第123回神奈川教区総会が、2月27日、清水ヶ丘教会を会場に行われた。開会礼拝後の組織会の冒頭で准議員の大住雄一氏から、免職の戒規を受けた北村慈郎氏が議員とされていることの根拠等が質された。それに対して岩﨑隆議長は、「北村慈郎氏は上告し、現在審判委員会で審議中であるため議員とする」と答え、正議員228名中175名の出席で総会の成立が宣言された。
議事ではまず、准允執行と按手礼執行に関する件が上程されたが、孫裕久議員から「教区総会では、議事に先立って教区形成基本方針が朗読されるはずではなかったか」との指摘があり、岩﨑議長は「朗読します」と答えた。これに対し、「教区形成基本方針を読むなら、(総会の根拠である)教憲・教規も読むべき。ただ慣例を守るために読む必要はない」とする意見もあったが、岩﨑議長は慣例に従って副議長に教区形成基本方針を朗読させた上で議事に入った。
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2日目午前の講演Ⅱの後、10分団に分かれて、少人数での話し合いの時が持たれた。この様子は、午後の全体協議で、各分団3分ずつの時間で報告された。詳細を知るには至らないものの、活発な議論また体験の共有がなされたことを伺い知ることができた。
信徒の参加者が多いことが、今回の宣教方策会議の特徴であったが、教会そして福音宣教を巡る基本的なこと、言い換えれば根本的なことについて質疑がなされたことは、評価すべきことであろう。翻って、開会冒頭の小出望宣教委員長による主催者挨拶も、一部は、内藤留幸総幹事の主題講演に重なるものであり、教団の最重要課題に真正面から向かい合い、信徒・教職が共にこの課題を担おうという姿勢を鮮明にするものであった。
具志堅篤宣教委員会書記が、閉会礼拝・説教に当たった。5年前トルコで起こった羊の集団自殺?の出来事を紹介することから始めて、詩編80編15~……
講演Ⅱは、岡本知之氏(西宮教会牧師)による『日本基督教団における教職制度の課題と展望』。
冒頭、教勢低下とそれに伴う財政逼迫という、絶望的とさえ見える教団の近未来像を、日本国そのものの人口減少、財政破綻と絡めて、生々しく描き出した。その上で、「過去のいきさつを捨てて現況から」と前置きし、次のような、鋭い分析と大胆な提言を行った。
先ず、二種(二重)教職制について、40年来続いて来たヒエラルキー批判というイデオロギー議論とは全く別次元の「機能的側面から」説明し直し、問題解消法を提案した。
「准允」とは、允可・允許を与えること、允可とは要するに許可することであり、宗教や武道等に於いて、特定の段位や資格を認定することである。現行の教憲教規によれば、それは「説教免許」である。つまり教団の教職制度に於ける「補教師」とは「説教免許を与えられた教師」ということである……
一日目夜のセッションでは、芳賀力氏(東京神学大学教授・東村山教会牧師)による「礼拝と聖餐」と題する講演が行われた。芳賀氏は、今回の講演の目的を、教憲・教規に照らして、日本基督教団における聖餐執行の筋道を明らかにすることであると述べ、教団信仰告白と教憲第8条を踏まえることが大切であるとの認識を示した。
教会を教会たらしめるものとしての「主の民」という共同体概念がある。功利的個人主義の時代、いやしと心の安定を求める人々は、自分の関心事だけを満たしてくれる小さな神々を求める。その中で、まことの神を主として礼拝するために集められた共同体こそ教会である。キリストの出来事を宣教できるのは教会のみであり、その意味で世に遣わされ、地の片隅へと派遣される使徒的共同体、即ち主に属する民である。
そこで、主の民を主の民たらしめるものとしての説教と聖礼典が位置を持つ。聖書的語りを現……
内藤留幸総幹事による主題講演は、「日本基督教団教憲に示された教会観について」。後の質疑で答えたように「今回の宣教方策会議は、信徒の参加者が多いという前提で、専門用語はなるべく避け、平易な言葉を用い」、「詳細に立ち入るよりも今日の教団で大きな問題になっている事柄に照準を合わせた」ものだった。
先ず、印刷配布されたレジメの「はじめに」に従い、講演の主旨と教憲の意義を、次のように述べた。
