牧師館に住んで35年
田中 道世
(土師教会員)
牧師を父に持つ夫が赴任して二年目の教会で結婚しました。
やがて子育ても加わり、私の予想していたよりもはるかに上回る力を必要とされる生活でした。
喜びも楽しさもありましたが、「助け人」と記入された結婚のための教会転籍表の言葉の重みもさることながら、一番困難に思ったのは、子育てです。教会の多くの事に受身で接することを要求される中で、自分だけではなく家族にまで影響を受けないようにすることは、とても大事な事です。さらに転任ともなれば、単に転校に留まらず、生活の中まで揺さぶられます。
先日、近くに住む小一の孫娘が会食懇談会で共に食事をした後、私の耳もとで「みんなのところで食べるのはいや、わたしのことばっかり言うもン」。娘に話すと「私の幼い時と同じ事感じてる」。
さまざまな困難の中で、いよいよ出口が見えない闇の中に置かれ、相談できる誰……
関 慶子氏(大津東教会牧師)
八月一三日、逝去。六八歳。東京都に生まれる。一九六六年東京聖書学校卒業後、小松川教会に赴任。その後茅野教会を経て、七一年から大津東教会牧師を務めた。遺族は夫の雅人さん。
教団の宝
藤原寛人
東中国教区は四八教会・伝道所からなる。教会数からいうと小規模教区である。それはつまり、一教会の存在が際立っているということだ。例えば、他教区と同じ宣教の働きを担っていくにしても、比較して一教会、一教師、一信徒の担うべき分が大きい。一教会の行事参加、不参加がどれだけ大きな影響を持つことか。また、一教師が地区、教区の多くの役割を同時に担わなければならないこともしばしばだ。結果、体調を崩してしまわれる教師も少なくない。
このような現状では、一教会、一教師、一信徒の信頼関係、協力関係が非常に大きな意味をもつ。財的協力はもちろん、人的協力も不可欠となる。その為、東中国教区は何よりも「顔の見える関係作り」を目指して教会間の連帯強化に力を入れている。教区交換講壇の実施、教会強化資金の活用、常置委員による問安、そして毎年各教会から「一年をふり返って」と題する文章を出して頂き、……
七月二〇日〜三〇日、ドイツより一八〜二四歳の青年五名を含む計七名のグループを迎え、全国教会婦人会連合(以下、婦人会連合と記す)主催による「ユースミッション二〇〇五」-日独教会青年交流-が持たれた。
彼らは、ベルリン・ブランデンブルク領邦福音主義教会の旧東ドイツ側にある、ヴィッツシュトック・ルピン教区より派遣された。日本基督教団内に同教区から青年を迎えるのは、今回が二回目になる。
初めてドイツから青年たちが来日したのは、三年前の夏。この時は、婦人会連合の有志による実行委員会が作られ、ドイツから二〇名の青年たちを迎えて日独教会青年交流が持たれた。〇三年八月には、ドイツ側からの招待を受け、日本から二〇名を同教区へ派遣している。
このような交流が行われることになったきっかけは、一九九八年、この年の六月に開催されたベルリン・ブランデンブルク領邦福音主義教会婦人部大会および協議会へ婦人会連合を代……
第34総会期第二回教師検定委員会が八月二二〜二三日、教団小会議室で委員六名の出席で行われた。
最初に病気で欠席した委員について、本人よりの辞意が表されていることの報告が委員長よりなされた。委員会としてはこれを受理し、実務委員会としての性格上、委員の補充を早急に三役に要請することを可決した。
次いで、二〇〇五年秋季教師検定試験の準備を行なった。補教師受験志願者三八名と正教師受験志願者七二名の受験資格が確認された。その際、二名の教師検定規則第十条の適用の申請に対して、これを承認した。また、受験コースの決定と科目認定を、申請された五名に対して行った。
その他、提出物の採点結果の確認、学科試験問題の決定、学科試験当日の責任分担、試験日程、時間割、全体会と面接の持ち方を協議し、決定した。一名の受験者からのパソコン使用及び時間延長の申請に対しても協議し、これを承認した。
受験費用援助の申請が一……
九月一日(木)、 第五回「新潟県中越地震」被災教会会堂等再建支援委員会が開かれた。
(1)事務局報告
第34総会期第二回常議員会において「『新潟県中越地震』被災教会・被災地を覚える主日制定に関する件」が原案通り可決された。
(2)関東教区報告
「新潟県中越地震」を覚える主日制定に基づき、記念礼拝を実施する。
