生き方を通して
二人は聖学院大学での聖歌隊活動を通して出会った。秀行さんは大学で初めてキリスト教に触れ、礼拝に出席するようになった。郁絵さんは祖父母がクリスチャンであり、中学・高等学校とキリスト教学校出身であることもあって、キリスト教に違和感はなかったという。そして二人がキリスト者としての生き方への憧れを抱くようになったのは、大学で出会ったキリスト者教員の姿を通してであった。
さらに郁絵さんが聖学院みどり幼稚園へ就職、二人はそれが大きなきっかけとなり、上尾使徒教会へ通うようになった。そして彼女の方が一足先に、二〇〇二年の宗教改革記念日礼拝にて洗礼へと導かれた。それは「自分でどうこう言えないタイミングであった」という。その後に彼の方もキリスト教主義学校へ就職が決まり、「これで神さまと離れられない関係とされた」と観念し、二〇〇三年のイースターに洗礼へ導かれた。
キリスト教教育に携わる……
二月四日(月)から五日(火)にかけて、尾道市と福山市を会場に行われた。
一日目、尾道人権文化センターで「尾道市北久保地区の部落解放運動の歴史」について学び、胸に突き刺さるような痛ましい差別の現実と戦った人々の記録がそのままに紹介された。特に「春駒」と呼ばれる伝統行事を受け継いでいく中で、差別の現実と苦しみの歴史を決して忘れず、反差別の闘いをも受け継いでいく決意をもった若い世代と出会えたことは、大きな喜びであった。「春駒」はいわゆる「門付け」の一種だが、この舞を踊る役目は被差別部落出身の女性たちだった。子どもたちも正月には暗い内から起こされ、夕方まで母親と共に舞を舞ったのだそうだ。そして、謝礼としてわずかに受け取る米やお金によって生活を支えたという。「春駒」にかり出された記憶をもつ人々にとって、この伝統行事は痛ましい記憶でしかなかった。しかし、それをあえて復活させることによって、かつての差……
「教会に住み、牧師の傍らに立つ」とは
木下 晃子
(西千葉教会員)
独身時代のある日、いつものように青年会の集会が夜遅く終わって、玄関で牧師夫人にさようならのあいさつをしました。私たちは外へ、牧師夫人は扉を閉めて中へ入られました。それを見て、「まだ教会に残る人がいる」と思ったのが始まりだったかもしれません。
小さい頃から身近にすてきな牧師夫人を見てあこがれて、単純に牧師の妻となりました。でも、この立場になってみたら、お仕事は山のようにありました。
まずは「料理」。祈祷会の前に、夕礼拝の前に、食事を作る。小さな子どものいる中でカレーライスばかり作っていました。料理は苦手なのに。
そして「お茶」。一杯のお茶さえろくにいれられないので、この年まできて、複数のお客様にキチンとお出しすることができません。
その他、「掃除、戸締まり、火の用心、近所付き合い」などなど、私の苦手なことば……
☆日本基督教団年鑑二〇〇八年版の追録を発行いたしました
教団年鑑二〇〇八年版におきまして、ミスが多少あったことについてお詫び申し上げます。
そこで、当年鑑の正誤表を内容とする追録を、年鑑をご購入された方々に差し上げます。
年鑑を購入された書店、もしくは教団事務局総務部年鑑係(☎03-3202-0541)に直接お申し出ください。
小玉洋之助氏(無任所教師)
一月五日、逝去。七九歳。兵庫県に生まれる。一九五七年同志社大学大学院修了後、日向福島教会に赴任。その後天草平安教会牧師を務め、七八年から八四年まで明石愛老園教務教師を務めた。遺族は妻の裕子さん。
洗礼を受けていない者にも開かれた聖餐(以下開かれた聖餐)を執行しているということで、私は山北議長の提案によって常議員会から教師退任勧告を受けた。しかしこの私への教師退任勧告は明らかに不当である。まず私のような開かれた聖餐を執行している教師は、礼拝出席者が少なく、さまざまなしがらみで洗礼は受けられないが礼拝には毎週出席している方を排除できないという理由で、数は少ないが教団の成立時からいたと思われる。
一九六〇年代後半からは、いわゆる最後の晩餐の記事だけではなく、五〇〇〇人の共食、被差別者とのイエスの食事などにも聖餐との関わりがあるという聖書学の知見や神-世界-教会というミッシオ・デイによる宣教論、教会論の知見により、開かれた聖餐を自覚的に執行する教会や教師が出てくるようになった。
