インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

教団新報:一覧

【4639号】宣教師からの声

2007年11月24日
神の善い業に参加する日々 タヒューン・ヘイゼル タヒューン・ロバート (合同メソジスト教会《UMC》からの派遣宣教師) 「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」とパウロはフィリピの信徒への手紙1章6節に記しています。それは大昔そこにいた信徒への約束というだけでなく、伝道するために日本へ導かれた私たちへの約束であるとして受け止め、今、それを確信させられています。この約束と神の愛と恵に満ちた働きと支えがあったからこそ、日本に住んで伝道する忍耐と希望が与えられたと言えます。 ヘイゼルがこの「善い業」に参加するきっかけとなったのは、アメリカのペンルヴァニヤ州の田舎にいた九歳の時でした。教会の礼拝で朗読されたイザヤ書6章8節の神のみ言葉に感動し、「あなたのみ旨ならば私はあなたの宣教師になります」と、心の……

【4639号】伊豆諸島伝道の現状と今後を語り合う 東京教区伊豆諸島伝道協議会

猛暑といわれた夏も終わり、凌ぎ易くなった十月九日(火)に、二○○七年度の伊豆諸島伝道協議会が東京教区東支区内の三崎町教会にて開催された。毎年四月に行われていたが、五月には、伊豆諸島連合修養会が行われたので、今年はこの日の開催となった。 各島の教会から教職と信徒、東京教区各支区から五〇名近くの教職信徒の出席を得、この度日本基督教団総幹事として立てられた内藤留幸師をお迎えし、開会礼拝説教「恐れるな、語り続けよ」との御言葉と説教を頂き、「島における確かな教会形成」のテーマに相応しい励ましとお教えを頂いた。島の教会は勿論、都会の信徒にも有意義な礼拝のひと時であった。 昔は、都会でもよく路傍伝道が行われたが、最近はあまり見かけない。教会の中だけに留まらず、地域に溶け込み、とにかく出て行って、主が共にいて導いて下さることを信じ、何も思い煩わずに恐れず語るようにとの奨励をいただいた。 島の各教会か……

【4639号】人ひととき 寺西 信彦さん 見えないものに目を注ぐ

 日本基督教会の牧師家庭に生まれる。一番幼かったので礼拝の時間は、一人で牧師館にいる事が多かった。その頃、礼拝堂からの歌声が心に響いてきた。その曲は、ハレルヤコーラスであり、それ以来、心に響く美しい音をいつも求め続けている。  その後、父は教会を辞し、目黒で幼稚園を経営する。園舎の一部が自宅であり家庭環境は余り良くなかった。学生時代は、受験競争とスパルタ教育に大きな反発を覚え、家にあった教育講座や関係書物を読み漁った。暗闇のような現実と、教育の理想の明るい世界との落差にどちらが本当なのかと悩んだ。  少し絵心があって研究所に通う途中、一念発起して一九四四年に地方の代用教員となり、学生生活を終えてから正式な教師となる。絵が好きというだけで美術の教師となったので、絵の何たるかを何も知らなかった。だから、とにかく良い絵を見ようと美術館に通った。フランスの後期印象派、セザンヌの絵を三三……

【4639号】人々へのメッセージ

 教会の近くに住む教会員が召天され、当然キリスト教の葬儀が行われた。葬儀にはご近所の皆さんも多く参列された。所用で電気屋さんに寄ると、葬儀には列席されたと言われ、キリスト教のお葬式はよいものですね、と言われる。お話も良く分かりましたとも。  葬儀は召天された方の証を示されるのであるが、それと共に社会の人々に聖書のメッセージを伝えることができる。伝道が深まるときでもある。 そして、葬儀と共に一般の皆さんにメッセージを示すことができるのは結婚式である。  幼稚園の先生が結婚することになり披露宴に招かれた。相手の彼は小学校の先生である。彼の主賓は校長先生で、僧侶でもあるということである。教育者であり、宗教家である校長先生は、さすがに感銘深く祝辞を述べられた。終わったとき、随分長いなあと思った。  次に花嫁さんの主賓である園長(牧師)の祝辞である。園長は、キリスト教主義幼稚園で……

【4638号】名前の大切さ

2007年11月2日
九月十二日、安倍首相の突然の辞任で日本中は大混乱。 その夕方、ある新聞社からの電話取材で「今回の突然の辞任をどう思いますか」とのことで、私なりに感想を述べた。 その後の確認で、「まことさんの字は旧字…眞…でしたね」「ええ」と返事をすると「印字の関係で、新字…真…を使いたい」と言う。 私は、新聞記者たる者が、人の名前を正確にではなく、簡単に間に合わそうとすることに驚いた。 さらに聞いてみると、名前に関しては、他新聞社とも協定ができており、どの新聞社もそうだと言われ、さらに驚いた。 結局は「旧字が使用できるなら名前を出し、使用できないのなら浜松市在住のA氏とする」で、電話を終えたが、翌日の結果は旧字。人によっては、自分の名前の旧字・新字に余りこだわらない方もおられるが、運転免許証をはじめ、他の免状でも、名前が正確でなければ無効のはず。 「名は体を表す」の言葉にもあるように、名前は記……

