主に思い起こしていただく役目の者よ
決して沈黙してはならない …イザヤ62:6
2011年のクリスマス、東日本大震災の被害を受けた諸教会は、どのようにこの時を過ごされているのかと、心配しないキリスト者はなかったと思う。教団新報では、紙面の都合もあり、この度は、福島県内の数教会を対象に、左記のように、簡単なアンケート調査を行って、近況をお知らせいただいた。
①2011年クリスマス礼拝での特徴的な出来事。②2011年クリスマス礼拝出席者について(人数を含め、構成等)。③「教団新報」を通じて、アピールしたいこと等。
回答を頂いた5教会のクリスマス模様を、報告する。
原町教会・朴貞蓮牧師
①特別に礼拝で特徴的と言えるようなことはありません。
例年通りのクリスマス礼拝を捧げることが出来たことが私たちには何よりすばらしい出来事でした。
礼拝を捧げ、愛餐会を行い、保育園の職員で……
▼D.R.クーンツが、小説『オッド・トーマスの救済…ハヤカワ文庫』で、歌舞伎に触れている。…この場面は日本のきわめて様式化された演劇、カブキを思い起こさせた。現実離れしたセット、凝った衣装、大胆な化粧、かつら、大げさな感情表現、俳優たちのいかにも芝居がかった身振りなどは、アメリカのプロレスと同様、日本の伝統的演劇にも滑稽な印象を与えてしかるべきだろう。ところが、なんらかの神秘的な効果により、カブキは知識の豊富な観客にとって、親指をすぱっと切る剃刀(かみそり)のごとく現実的なものになるのだ…。▼歌舞伎の知識はほぼ皆無だし、クーンツがどれ程歌舞伎に通じているのかも知らない。しかし、この表現には惹かれるものがある。▼教会学校で聖劇が上演された。例年にない演出上の工夫もあったが、毎年似たようなものだ。観客は、筋書は勿論、この次、誰がどんな台詞を言うのかまでよくよく知っている。意外性は全くない。しか……
それでもあなたは
2012年新しい年の歩みが始まった。
わたしたちは、年の初めに、新しい一日の始めに、全ての業の始めに「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」(詩編124編8節)との御言葉が響きわたりその確信の中で歩みだすことが出来る。
3・11・246
この時を忘れることが出来ない。
あの巨大地震とその地震がもたらした凄まじい津波の破壊と二次災害としての福島原発の事故は、日本社会を揺り動かし続けている。
地震直後、被災地の教会を問安した後に教団議長声明を出した。その冒頭に掲げた御言葉が、詩編124編8節の御言葉である。
大船渡に住む越谷教会の信徒から津波の直後に電話をもらった。「神のなさることは凄まじい」と、すぐに「それでは何故、教会に行っていますか」と衝撃を受けている信徒に言ってしまった。
「神のなさることは凄まじい」すべては主の主権のもとにある。この信仰……
9月に秋田の湯沢教会54周年礼拝に説教の奉仕をさせていただいた。
豪雪地帯の教会だ。
「この地域では牧師が腰を痛めたら伝道できません」(田谷元義牧師)の言葉に、この豪雪地帯で腰をすえて伝道する伝道者の姿に敬服させられた。
この湯沢の地で熱心に礼拝を献げ懸命に伝道している教会に触れて感動した。
しかし、最も心が熱くさせられたことは、大人の礼拝の前にもたれている教会学校の礼拝だ。
教会学校の礼拝の時間に来て欲しいと言われ、用意してくださった旅館を出た。
教会学校の礼拝は司会者の教師と田谷牧師とわたしの3人だけの礼拝であった。
子どもが一人もいない教会学校の礼拝だ。しかし、田谷牧師は教会学校で準備をしっかりされた説教をされた。
子どもが礼拝に来なくても、湯沢の町の子どもたちのために礼拝が献げられている。
湯沢の子どもたちのために祈られている。このことに大きな意味があるということ……
1971年生まれ。奈良高畑教会員。
東京の世田谷にある大学に進学して、上京。大学の近くの梅ヶ丘に住み、梅ヶ丘教会に出席した。初めて出席したとき、青年会がとても活発で楽しそうに見えた。学生も社会人も集い、皆、CSの教師の務めも負っていた。その交わりに入りたいと強く願ったとき、受洗すればいいんだと思ったことが動機となって、植松英二牧師から洗礼を受けた。
卒業後、奈良に戻り就職。両親が所属し、自身も高校まで通った奈良高畑教会に戻る。今青年会員、またCS教師として、年に2回、近隣の子供たちを教会に導くための「教会であそぼう!」というプログラムを担っている。楽しいチラシは自作である。