そのことは一九八七年発行の日本基督教団宣教研究所編による『聖餐』によって明らかである。同書所収の論文で村山氏……
第35総会期第三回靖国・天皇制問題小委員会が、二〇〇八年二月二五日(月)〜二六日(火)、日本キリスト教会館六階会議室で開催された。沼田和也委員による開会礼拝の後、議事日程が承認され、報告・協議が行われた。
事務局からは、2・11集会について報告を受け、全国で実施された集会の様子等について情報交換がなされた。
社会委員会報告では、西之園路子委員より、二月六日(木)~七日(金)に開催された社会委員会で聖隷事業団を訪問したこと等の報告を受けた。
NCC報告では、須賀誠二委員より、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」諸問題に関するQ&Aを作成中であること、首相の伊勢神宮参拝に対する抗議文を出したこと等について報告を受けた。
今回の委員会二日目は、古屋安雄氏(聖学院大学大学院教授)を講師に迎え、「国家と教会-戦争をめぐって-」を主題に講演が行われた。古屋氏は、第二次世界大戦終了後、日本は、非キリスト教国で……
■奥羽教区報告
三つの教区の報告が行われ、最初に、邑原宗男教区議長が奥羽教区の報告を行った。膨大・詳細な資料が提示されたが、「大切な所だけ抜き出して」と断り、伝道の歴史とそこで働いた信徒教職が抱えた問題に焦点を当て、詳しく説明がなされた。
最初に、東北教区からの分離独立という独特の歴史に触れ、『「一つなる教会」を標榜することを宣教基本姿勢として教会間の交わりを大切に教区形成に努めてきた』ことが述べられた。
次に、報告資料の小見出しに「日本基督教団の方式伝道の課題(挫折の中から-特に東北地方特別開拓伝道)」とある通りに、次々と打ち出された方式伝道の問題点が指摘された。その中で、特に、伝道経験豊富な人材こそ適任と思われる開拓伝道に、何故神学校を出たばかりの若い伝道者が遣わされたのか、期限内経済的自立という事実上のノルマが課されプレッシャーを与えたのかという疑問が投げかけられ、その果てに教……
日本基督教団の伝道・その協力のために プロテスタント伝道開始一五〇年をふまえて
二〇〇七年度宣教方策会議が、三月十~十一日、富士見町教会を会場に開催された。
「日本基督教団の伝道・その協力のために」の主題、「プロテスタント伝道開始一五〇年をふまえて」の副題のもとに、参加者七二名により、発題、各教区報告、協議がなされ、また礼拝が捧げられた。課題が深く掘り下げられ、幻が高く掲げられ、有意義な学びと同労の良き交わりの時が与えられた。
高橋潤宣教委員長は、「宣教方策のない宣教方策会議はあり得るのかという問」があるが、「全教区の代表者が集まって出会い、議論することなくして前進はないという意見で一致し」、「各教区、諸教会が取り組んでいる現状への相互理解と共に、歴史的な経緯に学びつつ、将来への展望を与えられたいと願っています」と主催者挨拶を述べた。
朴寿吉在日大韓基督教会総幹事は、「方策……
召命に応えることの重さを十分に受け止め
二〇〇八年の春季教師検定試験は、二月二六日(火)~二八日(木)、東京会場(早稲田の日本キリスト教会館)で、四階の教団会議室と六階の会議室(貸室)で行なわれた。一日目は学科試験、二日目、三日目に個人面接を行なった。原則として二日目の個人面接は遠方からの受験者、三日目の個人面接は東京近郊の受験者とし、受験者の負担軽減を図った。
二日目・三日目それぞれ、個人面接に先立ち、全体会を行なった。開会祈祷後、検定委員の自己紹介があり、続いて小掘委員長からの挨拶が述べられた。小掘委員長は、「第35総会期教師検定委員会方針」に沿って、「主の召命に応えて日本基督教団の宣教を担い、主の教会に仕える教師を送り出すために、教憲教規に基づき、教師検定規則に則って」行う試験であることを、確認の意味で述べた。その上で、教憲第九条に「本教団の教師は、神に召され正規の手続きを経……