【4638号】人ひととき 神宮 弘さん

いと小さき者の一人に 「いと小さき者の一人に。」この聖句は、神宮さんの四〇年に亘る教員生活を支えてきた御言葉である。 戦後、価値観の大転換に人生の本当の意味を問うた。そんな折、金沢教会を会場に開かれていたYMCAの英語クラスに参加したことをきっかけに教会の門をくぐった。従姉がクリスチャンであったこと、他にも教会に触れるきっかけはあったが、教会の門をくぐったことを意識したのはこの時である。 実家は米穀商、父は家業のほか、能楽師として弟子をとるほどの実力者だった。小さいときから仏教色の強い環境で育ってきた。そのような神宮さんがこの英語クラス、また学んでいた師範学校で開かれていた学生YMCAの聖書研究会などを通じてキリスト教に触れ、信仰をすんなりと受入れられたのは驚きである。神宮さんは、「唯、神の招き」と言う。 教員として公立学校一筋で通した。公立学校での働きを続けたのは、伝道の困難……

【4638号】『僕んちは教会だった』出版記念 地震被災教会支援チャリティー・コンサート開催

去る一〇月十二日夜、東京・早稲田奉仕園スコットホールにおいて「陣内大蔵『僕んちは教会だった』出版記念チャリティー・コンサート」(主催=日本キリスト教団出版局/協賛=日本基督教団社会委員会、同関東教区、同中部教区、財団法人早稲田奉仕園)が行われ、観客一三六人を魅了した。(写真) これはミュージシャンで東京・東美教会伝道師の陣内大蔵さんの自叙伝的エッセイ刊行を記念して企画されたもの。『僕んちは教会だった』(日本キリスト教団出版局刊・一〇五〇円)は牧師家庭に生まれた陣内さんの少年期から思春期の経験を綴ったもので、九〇年代初頭に音楽・文芸雑誌『月刊カドカワ』(角川書店)に連載されたものに加筆・修正され、一冊にまとめられた。山口・宇部緑橋教会を牧会していた陣内厚生牧師の長男として生まれ、牧師家庭ならではの生い立ちを記したエピソード二〇編が、ユーモアを交え痛快に描かれている。また表紙の旧宇部緑橋教会……

【4638号】宣教師からの声

天国はどの地からも通じている 林田 義行 (台湾基督長老教会・高雄日本語教会宣教師) 1980年8月、神学生時代の夏期伝道実習で台湾に一ヶ月ほど滞在した。神学校卒業も近くなって台北の日語教会の長老からお誘いを受けたりもしたが、私はまだ手が付けられていない地を求めて南部を目指すことにした。1983年8月、産声をあげたばかりの後援会の仲間に励まされながら、刷りたての「高雄通信」創刊号を携えて、真夏の台湾に向け出発した。 台北に到着すると、キリスト教医療伝道会の堀田久子宣教師が出迎えてくださり、郊外の淡水では加藤実牧師夫妻(教団宣教師)にもご挨拶することができた。加藤牧師は流暢な中国語をお話しになり、言葉の学びの大切さを実感した。 また、PCT総会事務所では高俊明総幹事が不在で、自宅に政治犯をかくまった容疑で投獄中だった。日本からの献金をお届けして、台北からバスで高雄に向かった……

【4638号】お知らせ

☆日本基督教団部落解放センターの開所25周年感謝会/時=11月20日(火)13時半~16時半/所=日本基督教団信濃町教会/礼拝=谷本一廣牧師、記念講演=遠藤富寿牧師/主催・問合せ=日本基督教団部落解放センター運営委員会(☎072-875-8470)

【4638号】消息

志村卯三郎氏(隠退教師) 七月六日、逝去。一〇三歳。山梨県に生まれる。一九三四年同志社大学神学部卒業後、日本組合基督教会洛南教会に赴任。その後漢口日本人教会、駒繋教会、赤坂教会を牧会。四八年から八六年まで元標教会牧師を務め隠退した。遺族は妻の康子さん。 小川陽彦氏(隈府教会主任担任教師) 八月十三日、逝去。五一歳。山口県に生まれる。一九九五年准允受領後、幕張教会に赴任。その後美祢教会、山鹿教会を牧会し、二〇〇〇年から隈府教会牧師を務めた。遺族は母のレイ子さん。  
PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2024
The United Church of Christ in Japan