを伝えました。彼らが疑いを乗り越え、福音を世界中に広めたために、今日も絶望的な状況にある多くの人々がイースター、すなわちイエスが復活した日を祝い、「世の終わりまで、いつも」 (マタイ28:20) キリストが共にいるという約束を信じ続けています。最後に勝利するのは死ではなく、いのちです。
 イースターは、耐えがたい苦しみに直面したときに心の安らぎをもたらすものではありません。イエスの死と復活は、彼が歩んだ愛と和解、正義の生涯から切り離せないものです。したがって、復活を信じる私たちのイースター信仰は、大きな希望の源であるだけでなく、抗議でもあります。この抗議は、尊厳や人間性の否定、侵略戦争、あらゆる集団に対する憎悪や軽蔑の拡散、そして人種差別、反ユダヤ主義、ナショナリズム、外国人嫌悪といった罪に対するものです。
 クリスチャンとは、いのちに向かうメッセージによって生きる人々です。このいのちは、罪や苦しみ、死を克服された復活のキリストが与える希望に満たされたいのちです。
 私たちがいま経験しているありとあらゆる深淵は、終わりではありません。続きがあります。このことを再確認するときとして、このイースターを祝いたいと心から願います。私たちが歩みを進めるのは暗い穴ではなく、すべての涙が拭き取られる新しい天と地です。この視点が、世界中の教会共同体を今もつなぎ続けています。さらに、神のかたちに創られたこの地上のすべての人々と私たちをつなげているのです。

 イースターおめでとうございます!

 

ハイドリッヒ・ベドフォードストローム WCC中央委員会 議長
ヴィケン・アイカズィアン WCC中央委員会 副議長
メルリン・ハイドライリー  WCC中央委員会 副議長  
ジェリー・ピレイ WCC総幹事

世界教会協議会 2026 イースターメッセージ(PDF)



Easter Message 2026
“If Christ has not been raised, your faith is futile …” (1 Corinthians 15:17)

 How can we celebrate Easter in a time in which shouts of joy are so often drowned out by cries of despair? So many victims of war, economic injustice, sexual violence, political oppression, climate disasters, and religious persecution are to be mourned. Can we authentically celebrate Easter without addressing these sufferings?
 Easter is the cornerstone of our faith as Christians. It is the one big source of hope in these troubled times. Jesus tremendously inspired the people of his time when he spoke words of love and words of hope, when he touched people with his healing hands, when he led together people from very different backgrounds into one loving community. They could feel the presence of God himself.
 In a time of occupation and political oppression, Jesus opened a window into a world, in which every human being, created by God equally, would live in dignity. Hope began to spread. Yet then, came the big disappointment. They arrested Jesus. They tortured him. He was put to death and he cried out: “My God, my God, why have you forsaken me?” It was a situation of despair. Another inspiring moral and spiritual leader in the history of the world who, in the end, failed. One more disappointed hope as we have seen it so many times and are seeing it so clearly before our eyes in these days of wars, conflicts, violence, and a climate catastrophe.
Yet, then came the third day, the experience of the women at the tomb of Jesus, that changed everything. When they came with their tears to mourn, the tomb was empty. They encountered the living Jesus. They told the story to the disciples. They overcame their disbelief and spread the good news into the whole world, so that an innumerable number of people today, many of them also in desperate situations, celebrate Easter, the feast of Jesus’ resurrection, and trust in his promise to be with us “always, to the very end of the age” (Matthew 28:20). Death will not have the last word. The last word is life.
 Easter does not promote spiritual pacification in the face of suffering that is otherwise unbearable. Jesus’ death and resurrection is inseparably connected with his life of love, reconciliation, and justice. Therefore, our Easter belief in resurrection is not only a big source of hope but also a protest against the denial of dignity and humanity, expressed in aggressive warfare, the spreading of hate and contempt against whole groups of people, and sins such as racism, antisemitism, nationalism, or xenophobia.

Christians are people who live from a message that leads into life – a life filled with hope in the Risen Christ who conquered sin, suffering, and death.

