五月二八日から二九日にわたって、第15回西東京教区定期総会が吉祥寺教会において開催された。小中乃芙子常置委員の司式、原田謙常置委員の説教による開会礼拝の後、議員総数二〇三名中一二九名の出席が確認され、開会が宣言された。推薦准議員の承認、組織会、議事日程承認の後、教団問安使の山北宣久教団総会議長の挨拶を受けた。昨年に続き、「正しい聖礼典の執行」を巡って議論があったが、特に、未受洗者への陪餐について教憲教規に依る山北議長の見解に質疑が集中した。
来賓挨拶の後、議事に入った。吉岡光人議長による議長報告、道家紀一書記による常置委員会報告がなされた。質問は常置委員会報告に集中した。特に教区ホームページ委員会が、委員会規則に従って、二教会に下した判断について、常置委員会がどう扱ったかについて、質疑が交わされた。
質疑は続いたが、吉岡議長は、常置委員半数選挙と教区選出教団総会議員選挙に入ることを議場……
第61回沖縄教区定期総会は五月二八、二九両日、沖縄キリスト教センターに正議員四六名中、開会時四一名が出席して開催された。
総会は、四年連続で教団問安使を拒否したが、傍聴席には他教区からの代表・個人も多かった。
議長選挙は、三回目の投票で有効投票の過半数に達し、知花正勝氏(与那原)が、 二三票を獲得(投票総数四三、無効一)して当選。知花新議長は、「私に対する批判票の存在することをきっちりと受け止めて、協力出来る一致点を探して行きたい」と所信を語った。
副議長も同様に三回目の投票で具志堅篤氏(読谷)が二二票を獲得(投票総数四二、無効一)して選出され、正副議長は四年振りに新しくなった。書記は、芳澤信氏(真和志)が二年振りに新たに選任され、結果三役全員が入れ替わった。
二日目午後の教団総会議員選挙議案では、「第35回教団総会議員の選出を行わないことを承認する」との常置委員会提案議案を巡って……
いつもあなたがたと共にいる
十七教区中、十六教区の総会が終わった。ここ数年或いはそれ以上の期間、重要課題とされて来た事柄に、少しでも解決の兆しが見えたとは言い難い。一方、多くの教区で聖餐を巡る議論が起こっている。財政問題は深刻の度合いを高めている。教団の未来は何所に向かうのか、不透明な状態が続き、迷子になりそうな不安を覚える。しかし、主はこの時も、私たちと共にいて下さる(マタイ28・20)。
「先生、私のことは週報に載せないでくださいね」と念を押しつつ帰られる女性を見送った。金曜日に面接日を設けている。相談に来られる方、最近の状況を報告される方等、この面接で多くの祈りが示される。週報は牧会上のことはできるだけ報告している。集会はもちろんであるが、教会の諸活動、そして教会員の消息である。もっとも消息については注意しつつ報告している。「私は週報で消息欄を見ること、会計報告で特別献金者のお名前を見ることを大事にしています」と高齢の教会員が言われた。特別献金者のお名前を見ることは、消息が分かるからでもある。消息欄や特別献金者の出来事を祈っておられるのである。消息欄で教会員の動向を報告することは祈りの群れであるからだ。「今日は消息欄にはどなたのことも報告されていませんでしたね」と言われると、牧会の怠慢を指摘されているようで、なんとも気が重い。転倒して骨折したとか、母上を亡くされたとか等、……
キリストと教会に仕える
松原葉子さんはクリスチャン・ホームで育ち、幼い頃から教会に通っていた。小学校二年生の頃、体が少しずつ動かなくなった。治すためでなく、ただ原因を追究するために転々と病院をめぐる生活が続き、家族に励まされながらも、ショックと不安が葉子さんを襲った。その時から「イエス様、どうにかして」と神と格闘するような祈りの生活が始まった。その祈りを抱えつつ出席していたある主日礼拝で、葉子さんは御言が自分に迫ってくる経験をした。神の語りかけを聞き、イエス・キリストの十字架により、受容されている自分を知った。そして中学生の時、洗礼へ導かれ、「神は私に何を期待しているのか」「この先どのように生きたらよいのか」を真剣に祈るようになった。
その後不思議な導きで、奉仕への道が開かれていった。もともと幼い頃からピアノを弾いていた葉子さんは、教会の礼拝で、オルガンの奏楽奉仕をするようになった……
二〇〇六年四月一九日(水)教団会議室において、第34総会期第二回「隠退教師を支える運動」推進委員会を開催した。
