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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4775号】主の召しに答えて 伝道のともしび

2013年6月15日

御言葉の力を見せていただく歩み

愛南教会牧師 矢野 敬太

愛南教会は2007年に名称変更するまでは城辺教会(1930年創立)であった。愛媛県の最南端に位置し今も鉄道が通っていない。
代務の期間も多くあった83年間の歩み。転機が訪れたのは1992年、13年間、牧した大舘義夫牧師(故人)が隠退した時だった。代務者の脇坂恵子牧師(保内教会)は3年間ただ共に御言葉を語り続けた。脇坂牧師が代務者を辞任した後、分区・県境を越えて宿毛栄光教会の大串眞牧師(現・千葉北総教会)が代務者となった。また大串牧師に協力して芦名弘道牧師(近永教会)、黒田若雄牧師(須崎教会、現・高知教会)が説教の応援に来てくださった。
当時会員は6名。ある説教者は初めて城辺教会に説教に行った時の印象について「数は少ないが一致もない。この教会は無くなる、そう思った」と語った。この教会に牧師を招聘する。どう考えてもその幻すら描けない。牧師たちはただ御言葉に委ねるしかなかった。城辺教会の置かれた現実の中で共に歩みつつ御言葉に聴く。そこに徹すると言うか、それ以外になすすべは無い。
そしてそこから城辺教会は変わった。うつむいていた顔が上がり教師招聘への気運が盛り上がった。それは現実を見て躊躇する牧師たちを凌駕するものだったと言う。そこに私は招聘された。
当時城辺教会は会堂を失い、信徒の自宅で礼拝・諸集会を守り、私はアパート住まい。土地購入、会堂建築が急務。神学校新卒の私にはとうてい担えない課題。その時、代務時代に説教者を送ってくださった教会を中心に応援体制が作られた。城辺教会の牧師館(後には会堂・牧師館の借家)の家賃を支えてくれた。
そして最も大きかった支えは牧師同志の説教の学び。月に一度、説教の学びをした。年に一度、2泊3日の説教セミナーを行った。その支えがあって、私はこの現実の中ただ御言葉に聴くことが出来たと思う。
そしてある日、どうやっても、こうやっても前進できない壁が崩れた(土地・建物が与えられた)。「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」(ヨハネ11・40)。この御言葉に導かれて私を招聘した城辺教会。そして私自身が御言葉の力に打ち震えた瞬間だった。
私は何も出来なかった。ただ主ご自身が御言葉を通して生きて働かれた。教会はそういう場であることを、私も愛南教会の一人一人も痛感した出来事だった。
今も愛南教会は会員8名。その年齢をみてもこれからどうなるか分からない。でも、ここまでの歩みも人の力は通用しなかった。ただ主の御力によってのみ教会は立つ。この事実を信じて御言葉に聴くのみである。
そして今、愛南教会は私を宇和島中町教会の代務者に送り出している。代務者に支えられた教会が送り出す教会であること、感謝である。
代務となって3年、教会が牧師を迎えるという課題の大きさを思う。私の力では無理。改めて共に御言葉に聴くしかないところに追い詰められる。御言葉が語られ聴かれるところに主の教会は立つことを繰り返し痛感させられる日々である。
代務教会では本務教会には無い幼稚園で、子どもたちと共に御言葉に聴く喜びも与えられている。私の務めはただ聴くのみ。御言葉の力を見せていただく歩みである。

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