全国から二〇〇名を超える参加者
第10回部落解放全国会議を二〇〇八年六月九日(月)〜十一日(水)に東中国教区で開催する事ができました。神様の導きを感謝します。また、全国の部落解放センターを支えてくださる皆様に感謝します。
第10回目の全国会議は二〇〇六年六月に兵庫教区にて開催の予定でした。その準備段階で部落解放センターは兵庫教区の関係者から、「活動の有り様(ありよう)に関わる問い」を受けました。それは部落解放センターが、今どこに向かって歩んでいるのかという問いであり、「部落解放方針」に「他の差別と連帯していく」とあるにも関わらず、なされてないとの批判でありました。この事は初めて問いかけられた事ではありません。それまでにも問いかけられており、部落解放センター活動委員会にて協議を重ねておりました。改めて問いかけを受け、協議いたしました。何度も協議を重ねた後、「部落差別がなくなりますよう……
六月二一日の神奈川教区を除いて、その他の教区総会が終了した。
私も問安使として幾つかの教区を廻らせて戴いた感想として、二~三年前のコラムに書いたことであるが、その時以上のことを感じざるを得なかった。
例えば、分科会方式をとる教区もあれば、全議案を全員で審議する教区もあり、これらは議事運営の多様性として理解できる。
しかし、准允式や按手礼式の違いは、果たして多様性と言えるのだろうか。
具体的には、誓約時に、式文中の「…信仰告白、教憲・教規に従い(補教師)」、「…教会の規範とに従って(正教師)」を省くのである。
つまり、A教区では、「教憲・教規や規範に従う」と誓って教師の出発をし、B教区では、そういう誓約もなく歩み始めるのである。
勿論、現式文がこの文面通りに使用しなければならないわけではないことは承知している。
さらに、按手の時に「教師は前に」と告げて、按手を実施した教区もあっ……
母の信仰を胸に
「突然警察署から警官があらわれた。その頃風説には各教会(ホーリネス)へ入り込んで取りしらべられているときいた。秩父教会へも取りしらべがあるものだと皆心がまえをしているものの、はたして誰にくるかわらない。最早目の前に来て一矢がこちらに向かっている。明朝午前八時に秩父警察署に出頭するように言い残して帰って行った。当時(一九四〇年)七月七日」と、今は亡き母の遺稿を読み上げるご婦人の姿に出会った。
第二次大戦下、日本基督教団の六部九部が厳しい弾圧を教職も信徒も受けたことは旧知の通りである。しかし、その弾圧をお聞きする機会は、なかなか無い。しかも戦後六十数年という時間が重くのしかかるが、絶対に風化させてはならない。
遺稿を読み上げる白井キヨ子姉が弾圧を受けた際は、青年期であり、遺稿に記される母の信仰を見て成長された。激動の時代であったが、日曜学校でさんびかやクリスマスの劇が……
五月二〇日~二一日、東京の「高尾の森わくわくビレッジ」で、第四一回伊豆諸島連合修養会が開催された。台風四号の北上で影響が懸念されたが、当日朝には風雨も収まり、東京教区各支区から六〇名(その内伊豆諸島からの参加は九名)が集まって予定通り開催することができた。
今回は講師に四国から小島誠志牧師をお迎えして、「神の言によって生きる-生活の中に働く御言」をテーマに、まず開会の講演を聴いた。
小島牧師は、マタイ10章1~23節をテキストに、「終末に向かって生きること、それが伝道である」と、終末を生きるキリスト者の有り様について語られ、「礼拝する者が伝道する者」「伝道の場はまず生活の場。そこで、弱さをもった自分が何に支えられて生きているかを示していく。それが証し、伝道」「時間ができたら、十分に学び準備ができたら伝道しようでは、いつまで経ってもできない。今あるままの姿でよい。必要なものは神が備えてく……
祈りに支えられて
グドルン・シェーア
(ジャーマン・ミッドナイト・ミッション《MBK》からの派遣宣教師)
「あなたは行って、神の国を言い広めなさい」(ルカによる福音書9章60節)と、この主イエスのみ言葉に押し出されて二三年程前に来日致しました。