May we celebrate this Easter as a time of reassurance that in all the abysses we presently experience in the world, there is more to come. And that it is not a dark hole that we are walking into but a new heaven and a new earth in which all tears are wiped away. This outlook continues to unite us in our global church community. It connects us with all people on this earth, who are together with us created in God’s image.

Blessed Easter!

 

                                                     

わたしたちの心は楽しむことを忘れ
踊りは喪の嘆きに変わった。
冠は頭から落ちた。
いかに災いなことか。
わたしたちは罪を犯したのだ。
それゆえ、心は病み
この有様に目はかすんでゆく。
シオンの山は荒れ果て、狐がそこを行く。
主よ、あなたはとこしえにいまし
代々に続く御座にいます方。
なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ
果てしなく見捨てておかれるのですか。
主よ、御もとに立ち帰らせてください
わたしたちは立ち帰ります。
わたしたちの日々を新しくして
昔のようにしてください。
あなたは激しく憤り
わたしたちをまったく見捨てられました。

2026年4月2日

主はモーセに言われた。
「あなたは、アロン、ナダブ、アビフ、およびイスラエルの七十人の長老と一緒に主のもとに登りなさい。あなたたちは遠く離れて、ひれ伏さねばならない。 しかし、モーセだけは主に近づくことができる。その他の者は近づいてはならない。民は彼と共に登ることはできない。」
モーセは戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、民は皆、声を一つにして答え、「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と言った。 モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。 彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。 モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、 契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、 モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」
モーセはアロン、ナダブ、アビフおよびイスラエルの七十人の長老と一緒に登って行った。 彼らがイスラエルの神を見ると、その御足の下にはサファイアの敷石のような物があり、それはまさに大空のように澄んでいた。 神はイスラエルの民の代表者たちに向かって手を伸ばされなかったので、彼らは神を見て、食べ、また飲んだ。

2026年4月1日

わたしたちは自らの道を探し求めて
主に立ち帰ろう。
天にいます神に向かって
両手を上げ心も挙げて言おう。
わたしたちは、背き逆らいました。
あなたは、お赦しになりませんでした。
あなたは怒りに包まれて追い迫り
わたしたちを打ち殺して容赦なさらない。
あなたは雲の中に御自分をとざし
どんな祈りもさえぎられます。
わたしたちを塵、芥のようにして
諸国の民の中にお見捨てになりました。
敵は皆、わたしたちに向かって大口を開く。
恐れとおののきが、騒乱と破壊が、襲いかかる。
わたしの民の娘は打ち砕かれ
わたしの目は滝のように涙を流す。
わたしの目は休むことなく涙を流し続ける。
主が天から見下ろし
目を留めてくださるときまで。
わたしの都の娘らを見て
わたしの目は魂に痛みをもたらす。

 

 9そして、わたしはあなたたちに言う、「求めなさい。そうすればそれはあなたたちに与えられるだろう。探しなさい。そうすればあなたたちは見つけるだろう。〔門を〕叩きなさい。そうすればそれはあなたたちに開かれるだろう。10なぜなら、誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、〔門を〕叩く者にはそれが開かれる[だろう]からである」。
(ルカによる福音書11章9−10節[私訳])

