【4948・49号】託されたタラントン 秋山徹総幹事

新年度が始まりました。新型コロナウイルスの世界的な感染の広がりは一向に終わる見込みはなく、勢いを強めさえしています。教団事務局の働きもこれによって大きく変わり、各委員会参加者の日程や宿泊、旅費などの調整や手配の仕事は、オンライン会議のための準備や日当の算定や書類の送付といった業務になっています。各教会の日常の働きも、事態の対応に即して懸命の工夫を重ねていることと思います。

このようなときに、思いがけない献金が教団に献げられました。東京の新生教会の会員であられた石井和子さんという方の遺産5千万円が教団の「将来のために」との志をもって献げられたのです。石井さんは昨年9月21日に90歳の生涯を終えて召されましたが、生前よりその意思を公正証書によって公にし、牧師に託しておられましたので、遺言を執行すべく牧師と親しかった遺された友人とが共に教団を訪れてくださいました。石井さんは生前TBS放送の第1期のアナウンサーとして、テレビ放送開始初期の時代に活躍された方とのことで、社会的な問題への関心も強く、不遇な状況におかれた人々や状況に対して社会の目を向ける働きをされたとのこと、その志を教団の将来に託されたということでしょう。この託されたタラントンを、どのように有効に用いるか、この課題が与えられています。

(教団総幹事 秋山 徹)

【4948・49号】人ひととき 相原 孝至さん

神を賛美する民の一員として

小学校高学年の頃、満州から日本に引き揚げる際に多くの乳呑児が死んでいった厳しい状況を両親から知らされ、子どもながらに、当事者であった自分自身がその一人であったかもしれないと思い、初めて自らの死を自覚した。

両親は文房具店を営んでいた。それは偶然にも深町正勝牧師(当時)が牧する静岡教会の目の前であった。信仰への道は不思議な仕方で確かに備えられていた。

高校生になると自我に目覚め、人間とは何かと繰り返し問う日々となった。そこで静岡教会に飛び込んでみた。高校生会が盛んだったこともあり、すぐに教会に馴染んだ。大学進学で上京する前に、主イエスを救い主と信じ、洗礼を受けた。

大学卒業後、宇都宮市にある会社に就職。宇都宮教会に通い始めて、そこで青年会を通して出会った道子さんと結婚。二男一女に恵まれた。

航空機製造の品質管理や生産技術部門での勤務は激務であったが、教会から離れることはなく、約30年以上、会計役員としても奉仕して来た。

10年前の東日本大震災によって、教会は会堂建築を強いられる事態となった。そのことは、教会について、また礼拝について改めて考えさせられ、学びを深める機会となった。

愛唱聖句は詩編102編19節。「後の世代のために、このことは書き記されねばならない。『主を賛美するために民は創造された』」。

思春期を迎える時、自らの死を自覚し、その後、人間とは何かと自問する中で、信仰の道へと導かれた。礼拝における御言葉を通して、自らが主なる神を賛美するために創造された民の一員である喜びを噛み締めつつ、聖書を毎日愛読することを楽しみとし日々を歩んでいる。

【4948・49号】牧会者とその家族のための相談室委員会 コロナ禍による影響を踏まえつつ

第7回目の牧会者とその家族のための相談室委員会は、オンライン会議で、3月18日に行われた。前回の7月の委員会から約9ヶ月期間が空いたので、その間にあった相談電話や、新型コロナウイルスによって暫定的に始められたメールでの相談についてのミーティングを行い、その後委員会を行った。

電話相談も一定の件数で推移し、内容も重要且つ深刻な内容を含むものが多く見られるようになってきた。牧会者とその家族ならではの複雑な牧会上の問題を取り扱うため、相談員と委員長を始めとする委員との連携とケアがこれまで以上に重要になってきている。

ミーティングについては相談員のケアを考えると集まって行うことが一番良いのであるが、現在のコロナ禍の状況では難しいので、オンライン会議で補うようにしている。幸い、オンライン会議を重ねる毎に、相談員の皆さんが慣れてきて対応出来るようになってきている。

