第36総会期第4回「能登半島地震」被災教会会堂等再建支援委員会(以下、委員会という)が、2月16日に、教団会議室で開催された。
前回委員会議事録承認後長山信夫委員長より、「信徒の友」2010年1月号及び2月号のグラビア《ここに教会がある》に能登半島にある七尾、羽咋、輪島の3教会が紹介されることに合わせて、地震被災献金のお願いの広告を掲載したとの報告があった。
次に事務局より、献金及び支出状況の報告があった。2010年2月12日現在の募金状況は1億3千6百万円強であり、その内7千万円強が再建された会堂等に送金されていることが説明、報告された。
また、「能登半島地震支援ニュース№6(11月20日)」を発行したこと、クリスマス献金の募金アピールポスターを全国の教会・伝道所に配布したとの報告があった。
続いて陪席の中部教区能登半島地震被災教会再建委員会の……
2月22日(月)~23日(火)、栃木県那須塩原市にあるアジア学院で、第7回「農」に関する協議会が開催された。参加者は40名ほどであった。
以前からアジア学院での開催を望む声があった。アジア学院は、農村伝道神学校の東南アジア科を前身として、1973年に創立されたキリスト教信仰に基づく国際人材養成機関である。
協議会は米倉美佐男伝道委員長による開会礼拝に始まり、続いて、職員である中村満氏の案内でアジア学院を見学した。
その後、「西那須野教会の歴史とアジア学院の創立」と題して菊地創氏による講演。菊地氏は西那須野教会員であるとともにアジア学院の創立発起人であり、校長も務めた。創立以来のアジア学院と西那須野教会の関わりを語りながら、「命とそれを支える食物を大切にする世界を造ろう」というアジア学院の精神は、現代の宣教の大切な課題となり得るのではと語った。教会での小……
第36総会期の第4回伝道委員会が2月23日(火)~24日(水)、西那須野教会において開催された。
前日よりアジア学院において開催された第7回「農」に関する協議会を祝福の内に終えての委員会であった。
小林克哉委員の説教による開会礼拝に続き、中島英行氏(元日本基督教会大会伝道局理事)を迎えての講演を持った。今後の教団の伝道体制を模索するために日本基督教会の伝道局の働きに関する学びは有益であった。
今回の委員会で扱われた内容は以下のものである。
◎2010年度開拓伝道援助申請に関する件(7件)では、栗山教会(北海教区)、大船渡教会(奥羽教区)、陸前古川教会(東北教区)、土気あすみが丘教会(東京教区)、長野本郷教会(東海教区)に各165万円、岡山信愛教会(東中国教区)に55万円、大島教会(西中国教区)に110万円の援助を決定した。
◎2009年度後……
2010年1月23日(土)~1月30日(土)、日本盲人キリスト教伝道協議会(以下盲伝)の主催により、バングラデシュ・スタディーツアーが行われた。
参加者は盲伝の会員男性2名、女性6名の計8名。23日に成田を発ち、24日の聖日礼拝をバンコク日本語教会で守った後、バングラデシュに出発、25日からバングラデシュの様々な施設を見学した。
盲伝とバングラデシュの関係は長い。その関係は、1989年、NCCの招きでダッカ市内にあるバプテスト連盟女子盲学校の校長である、サマダール氏が来日したことにより始まった。「バングラデシュの視覚障がい者を支えよう」という声が会員から起こり、当時の財務員であった二神三男牧師がバングラデシュに足を運んだ。以来、生徒や卒業生に対する支援や、盲伝の会員がバングラデシュについて理解を深めるためのスタディーツアーを通して、相互理解を深めて来た。
……
第36総会期第4回予算決算委員会が、2月1日(月、13時30分~18時20分)及び2日(火、9時30分~12時)の両日にわたって、教団会議室で開催された。
伊藤瑞男委員長による開会祈祷に続き、議事日程を事務局の提案通り決定し、直ちに議題に移った。
先ず、第3回予算決算委員会記録(案)を異議なく承認した後、内藤留幸総幹事より報告を受ける。特に予算決算委員会に直接関わることとして、第4回常議員会に、常議員会議員3名、教区長1名に予算決算委員長を加えた教区活動連帯金検討委員会設置の議案を提出の予定であると報告された。
また計良祐時財務幹事より第一次補正予算案の説明を受ける。これは当初、補正は不要であると思われたが、大阪教区より入金があったためである。
続いて負担金及びその算定方式について、突っ込んだ議論がなされたが、教団全体としては、前述のように検討委……