(3)協議
関東教区報告の被災状況一覧をもとに、当委員会募金の支出について協議した。①既に教区で立て替え着工済みを含め二教会の補修について支出することを承認(合計 二、九八六、四九〇円)、②被災信徒宅見舞について、関東教区の提案(割賦案)を検討の結果、原案通り支出することを承認(56件合計八、〇四〇、〇〇〇円)、③「新潟県中越地震」を覚える主日の行事を関東教区と当委員会の共催で行い、記念礼拝(於十日町教会)の説教者として小橋孝一委員長を派遣する。
関東教区から毎回詳細な報……
福音伝道の灯を消すな
三宅島の雄山が火を噴いて、二〇〇〇年九月二日に全島民避難の指示が出されてから、四年半ぶりにようやくこれが解除となり、今年二月一日帰島が始まった。そして五月一日に島民以外の者も入島出来るようになったのを待って、五月二日、八月二九日、帰島後第一回目、第二回目の三宅島伝道所礼拝を行った。
五月一日(日)夜に竹芝桟橋に向かうロビーは、釣り客等でごった返していた。東京教区東支区三宅島雄山噴火被害救援委員会の木原恵子姉より聖餐式用のパンとぶどう汁を受け取ると船に乗り込む。同姉はぜんそく気味なので、いまだ有毒ガスの流れる島に渡ることは、残念ながら許されない。乗船したのは三宅島で食料雑貨を扱うストアを経営していた田中正之兄、田中恵美姉、うこっけいの養鶏をしていた赤羽美江姉、三宅島高校の校長夫人であった松尾純子姉。委員会側からは米倉美佐男東支区長、倉橋康夫支区書記、国府田佑……
▼我が在所では、まもなくゴミ処理が有料化される。不必要なものを駆け込みで処分しようと、ゴミ置き場は毎回山となる。我が家でも教会でも、押し入れ、物置等の点検をし、大胆に処分しようと勇んだが、なかなかはかどらない。▼権威筋?に依れば、一年間使わなかった品物は、その後も九九%不必要で、三年間蔵出ししていないものは、未来永劫要らないそうだ。そんなものかも知れない。▼教会には、二〇〇〇年来使い続けて来たものと、一〇〇年手を触れることのなかったものとが、渾然としている。価値あるものと、無価値なものと、容易に判別出来ない。お宝とゴミとが、同じ部屋の中に積み上げられているのかも知れない。▼「歴史は本来雑多で無目的な出来事の集積でしかない。しかし、そこに歴史家の光が当てられる時…」S・ツヴァイクの一節だが、図書室がゴミ山と化している今、調べようもない。教会にも雑多で無目的な出来事が積み重なる。しかし、そこに……
ヨシュア記一章一~一〇節
足の裏が踏む所 姫井雅夫
教会は、イエス・キリストの十字架による救いの恵みに与った人々の集まりです。ですから教会ではまずその人々によって神を礼拝します。しかし、それで終わってはなりません。主は「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16・15)と遺言なさいました。ですからその人々は出て行き、福音を宣べ伝える活動を始めたのです。
よく言われることですが、日本のクリスチャン人口は一%の壁を超えられないでいます。どこにその理由があるのでしょうか。日本の長年にわたる異教的風習、江戸時代から受け継いでいる地域の結束、この世的な価値観など、多くの理由をあげることが出来ると思います。
最初に述べたふたつのこと、礼拝と宣教(伝道)がしっかりなされていたら、その壁を破ることが出来ていたのではないか、出来るのではないかと思います。礼拝が、……
戦後六〇年という節目にあってさまざまな声明、謝罪、あるいは決意表明がなされている。それら一つ一つの重みを受止めていかねばならない。
しかし、今一つ「近くて遠い」
問題について考えてみなければならないのではないかと思うことがある。それはホロコーストについてのことだ。
ユダヤ人六〇〇万人の虐殺について直接的に日本は関与もしていないし、責任もないという。しかし本当にそう言い切れるのだろうか。
日独伊三国軍事同盟のもとドイツのナチスによるユダヤ人迫害さらには虐殺について日本も密接なドイツとの関係から知っていたにちがいない。しかし、結局は座視、無視したのではなかったか。
この点、日本にとってホロコーストに対する痛みは強くあるべきはずだ。
特にキリスト者にとってはイエス・キリストはユダヤ人だったということ、ユダヤ教からキリスト教が生まれたこと、そのことからしてもユダヤ人問題の距離は日本人の……