コロナ禍による影響は感染対策だけではなく、教会の財政面や教会に連なる人々の健康面にも大きな影響が及ぶことになる。それが、牧会者とその家族に重荷となり、その負担は日を追う毎に大きくなっていくことが予想される。そのことも踏まえつつ、牧会者とその家族を支える活動を続けていきたい。

牧会者とその家族のための全国交流会を2022年に行いたい希望はあるが、現段階では開催の是非を判断出来ないので、祈りつつ道を開かれるタイミングが示されることを待っている状態である。

どんな試練の時にも、福音の喜びに生かされることによって祝福を受けることを信じつつ、この働きを担っていきたい。本委員会の働きを覚えてお祈り頂きたい。

(吉澤 永報)

【4946・47号】新型コロナウイルス 感染拡大の渦中で 教務教師の声に聞く

木村 良己 《同志社中学校・高等学校》

「間」がある「協育」が「未来」を育む

「明石家さんまはテレビに出ずっぱりだけど、今の子どもには『さんま』がない」と言われて久しい。勉強勉強!で「時間」がない、遊びたくっても「空間」がない、競争競争!で「仲間」がいない。そんな「時間・空間・仲間」という「さんま(三間)」に「手間」を加え、「未来」を生きる生徒たちが勝手に育つ環境を整えておくことが教育者の使命であると考え、十字架の元に力を合わせる「協育(きょういく)」に携わってきた。「間」が抜けていない触れあい、集い、楽しみ、学びに制限が加えられ、「距離」という規範が生じて、フィジカルディスタンスに配慮しながらの現実に直面している。

思えば一年前、学年末試験のさなか急遽休校となり、オンライン授業の日々が続いた。生徒全員がi-Padを備えていたとはいえ、チョークと黒板での対面授業をメインにしてきた者に突如訪れたオンライン授業実践。授業支援アプリ「ロイロノート」を使ってスライドを作成し、音声を入れる。生徒たちは画面に向かって授業に参加し、ノートをカメラで撮って送信ボタンを押す。こちらには全員のノートが画面一面に映し出され、確かに便利だ。これを機にデジタルやロボット導入、ICT環境の整備が広がるのだろう。情報を共有するためには効率的で便利ではあるが、生身の付き合いは難しい。事実、授業の余談・脱線や生き生きとした笑顔は失われた。何か「間」が抜けている。速くできる、便利であるには違いないが、やっぱり協育にはそぐわない。じっくり考え、しっかり選択し、ゆっくり生きて行く。いのちを紡ぐとはそういうことだ。授業を早送り再生したかもしれないけれど、もし早送りしてはならないものがあるとすれば、今の「中高生である」時期なのだろう。

ウイルスがあっという間に世界中を襲い、誰にでも感染リスクをもたらすことを実感した。誰もがみな等しく、この弱い身体を持っていることにも気づかされた。本来ならば、その身体の弱さ、いとおしさを知った者は他者の痛みにも敏感であるはずなのに、現実には社会的立場の弱いところから脅威にさらされている。今だからこそ見える、今だからこそ気づくことを大切にし、他者が直面している問題に自分事として向き合うことの大切さを想う。その意味で「スピードアップ」が求められ「誰が生き残るか?」という現実社会の中で、「みんなで生き残るにはどうしたらいいか?」への転換を促す「スローダウン」の出来事として、この困難な時期に「中高生である」ことの可能性に大いなる希望を託している。「未来」は、社会科の教科書の最後のページにある、歴史年表の右の端っこにあるのではなく、目の前にいる生徒一人一人が「未来」なのだから。

山元 克之 《青山学院高等部》

渇きの中で「真実の言葉」に立ち返る

東日本大震災から10年が経過しました。今なお、避難生活を余儀なくされている方がおられ、また深い傷を抱えたままこの日を迎えられた方がいることを思います。主の慰めを祈ります。

あの時、私は奥羽教区の花巻教会で主任担任教師として仕えていました。未曽有の大災害の中で、先の見えない暗闇が広がりました。私ができたことは、与えられた務めを果たすことだけでした。すなわち、御言葉を語り続けることです。教会の方が御言葉の慰めを求めておられると感じていましたし、何よりも私自身が切に求めていました。