第36回総会期第3回靖国・天皇制問題小委員会が、2010年3月8日(月)~9日(火)、日本キリスト教会館4階会議室および靖国神社で開催された。釜土達雄委員長による開会礼拝の後、報告・協議が行われた。
委員会1日目において、七條真明委員による発題「神道とは何か」がなされ、委員による質疑応答がなされた。
井上順孝の著書『神道入門-日本人にとって神とは何か-』等を手がかりとして、神道が宗教というよりはむしろ宗教的態度であること、神道は仏教や道教と著しい混淆をなしており、したがって神道の明確な教義を定義することは不可能に近いこと、祭りや合格祈願や初詣において、人々は神道を信仰として意識することは少なく、神道と一般的慣習との境界線は曖昧であることなどが確認された。
また質疑応答においては、たとえば多くの日本人がなんとなくクリスマスを祝う心性に表れているように、神……
▼ 腸から出血し、何とも皮肉なことに、イースターの翌日から3日間の断食を強いられた。レントの間の暴飲暴食が祟ったのかも知れない。悔い、恥じるのみ。▼災害や貧困で何日も食べ物に見放された人があるのに、初日の夕方には、もう辛い。2日目には、常に食べ物のことばかり考えて、仕事が手につかない。3日目、ご主人の苦悩などお構いなしにパクパク食べる飼い犬のドッグフードに、ふと目が行った。「ちょうだい」と流石に冗談で言ったのに、犬は本気にして、一声唸った。食い恥をさらす。▼3日目、「今日で終わり、明日からは」と思うと、何を食べようかと常に食べ物のことばかり考えて、仕事が手につかない。ふと、痩せたような気がして体重測定したら、4キロも減っている。何事にも喜びは発見できると、にやっとする。▼4日目、お医者さんのお許しが出た。しかし、3日後には、また同じことを繰り返さなくてはならないそうだ……
補教師試験不合格判定なし
教師を立て、送り出していくために
2010年春季教師検定試験は、3月2日(火)~4日(木)、東京会場(早稲田の日本キリスト教会館)において、4階の教団会議室と6階の会議室(貸室)で行われた。
1日目は開会礼拝の後に学科試験、2日目と3日目に個人面接を行った。原則として2日目の個人面接は遠方からの受験者、3日目の個人面接は東京近郊の受験者とし、受験者の負担軽減を図った。
2日目・3日目それぞれ、個人面接に先立ち、全体会を行った。開会祈祷後、検定委員の自己紹介があり、続いて倉橋康夫委員長から、学科試験の結果を受けての講評が述べられた。
倉橋委員長は、まず、「第36総会期教師検定委員会方針」に沿って、「主の召命に応えて日本基督教団の宣教を担い、主の教会に仕える教師を送り出すために、教憲教規に基づき、教師検定規則に則って」行う試験で……
3月5日、東京聖書学校の2009年度卒業式に教団代表として出席しました。卒業生は4名でした。初めの礼拝において説教者がやがて伝道に赴く卒業生に醇々と伝道者の心構えを語っていました。「自分の置かれた境遇に満足することを覚えること、貧しく暮すすべも、豊かに暮すすべも知り、いかなる場合にも対処する秘訣を授けて下さる方のお陰で、わたしにはすべてが可能ですと言ったパウロのように生きよう」。
この言葉に肯く卒業生たちは実にすがすがしく見えました。
卒業式に列席した感想の一つを端的に記すと...
日本基督教団の信仰の豊かさを覚えたことです。
教団の教憲前文には日本基督教団成立の歴史的・信仰的経過が簡潔に記されています。
「わが国における三十余派の福音主義教会およびその他の伝統をもつ教会は、それぞれ分立して存在していたが、1941年6月24日くすしき摂理の……
主の憐れみのもとに95年
金井次夫さんが受洗したのは15歳の時、80年の信仰生活となる。母方の曾祖母まで遡ると四代目のキリスト者である。つまり、「母の胎にあるときから、あなたはわたしの神」(詩編22篇11節)と仰いで来たと言ってよい。その生涯は、まさに主の憐れみのもとに置かれた95年ということができよう。現在も、体調不良の数回を除いて、主日の礼拝を休むことはない。1年間、ほぼ皆勤である。
受洗のきっかけとなった出来事は印象深い。当時、腕白な中学生であった次夫さんは、学業成績が振るわず、ご両親が学校に呼び出されたことがあった。そのとき、当然、ご両親からきつく叱られることを覚悟していた。しかし、ご両親は、箴言第10章1節「知恵ある子は父の喜び、愚かな子は母の嘆き」との聖句を示し、祈ってくれたのである。このことを通して、次夫さんは信仰へと導かれ、現在の伊……