伝道推進室より応援した教会・伝道所
この地にある教会としての歩み
大台めぐみ教会牧師 吉川 進
三重県の伊勢神宮の脇から海に出る宮川は、奈良、和歌山との県境にまたがる大台ヶ原山を源流とする清流です。
大杉谷と呼ばれる渓谷を20キロほど下った荻原村に明治中期に生まれた少年が、病弱の幼年期を越えて伊勢の県立中学校に進み、山田教会でキリストの福音に触れたのが、1900年。病弱の少年は同志社神学校に進み、設立間もない京都同胞キリスト教会に所属する神学生からやがて同胞キリスト教団の指導者となる。これが、のちに日本基督教団成立後から、大戦後も長く京都教区長を務めた安田忠吉牧師。病気で何度も死線をさまよい、その都度命を与えられた安田師は、神の恩寵を熱く説く説教者・伝道者とされ、優れた指導力で教派を育てた。
1946年安田師は、ホーリネス迫害の時に廃止された尾鷲教会を再興するよう、小出忍牧師に促した。自らの生地にもキリストの光を、と同年9月から荻原中学校の校舎を借り、小出師が尾鷲から月1回の出張で礼拝を開始させた。その後、メソジスト教会の牧師であった鈴木義徳牧師に開拓伝道を託した。翌47年1月に村から土地と建物の払下げを受け、保育園も村の教育の象徴となった。こうして、1947年7月24日に荻原教会(二種教会)が設立された。
さらに1951年4月、同じ郡内で、居住者の多い三瀬谷駅近くに三瀬谷伝道所を設立し、54年から三瀬谷で朝礼拝、荻原で夕礼拝の構成で鈴木師が主任教師を併任する体制とし、外部から牧師たちを講師に呼びながら特別伝道礼拝を頻繁に行った。
三瀬谷伝道所は、56年に三瀬谷教会として新たに教師を招聘し、その後5名の教師によって牧会されたのち、1980年に荻原教会を吸収し、鈴木師を主任教師として大台めぐみ教会に合同した。64年から始めた紀勢線沿線の紀伊長島、尾鷲両教会とのブロック伝道は、毎年行う研修会となり、のちに年1回の合同礼拝として、現在も続けられ、教会相互の励みとなっている。
88年に鈴木師が引退し、5名の教師方が継承後、2010年に紀伊長島出身の町田久子牧師が地域での人脈を通じて教会につながる講演会などを工夫した。2015年から吉川が牧会を引き継いで、音楽会、落語会などを通して教会に人が出入りする工夫をして現在に至る。
荻原、三瀬谷の両教会が、草創期から保育園の事業で地区の幼児教育に貢献、教会の伝道に大きな力を与えられたが、61年に保育園が町立となることで子供たちとのつながりが急激に薄くなったことは残念である。鈴木師が一族で、荻原の地に移り住んで長く牧会に当たった働きは草創期を支え、最も記憶される。
教会は、伊勢の奥にあるこの地理的状況にぜひ残したいと願っています。伝道の在り方に工夫が必要なのか、課題を感じています。主のみ旨が成りますようにと祈らされています。