2020年、新型ウイルスの脅威に、世界中が再び先の見えない暗闇に包まれました。私にできることは何かと考えたとき、震災の時、花巻教会の牧師室で考えたことを思い出しました。今までと変わらず、与えられた務めに誠実に励むこと、それが大切だと思いました。

今、私はキリスト教学校(高等学校)の教務教師として仕えています。2020年度の始まりは、他の多くの学校と同様に、生徒は登校することができませんでした。そのような状況下にあるからこそ、いつもと変わらず、平日には生徒に御言葉を届けたいと思いました。キリスト者の教諭の協力をいただいて、毎日短い御言葉のメッセージを書面にして、オンラインシステムを使い、生徒に送り続けました。どの教員も初めてのオンライン教育の準備をしたり、その他にも今までにない教育の形を模索したりしていて、多忙を極める中で、ご協力いただけたことはありがたいことでした。

対面授業が再開された後も今まで通りとはいかず、短縮授業や分散登校、時差登校、あるいは再び休校になる期間などもありました。

礼拝のまもり方もその度に変わりました。全学年が放送を聞きながら礼拝をまもる時期もありました。感染者数が落ち着いていた時期は、講堂に集まる学年と教室でライブ配信を見ながら礼拝をまもる学年を分けたりしながら、その時その時の状況に応じて礼拝の捧げ方を検討しつつ、聖書の御言葉が毎日生徒・教員に届けられるようにと、そのことだけを祈りつつ整えました。

今年度は例年以上に生徒から多くの感想が寄せられました。御言葉に励まされたこと、力づけられたこと、慰められたことなど。生徒も魂の渇きを感じていたのだと思います。そしてその渇きが神の御言葉に出会うことで潤うことを経験したようです。聖書の御言葉は人を生かす真実の言葉であることを改めて強く感じました。

まだまだ先の見えない不安な状況が続きそうです。しかし、いやだからこそ、それでもやるべき一つのことがはっきりしていることが、キリスト教学校のまた教会の強みなのだと思っています。不確かな世論に振り回されるのではなく、どのような時も決して変わることのない確かな真実の言葉に信頼し、それに聞き、また語り、共同体全体がそこに立ち返る。今日もそのことを続けていきたいと思います。

百武 真由美 《遺愛女子中学校・高等学校》

「今、この時にこそ聴くべき言葉」を

新型感染症の影響で生活様式が一変して一年になる。昨年の今頃は全国一斉臨時休校の指示で、卒業式が急遽取りやめになった学校も多かった。あの時以来、学校の予定は大幅に変更を余儀なくされた。ほぼ全ての行事が中止、各種大会も見送りとなった。生徒たちの「やりがい」、「愉しみ」がことごとく奪われてしまい、生徒も教職員も感染症の情報に振り回された。

学校は本来共同の場である。生徒が「共に過ごす」ことに学校教育の本質がある。キリスト教学校が一番に直面したのは、礼拝のために集まることができなくなったことだ。今年度、本校で全校生徒が集まって礼拝できたのはたった2回だけだ。それも時間と距離に細心の注意を払い、讃美歌は短く、大きな声は出さず、あるいは心の中で歌うように促してである。ただでさえ短い学校礼拝が「瞬間芸」と化した。特に新入生は集合する礼拝の経験がなく、礼拝が「皆で共に」捧げるべきものであることをどう伝えたらよいか迷った。

学校は教会より一層、関係者のいのちと健康に責任的でなければならない。そのため教師たちも未曾有の事態に対応することで精いっぱいだった。だからこそ各々の学校での「キリスト教」が日頃どのような立ち位置にあるかが露呈しただろう。

