1日目夕食休憩後のセッションでは、議事日程に従って、諸報告がなされた。
日本伝道150周年記念事業準備委員会報告の件では、藤掛順一書記より、会計の中間報告と共に、協力への感謝が述べられた他、記念出版について、特に、座談会は、委員会の公式見解ではなく、異なる歴史認識の存在する現実を踏まえての編集を願ったが、一方の立場から50年史の協力が得られなかったために、そのことを浮き彫りにするべく企画されたことが説明された。この点を巡り、自由な発言とは言うが、内容的に、常議員会で決められたこととの齟齬が生じているのではないか、との問いが出されたが、藤掛書記は、宣教100年後の50年を振り返る中で、現状の課題が正直に述べられたものではないかと考えている。その意味で、趣旨には反していないとの考えをあらためて示した。
在日韓国朝鮮人連帯特設委員会報告の件では、小橋孝一委員長より……
山北宣久教団総会議長より「教区活動連帯金検討委員会設置に関する件」が提案された。
委員会は常議員3名、予算決算委員長、配分検討委員会推薦者1名で構成、期間は第36総会期中、経費は常議員会費より支出する。
提案理由として下記のことが挙げられた。「現在教区活動連帯金は、第27回教団総会で可決された議案第36号に基づき、教区活動連帯金配分協議会を年に一度開催し、分担金と配分金を決定して運営している。しかし、教規上の規定がなく、教団の組織的位置づけが正規になされていないまま、現在に至っており、組織的整備・位置づけが、解決すべき問題となっている。また現在、教区活動連帯金に対して参加しない教区、拠出を保留する教区などがあり、現在の形態をそのままにしておいてよいのかとの疑問がある。こうした問題も視野に入れて、現在の教区活動連帯金の在り方を根本的に検討し、今後教団が行うべき……
議事日程において承認されたとおり、2日目の冒頭において、山北宣久議長より、追加議案として、「審判委員選任の件」が上程された。
まず、議長は、審判委員の選任は、教規第39条(5)において、そのことを「常議員会に諮問し、また発議すること」ができると記されている議長の総括行為であることを示しつつ、賛否および意見は議事にゆだねるとコメントした。その後、経緯及び選任の方法等について説明を行なった。
経緯は、教師委員会が戒規申立書を受理し、執行したことに対して、北村慈郎牧師より上告がなされたことによるものである。
戒規施行細則第6条には、「議長は、通告を受けたる日より14日以内に常議員会の議を経て、審判委員若干名を挙げ、之を審判させるものとする。審判委員において決定したるものは最終決定とする」と記されており、これに従う。
この細則に基づき、審判委員の資格につ……
第36総会期第4回常議員会は、2月15日から2日間、教団会議室で30人全員が出席して開催された。
議事に入る前の点呼の冒頭、山北宣久議長は、「北村慈郎氏が常議員席に就いているが、教団新報4692号の公告で明らかなように、北村氏には戒規が適用・執行されている。
しかし、2月12日付で上告書を受理したので、施行細則6条により審判委員を選任し協議を行う。その決定が出るまで処分は保留となる。従って本日は従前通りの点呼を行いたい」と提案した。
これに対し、異論も出て意見が相次いだが、挙手多数で議長提案は承認され、点呼が行われた。
議事日程の件で山北議長は、「審判委員選任の件を追加議案として第2日目第1の議題として扱い、戒規適用に関する議論は総幹事報告で扱う」ことを提案し承認を得た。
総幹事報告では、当然のように、北村慈郎常議員に対する戒規適用問題が火……
「裁判官みたいですね」と言われた。刑務所でクリスマス礼拝をささげたときのことである。