 ルカ福音書11章9−10節は、「求めよ、さらば與へられん」から始まる文語訳聖書の名訳によって誰しもが一度は聞いたことのある言葉ではないでしょうか。並行する内容がマタイ福音書の山上の説教(5−7章)にもありますので(7章7−8節)、多くの人はマタイからの引用でこの有名な言葉に接しているのだろうと思います。
 このテクストに用いられている「求める」「探す」「〔門を〕叩く」という三種類の動詞は、それぞれが何らかの特定の願望を表しているわけではなく、祈願に関係する三種類の動詞を重ね合わせることで、祈りや願いは叶えられるということを強調するレトリックです。ですから、ここでイエスが言わんとしているのは、叶うまで何度でも繰り返し祈り願うことに尽きると言えます。
 担当者が2026年度最初の4月のキリスト教の小部屋の聖書箇所にルカ福音書11章9−10節を選んだのは、4月5日がイースター(復活日/復活祭)だからとのことです。もっとも、このテクストがイースターの聖書箇所として選ばれることを不思議に感じる人も多いのではないでしょうか。担当者の依頼文には以下のような一文がしたたまれています。
 復活のイエスよ なぜ 応えないのだ! ドンドンと 門を叩いてます。開かない門を、叩いています。門を叩いてるひと いっぱいいるんじゃないの?
 依頼文で担当者は具体的な事件や出来事に触れてはいませんが、日本社会や国際社会の現状に対する憂いが「求めよ、さらば與へられん」という言葉を語ったイエスに対する問いとして発せられているのだと感じました。確かに、閉塞した社会では、いくらドンドンと叩いても、門は閉ざされたままであり、閉ざされた門の前で絶望に喘ぐ人がいるだけではなく、絶望する以前に希望を持つことすらできない人もいます。このような現実の最中でイースターを迎えざるを得ないのですから、「求めよ、さらば與へられん」と言ったじゃないですかと復活のイエスに訴えたくなるのも当然かもしれません。
 先にも触れたように、イエスが「求めなさい」「探しなさい」「〔門を〕叩きなさい」と何度も繰り返し願うように言っているのは、直前に置かれている三つのパンを友人に執拗に求める譬(ルカ11章5−8節)から推し量っても、願いは叶うまで執拗に求め続けるものであることを伝えているからにほかなりません。それと同様のことはルカ福音書の「やもめと裁判官の譬」(18章1−8節)にも伝えられており、そこではイエスはひとりのやもめが自分の訴えを取り合ってくれない裁判官に昼夜問わずに訴え続け、そのしつこさのあまりその裁判官が折れて、裁判をするようになったとの譬を語っています。イエスはどこまでもしつこく諦めずに叶うまで求め続けるよう伝えているのです。それがたとえ傍迷惑に思えたとしても、空気の読めない痛いヤツに映ったとしても、本当に大切なものを求めるのであれば、叶うまで諦めるなと言っているのです。
 2026年3月29日にサン・ピエトロ広場で行われた棕櫚の主日の礼拝説教において、ローマ教皇レオ14世は次のように語っています。
 平和の王であるイエスは戦争を拒絶します。戦争を正当化するためにイエスを利用することなど誰にもできないのです。戦争を遂行する者たちの祈りにイエスが耳を傾けることはなく、むしろその者らを拒絶して、次のように言うでしょう。「あなたたちがいくら祈りを捧げようとも、わたしが耳を傾けることはない。あなたたちの手は血にまみれている〔からである〕」(イザヤ書1章15節)。
  ※ヴァチカンのサイトの以下のページより引用(聖書を含め、英語版から訳出)。
https://www.vatican.va/content/leo-xiv/en/homilies/2026/documents/20260329-palme.html

 明言されてはいませんが、これはイエスの名のもとに戦争を正当化する米国(プロテスタント教会)に対する批判であり、ロシア(ロシア正教会)に対する批判でもあります。しかし、それは同時にローマ・カトリック教会を含めたキリスト教の2千年の歴史が戦争に明け暮れてきたことに対する自省の言葉でもあります。ヴァチカンの情報網から考えても、レオ14世は現行の戦争の詳細を把握しており、それが易々と終息するものではないことを熟知しているはずですが、決して諦めることなく平和を求め続けているのです。
 ここ最近の世界情勢や日本の状況を考えると、求めても与えられないし、探しても見つからないし、門を叩いても開かないしという諦念に襲われていました。キリスト教の小部屋で平和を求めても、却って戦争が広がるばかりであり、ここで呟いても何の意味もないと落ち込むばかりでした。しかし、今回「求めよ、さらば與へられん」というイエスの言葉に思いを馳せることで、諦めずに平和を求め続けることを止めてはいけないとの気持ちがイースターと共に甦ってきたのです。2026年のイースターに改めて諦めずに平和を願い求めます。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン/宗利淳一)

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