私の場合、コロナ禍の真っただ中で都心の学校から地方の学校へ転任した。関係を築くのにも普段以上に時間と気配りを要し、牧会のスタートラインに立つこと自体に困難を覚えた。そしてマスク越しで互いの顔も知らない中、彼らに放送で毎朝御言葉を語るのは、正直、喜びや感謝ばかりでなかった。だからこそ、これまで以上に「今、生徒たちがこの時にこそ聴くべき言葉」を語ることに力を注いだ。大人以上に十代の若者は見通しのつかない将来に(漠然とでも)不安を感じている。不安のあまり思考することを拒否しているように見える子もいる。その生徒らに、今、この時代、ここに生かされている意味を語り、「あなたを喜び尊んでおられる神さまは、目には見えないけれど共にいてくださる」ことを語り掛けた。すると、放送による礼拝であってもそれぞれの教室で不思議な一体感が生まれるようになった。当初は教室で捧げる放送礼拝では生徒は集中しないのではという懸念が教職員にはあった。けれども生徒たちには「ほんもの」に対する反応力があったように感じる。

教会訪問も中止せざるを得なかったが、ウェブ礼拝を紹介して参加を勧めている。積極的に視聴する生徒が多かったことが嬉しかった。

ウイルスという目に見えないものに振り回されながら、人間はいのちを支配できないこと、この状況下でこそ御旨に従ってたてられたこの学び舎に招かれ、呼ばれてきた意図が神さまには必ずあることを共に信じるよう教えられているように感じている。

【4946・47号】伝道報告 児童養護施設堀川愛生園について

社会福祉法人堀川愛生園 施設長 伊藤 信彦

堀川愛生園の創立は1945年に遡る。三崎町教会の牧師であった山北多喜彦先生が3月の東京大空襲により親を失い、住む家を失った子どもたちが安心、安全に暮らせるようにと、賀川豊彦先生と共に福島県の県南地域東白川郡棚倉町堀川(ほっかわ)の山林に東京で保護した子どもたちと生活するための場所を得る。そこに、教団を通して紹介された初代園長となる神戸周平氏とその家族、三崎町教会の女子青年有志が参加し、同年10月より子どもたちとの生活が始まった。と言っても、材木を切り出す山林の一角に掘立小屋を建てての生活は苦難の連続であったと記録されている。創立から数年後に、後に北海道家庭学校の働きもされた谷昌恒氏も加わり、1948年に児童福祉法に基づく児童養護施設として国の認可を受け、1951年に現在の丸内に移転する。愛生園は創立以来、棚倉町がこの働きを理解し、土地、食料や物資だけでなく労働力の提供に至るまで親身になって協力してくれている。

1965年より谷先生の後を受け飯田進氏が園長となり、2011年までの46年間園長として今日の愛生園の働きを理論的に構築した。愛生園は当初から小舎制養育という少人数(子ども6〜7名)の子どもたちと主たる養育者が共に生活するグループホームという形態をとってきた。飯田先生は愛生園における小舎制養育の基盤を確立されたと言って過言ではない。時代は戦後の経済復興期から高度経済成長期へと推移し、施設に来る子どもたちも大きく変容している。所謂バブル期から始まり2000年以降は児童虐待による保護のケースが入所児童の大半を占めている。実際に21世紀に入り今日に至るまで、全国200か所を超える児童相談所に寄せられた児童虐待相談件数は、今や年間20万件に届かんとしている。

2011年3月の東日本大震災での被災に加えて福島県は、福島原子力発電所の事故により放射能汚染災害という二重の苦しみを経験してきた。震災後の2012年に震災によるダメージもあり、それ以上に築40年強という老朽化の不安により、園舎の全面改築を行った。事業に当たっては、教団を通してドイツのBerliner Mission-swerk より厚い支援をいただいている。また、2013年にはドイツより園を訪問していただき、改築後の園の様子を見ていただき、職員とも交流することができた。その後も、改築事業による借入金返済のため毎年ご支援をいただいている。多くの教団の諸教会からも募金にご協力をいただいている。

東北の片隅で始まった働きが、75年支えられてきたのも、こうして多くの方々のお支えによるものと職員ともども感謝している。

  • 日本伝道の推進を祈る日

    「2021 日本基督教団教会・伝道所一覧」発行

    10

    新型コロナウイルス対策資料

    共に仕えるためにPDF

    牧会者とその家族のための相談電話

    International Youth Conference in Kyoto

    日本基督教団2019年度宣教方策会議

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