▼最近の教団内の諸活動をみると、日本基督教団の教会観、教団に属しているということは、どういう信仰に生きていることなのか、教団内の各部門が何をなすのかということ等について、整理された形で理解されていないのではないか。教団がキリストのからだなる教会として、制度を持った教会であり、その実体がどのようなものなのかを、しっかりと捉え、理解することが大切である。
教団は合同教会だと言わ……
山北宣久議長は、聖書日課に従いマルコ福音書9章2~8節に基づき、次のような主旨で開会礼拝説教を語り、宣教方策会議、また教団の進路を示した。
主は何のために山に登られたのか、祈るためであり、祈りは使命の再確認のためであった。直前のマルコ8章31節で、主ご自身が十字架に架けられることを明確に述べられた。十字架を目指す第一歩のために、先ず退いて祈られ、そのために山に登られた。事をなすに当たって先ず祈る、前進する時には退いて祈り体制を整える、それが主イエスにあって私たちの取るべき姿勢だ。
何をなすべきかの前に、如何にあるべきかを整えなければならない。あらゆる行動において大切なことだ。特に人間のいろいろな考えが交錯する会議に於いては、祈りなくしては何も実を結ばない。祈りを経ない行動は思い付きに終わり、沈黙を経ない行動は、悪くすれば混乱を招く。
神は私に何をさせよ……
講演▼内藤留幸氏、芳賀 力氏、岡本知之氏
今、日本基督教団の教会論を確認する
宣教方策会議が、3月1~2日、富士見町教会を会場に行われた。出席は、開会時で85名、京都教区を除く全教区から参加者があった。但し、九州と沖縄は教区代表ではなく宣教委員としての参加。小出望宣教委員長挨拶でも触れられたように、教団に極めて深刻な亀裂が走る中で、あるべき教団の姿・形を問うべく真摯な学びの時を持った。
去る1月21日~22日教団部落解放センターを訪問した。
東谷誠運営委員長、谷本一廣活動委員長そして小林明主事をはじめ各委員の方々と会合を持つことができた。
昨年の6月13日~22日四国教区で実施したキャラバンの成果、また今年6月7日~9日、東京、西東京教区の協力を得て開催する第11回全国会議の準備状況などを伺い当面する様々な課題について丁寧に意見を交換した。
特に「教会の中に差別はない」「もう差別問題は過去のことではないか」という声の中で、実は次々と起る差別の実態とその根深さ、深刻さは教会が宣教の課題として真剣に担わねばならないとの思いを新たにさせられた。
そんな中、部落解放青年ゼミナールにおおくの参加者が集うていることは心強い限りだ。
解放劇、神学校教育、連帯、青年、広報、狭山事件再審要求運動の部門別に広範な運動、活動を展開しているセンタ……
幼稚園も伝道のため
京子さんの先生は、「たるもと」先生だった。園児として通った教会幼稚園で、卒園してからも生徒として通い続けた教会学校でいつも迎えてくれた先生だ。子どもとかかわる仕事に就きたいと志したのも、幼いときにひとりのキリスト教保育者と出会ったことが源にあった。
幼稚園教師は、子どもたちが家庭から社会に踏み出す最初の一歩を手引きする大切な導き手、はじめて出会う先生と言ってよいだろう。この最初の導き手となるのにキリスト教信仰を土台として務めに当たるのがキリスト教保育者である。自らも教会幼稚園に通い、同時に教会学校にも通い、それ以来これまで教会幼稚園からも教会学校からもずっと離れずに歩んできたことがキリスト教保育者としての、京子さんのアイデンティティーを支えている。
京子さんは、何よりも自分が洗礼を授けられたキリスト者であるので、保育にも教……
http://www.bp.uccj.or.jp
★新刊から
『キリストこそ我が救い--日本伝道150年の歩み』日本基督教団日本伝道一五〇年記念行事準備委員会=編
1959年の宣教100年から50年間を教団はどう歩んだのか。日本伝道に大きな足跡を刻むキリスト教学校と社会福祉事業の歩みとは。歴史を振り返り、日本伝道200年に向かって進むべき道を探る。*2730円
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