ドイツのミッドナイト・ミッション(MBK)より派遣され、二年間「日本語」との格闘生活をし、その後千葉県富津市の社会福祉法人ミッドナイト・ミッション望み会にて婦人保護施設で不幸な女性たちの更生、伝道のために働きました。今でも当施設のチャプレンとして勤め、聖書研究会、受洗準備講座や洗礼式を執り行っています。
一九九三年不思議な神の導きによりまして、西千葉教会に招聘され、現在に至るまで宣教・牧会活動に従事しております。
招聘にあたりまして主任牧師の木下宣世先生に二つのことを課せられました。その一つは、西千葉教会でドイツにあるようなゲマ……
四六五二号二面西東京教区欄、常置委員選挙結果氏名「川村博氏」を「河村博氏」、にお詫びして訂正いたします。
有田 實氏(隠退教師)
二月一日、逝去。九四歳。鳥取県に生まれる。一九四〇年同志社大学神学科卒業後、めぐみ教会に赴任。その後、髙梁、吉備、用瀬、湖山、智頭、鳥取西部、各教会を牧会し、六六年から七八年まで湖山教会を牧会し、九八年隠退した。 遺族は、息の斉さん。
市川恭二氏(隠退教師)
五月三日、逝去。九九歳。北海道に生まれる。一九四〇年同志社大学神学科卒業後、洛陽教会に赴任し、岡本教会を牧会。四六年から九〇年まで大阪教会を牧会し、七二年から八四年まで羽曵が丘教会を兼牧、九〇年隠退した。遺族は息の忠彦さん。
第35総会期第三回スイス協約委員会と韓国協約委員会の合同委員会が、両委員会全員出席のもと、五月二二日(木)午後十六時から十七時、教団会議室で行われた。
上田幹事より二月に行われたミッション21アジア部会常任委員会に出席のおりかねて開催を打診されていた、スイス・韓国・日本三国間教会協議会を日本において開催する事をスイス協約および韓国協約委員会において決定したことを報告したところ、開催時期として二〇〇九年秋、もしくは二〇一〇年三月もしくは四月の可能性を打診された事等が報告された。
それを受けて、両委員会で検討した結果、準備に充分な期間が必要な点なども考慮し、三国間協議会の開催時期を二〇一〇年十一月十日(水)から十五日(月)とし、うち三日間を会議、他を礼拝出席と現地研修等とする事を決定し、関係各方面との交渉に入る事とした。
現在までテーマを「平和」とする事までは仮決定しているが、参加メンバ……
五月二〇日に第三回国際関係委員会が開催された。今回の委員会において、日本基督教団エキュメニカル協力奨学金の交付学生の選定を行った。本奨学金は、世界宣教委員会が宣教協力協議会(CoC)奨学金を引き継いだものである。かつてCoCは北米の教会の協力を得て留学生奨学金制度を設け、多くの日本人を北米の大学へと送り出した。その後、奨学金の対象を日本におけるアジア諸教会からの留学生へと改め、CoC奨学金制度を設立した。しかしながら、JNACとCoCの解散により、日本基督教団世界宣教委員会がこの奨学金基金を引き継ぎ、本年度より「日本基督教団エキュメニカル協力奨学金」としてその運用を開始した。本委員会がその実務にあたっている。
本年度は、五名の応募者があった。全員に交付したいところであるが、原資に限りがあり、長く運用することを願うため、残念ながら二名を選考しなければならない。本委員会において、経済状況や宣……
第67回東京教区定期総会は、五月二七日、東京山手教会で開催され、正議員五〇二人中、開会時三〇三人が出席した。今回、懸案であった教区総会資料の事前配付が実現し、あらかじめ各議員に送付されていた。
グドルン・シェーア宣教師(西千葉)による開会礼拝の後、組織会、続いて来賓挨拶を受けた。
在日大韓基督教会関東地方会の洪性完会長は、関東地方会の中で最も密に重なる東京教区総会に初めて来賓として挨拶する意義を述べた。
続いて、教団問安使内藤留幸総幹事は、山北宣久教団議長の挨拶文をもとに、重要課題を指摘しつつ挨拶した。その他、出版局より有澤年局長、年金局より高橋豊理事長、事務局より愛澤豊重総務幹事がそれぞれ挨拶した。
質問用紙の事前提出を受けての質疑では「未受洗者に配餐するのは教規違反なのか」「教憲教規よりも聖書が大事ではないか」「合同教会だから一つの考えでは縛れない」などと聖餐をめぐる問題に質問……