サラリーマンであるなら、一度くらいは転職を考えるものかもしれない。北尾伸哉さんも仕事がおもしろくなく、転職を考えたことがある。そのとき、奈良高畑教会の湯谷忠興牧師によって示された聖句がある。コリントⅡ6章2節……
http://www.bp.uccj.or.jp
★新刊から
◇CDで聴く日本の説教《第3回配本》『竹森満佐一』加藤常昭:監修 聖書学者であり、神学教育者であった竹森満佐一は、何よりも教会の礼拝を通してみ言葉を語り続けた説教者であった。吉祥寺教会の礼拝で語られた代表的な説教の録音を二枚のCDに収録。《好評発売中》『島村亀鶴』『榎本保郎』各3570円
◇さんびかものがたりV 《全5巻完結》『平和の道具と 信仰生活の歌』川端純四郎:著 「讃美歌21」の430番以降の信仰の歌の中から、「神はわが力」「山路こえて」「あめなるよろこび」等の歴史的讃美歌、また「球根の中には」等の新しい歌まで、37曲の誕生のドラマを紹介。賛美する喜びがさらに深められるシリーズ。待望の完結。各2520円。
◇『東日本大震災を通して問われたこと 現代日本の危機とキリスト教 東日本大震災緊急シンポジウム』日本基督教団……
釜土 蘭子
(七尾教会員)
1985年、七尾教会に転入会した時にわたしは一番若い現住陪餐会員でした。自分に一番近い教会員でも10才以上離れていました。礼拝出席者も20人に満ちません。東京生まれの私にとっては、都会とは全く違う様々な状況に驚かされる毎日でした。
人口5万人ほどの七尾市。住んでいる人々はお互いのことをよく知っています。教会に新しい来会者があると、それが七尾在住の方であれば、その方がどなたであるかだいたい分かります。匿名の信仰生活などない社会です。
小さな教会は、一つの家族のようです。互いのことをよく知っています。その中でそれぞれが自分の役割を担っています。家族の中でキリスト者は一人だけという状況で、教会の礼拝に集っています。家族の顔色をうかがいながら、教会の奉仕をしています。
牧師のパートナーといっても、一人の教会員にすぎません。教会としてすべきことがあり、誰かが……
田中美彌子氏(隠退教師)
11年3月20日逝去、64歳。東京都に生まれる。'82年東京神学大学大学院修了、同年東村山教会に赴任、鎌倉雪ノ下教会を経て、'84年より08年まで浦賀教会を牧会し、隠退した。
金光賢一氏(隠退教師)
11年10月10日逝去、83歳。長崎県に生まれる。'52年日本聖書神学校卒業、'53年水戸自由ヶ丘教会に赴任、富田林教会、美陵教会を経て'65年より'99年まで富田林教会を牧会し、00年隠退した。遺族は息・行田建さん。
第37総会期の第4回信仰職制員会が11月7日(月)~8日(火)に、委員7名全員の出席のもと教団会議室で行われ、以下の一つの諮問に答申が出された。
【諮問】 信徒の戒規における教区常置委員会の審判の効力について
戒規施行細則では、教師の戒規については第6条で、「審判委員若干名を挙げ、之を審判させるものとする。審判委員において審判したるものは、最終決定とする」とありますが、信徒の戒規については、第11条で「教区常置委員会の議を経て、之を審判するものとす。」とあるのみで、最終決定については触れられていません。信徒の戒規における教区常置委員会の審判と、戒規を執行した教会役員会とは、戒規の最終決定に関してどのような関係にあるのでしょうか。
【答申】
信徒を戒規に附することが出来るのは、その信徒が属する教会の役員会のみです。これは教規第102条(6)および戒規施行細則第9条、第10条が明示して……
第37総会期第1回宣教師支援委員会が、11月7日(月)教団A会議室において開催された。
委員長・横山良樹、書記・上田容功、荒川朋子、シュー土戸ポール、ボルスター相良スーザンによって組織された。海外からの受け入れ宣教師支援が委員会の役割である。
初めに、前回宣教師支援委員会議事録が承認され、事務局より、世界宣教委員会、海外からの震災救援募金についての報告を受けた後、旧CoC(宣教協力協議会)、宣教師支援委員会の沿革、新任宣教師オリエンテーションについての説明がなされた。
新任宣教師オリエンテーションは2004年まで毎年、主に東京に集まって開催されたが、現在は加藤誠幹事が着任した宣教師を個別に訪問している。旧CoC解散後、宣教師と教団との関係は希薄化の傾向がある。事務的な手続は教団を通して行われているが、具体的なお世話は受け入れ先が行っている。今後、宣教師と関係を深め、各々の状況を把握す……