教団常議員会で推薦された委員七名(通称常任推進委員)、年金局理事長小林貞夫・同業務室長青地恵・事務局黒沢咲子が陪席して出席者は一〇名。
高橋豊の祈祷を以って開会した。
二〇〇五年度の事業報告および会計決算報告を受け承認した。
二〇〇五年度には八〇三の教会より金六九、五五四、四三五円、そして三六の個人、団体より四一六、八〇〇円、合計六九、九七一、二三五円也の献金をいただきました。その結果教団年金局に年金協力金として四、六〇〇万円、謝恩制度の原資として二〇〇万円、すべての隠退教師とご遺族九〇二名の方々に各二万円をクリスマス祝金としてお贈りし、教団退職年金制度が出来る前に隠退された教師とご遺族一二名の方々に謝恩一時金として各七万円をお贈りすることが出来た等の報告をして、感謝の内……
一つ思いにされつつ
加藤 実
(教団派遣宣教師)
「たいへんだったんだなあ、このとき、ここの人たちは!」といった感じのしみじみした思いにさせられるところから、今なすべきことへと押し出されることが、この一〇年の間に何度かありました。
◇◇
『この事実を……』-「南京大虐殺」生存者証言集を、記念館の編集した《幸存者証言集》から一年かかって訳していたときもそうでしたし、七年前に南京大学出版社からそれが出る直前に渡されたもう一冊《天理難容》-アメリカ人宣教師の目にした南京大虐殺(一九三七~一九三八)をも、「宣教師の端くれとして」翻訳しなければと即断させられたのもそうでした。
その経緯を編者の章開沅先生が知られたいへん喜ばれて、ご自分の統括される華中師範大学中国近代史研究所に来てはどうかとお誘い下さったことから、ここ武漢での歴史もの翻訳のお手伝いが四年前に始まり、初め半年《天理難容》……
池田なおみ氏(志木教会担任教師) 三月七日、逝去。五〇歳。福岡県に生まれる。一九八二年東京キリスト教短大神学部卒業後、八九年、津山城西教会に赴任。その後宇都宮上町教会を経て二〇〇四年から志木教会担任教師を務めた。遺族は夫の玲二さん。
宮地正彦氏(茨木春日丘教会担任教師) 四月八日、逝去。七八歳。大阪府に生まれる。一九五〇年同志社大学卒業。九五年から茨木春日丘教会担任教師を務めた。遺族は妻の和子さん。
松井宮男氏(隠退教師)
四月一〇日、逝去。九四歳。静岡県に生まれる。一九三七年青山学院大学卒業後、日本メソヂスト教会新出来町教会に赴任。四〇年から八七年まで田名部教会を牧会し、隠退した。遺族は息子の惠さん。
教区総会が終わった
宇野 稔
毎年課題が積み上げられているのが実感である。信徒数の減少、受洗者の伸び悩み、財政の縮小、さらに、CSの休校、信徒の高齢化、礼拝者の減少が上げられるが、この状況を放っておくわけにはいかないことを、この総会においても確認したところである。そこで教区が志しているひとつのことは全教会の課題と共通するところであり、個々には多少の受けとめ方の違いがあるにしても、その課題を共有することは可能である。
そこで具体的には「交換講壇」を考えている。教職だけではなく、信徒と複数での実施である。このことは教会の日常性の関わりで、各々が出会い、知り合い、理解することこそが大事だと思う。すなわち「顔の見える関係」なのである。礼拝という教会の日常性の中での交流は具体的な相互の交わりを深め、主にある連帯性を覚え、強められていく。
もうひとつは「教区の集い」。一泊二日で行い、今年度……
藤浪敦子宣教師派遣式が五月九日村山盛芳世界宣教協力委員会委員の司式、佐藤博京都丸太町教会牧師の説教で京都丸太町教会を会場に執り行なわれた。藤浪氏は同志社大学神学部を卒業後、二〇〇三年から現在まで同教会担任教師として仕え、パイン合同メソジスト教会(アメリカ)に西村篤宣教師の後任で同教会の五一人目の牧師として派遣されることとなった。
派遣式で佐藤牧師は、ヨハネによる福音書16章33節をテキストに「イエスの道」と題し、塚本虎二訳を引用して説教した。十字架に自身を遣わした主イエスのような命がけの勇気は必要ないかもしれないが、イエス・キリストに従うという冒険に向かう勇気をもたせていただき任地に赴いてほしいと語った。
パイン合同メソジスト教会は、一八八六年にサンフランシスコで、日本人によって創設されたメソジスト教派の米国内で最初の日系教会である。
サンフランシスコの日系人コミュニティーは、現在も……