教誨師は16年間担っている。当初は試行錯誤で教誨を行った。前任者からの引継ぎがなく、また他の教誨師からの指導もないままに始めた職務である。最初の30分は讃美歌を歌い、聖書を輪読し、解説を含めた奨励を行う。後半の30分は懇談の時とし、感想を聞いたり質問を受けたりする。教誨を受ける皆さんは、自由にのびのびとお話するのであった。
最初に迎えたクリスマスは、いつもの教誨ではなく、クリスマスを体験してもらいたいとの思いが有り、ローソクを灯して、暗黒の世にイエス様が到来した喜びのメッセージとしたのであった。この時はガウンを着用したのである。クリスマスの礼拝が終わり、感想を聞いたとき、「裁判官みたいですね」と言われたのである。胸に突き刺さるものを感じた。そう、この人たちはガウンを着ている……
わが恩なんぢに足れり
笑顔の絶えない野坂さんは、小さい頃から成績優秀の人気者だった。そんな野坂さんを突然の病気が襲ったのは、女学校に入学してまもなくだった。体育の授業中に意識を失って倒れ、相当の時間を経て意識が回復してからも、猛烈な頭痛に苦しめられた。しばしば同様の発作が起こり、本人は癲癇と思ったが、医師の診断と病名は変遷し結局確定しなかった。ただし発作による危険を回避するため登校は控えざるを得ず、定期試験だけで成績を判定されたが、常に首席を占め続けていたとのこと。
自宅療養の毎日は、読書に費やされた。悶々とする日々の中で、叔父の所有する聖書を手にする。コリント後書12章「わが恩惠なんぢに足れり、わが能力は弱きうちに全うせらるればなり」の御言に捉えられた。60年以上過ぎた今でも、その箇所だけには栞がはさまれている。けれども戦時下、教会へ行くことは叶……
日本基督教団宣教委員会委員長 小出 望
◎日 時 2010年3月1日(月)午後2時~2日(火)午後3時
◎会 場 富士見町教会
◎主題講演 「今、日本基督教団の教会論を確認する-教憲に示された教会観-」
内藤留幸(教団総幹事)
◎講 演
①「礼拝と聖餐」
芳賀 力(東京神学大学教授・東村山教会)
②「職 制」
岡本知之(西宮教会)
2009年11月に発行しました『日本基督教団年鑑2010』の「正誤表」が出ました。ご希望の方は年鑑をお求めになった書店か教団事務局まで直接お申し込みください。
なお、4月以降は教団ホームページからもダウンロードできます。
日本基督教団事務局総務部
〒169-0051
東京都新宿区西早稲田2丁目3の18
電話 03(3202)0541 FAX 03(3207)3918
ホームページ http://www.uccj.org
……
http://www.bp.uccj.or.jp
★新刊から
『キリストこそ我が救い-日本伝道150年の歩み』日本基督教団日本伝道一五〇年記念行事準備委員会=編
1959年の宣教100年から50年間を教団はどう歩んだのか。日本伝道に大きな足跡を刻むキリスト教学校と社会福祉事業の歩みとは。歴史を振り返り、日本伝道200年に向かって進むべき道を探る。*2730円
ここにおられるキリスト 筧 牧人 (伊予長浜教会牧師)
2004年に神学校を卒業し、愛媛県にある伊予長浜教会に伝道師として赴任した。伊予長浜教会に来て、愕然とした。人もお金も、そして伝道の可能性も何もない教会だと感じたからである。礼拝出席は10名にも満たず、財政的にも困難を極め、明日運営できなくなってもおかしくない状況であった。また、受洗者も長く生まれず、町自体も急激な過疎化で疲弊していた。私は何とかしなければならないと思い、我武者羅に頑張った。何よりも私自身が不安だった。真っ暗闇の中で、何か希望の光を手にとって見たいと思い、頑張った。しかし、その頑張りは空回りとなり、良い結果を生み出すどころか軋轢を生んだ。そして破綻がやってきた。私は二年目の夏に病になった。何も手につかなくなる病であった。そこで自分が「空っぽ」になってしまったと感じた。医者に診てもらうと共に、伊予長浜教会の代務者で……