▼我が家の庭にスイカがなった。丹誠込めたかいあって、大玉が二つ、少し小さめが一つ、縞模様もくっきり色濃く、いかにも器量がが良い。▼過去にも何度か挑戦したが、スイカ作りは難しい。蔓が伸び場所を占めるので二苗植えるのがせいぜい。たくさんの花をつけても実ができない。実ができても、大きくならずに落ちてしまう。試行錯誤を繰り返し、やっと辿り着いた三個のスイカ、ピカピカに磨いて床の間に飾りたい心境だ。▼ところで、栽培以上に難しいのが、スイカの収穫どき。早過ぎても遅過ぎても具合が悪い。花が咲いてから三五日目だと聞いたが、何時花が咲いたのか知る由もない。▼機が熟しても、外目には分からない。早過ぎたら芽を摘んでしまう。しかし、遅過ぎて機を逸する場合の方が多いだろう。▼伝道の機が熟しても、外目には容易に分からない。もう充分に熟れているのかも知れない。机の上にスイカを飾り、沖縄と西東京のキャンプ報告を読んでいて……
韓国・イエス教長老会永楽教会の高校生一四名と李創教牧師他リーダー三名が七月二八日から八月一日まで来日し、西東京教区の中高生を中心とした日本の青少年と交流した。
永楽教会高校生会と西東京教区および東京教区西南支区中高生は毎夏相互訪問を重ねており、韓国からの訪日は七回目となる。
一昨年に引き続き今年も訪日団と西東京教区教育部主催による中高生合同キャンプが三日間にわたって行われ、充実した学びと豊かな交わりの時を持った。成田空港での「熱烈歓迎」の後、バスの中でのゲームなどですっかり打ち解けた頃には会場である千葉の岩井海岸に到着。開会礼拝により約六〇名による修養会はスタートした。
西東京教区の誇る「高校生委員」たちのアイデア満載企画と進行による「ウェルカムパーティー」では、旅の疲れも見せない韓国高校生およびリーダー達のパワーに圧倒されつつ、負けてはならじと日本の中高生も大奮闘。すっかり打ち解け……
「みんなで遊ぼう子ども大会」に一五〇名
沖縄教区で信仰の継承目指しユニークな企画
「みんなで遊ぼう子ども大会」が七月二三日(土)、愛隣園(児童養護施設)の体育館において開催された。
これは、沖縄教区宣教部委員会の下に諸教会の有志をもって構成された実行委員会の自由な企画で成されたものである。その日は、教会のキャンプや夏休みの学校行事と重なった所もあったにも拘わらず約一五〇名の参加者が与えられた。
開会礼拝では比嘉盛二郎牧師(高原教会)から「子どもを招くイエスさま」(マタイ一九・一三〜一五)の説教を聞いた。
それから実行委員長の長嶺明子さん(読谷教会)と榎本恵牧師(良きサマリア人伝道所)による総合司会のリードで参加教会が担当するそれぞれのコーナーに分かれた。
各コーナーには、大縄飛び、大玉遊び、卓球、スリー・オン・スリーバスケット、ブーメラン作りがあり、参加者はそれぞれ好き……
平和聖日はこの年、敗戦六〇周年ということもあってさらに重みと深さを味わされます。
ただ時間的節目ということだけではありません。憲法九条の改悪を軸とした平和憲法を破棄せんとする勢いがあり、教育基本法の改悪や日の丸・君が代の強制による自由の侵害、さらには首相の靖国神社参拝や過去の歴史理解の低さによる中国・韓国から投げかけられている不信感等々、平和に生きることを妨げる問題性の中にあって平和聖日を憶える意味は大きいのです。
平和は私たちが守るべきものに思われがちですが、実は平和が私たちを守っていることに思いを致さねばなりません。
「あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」。(フィリピ四章七節)
神の平和に支えられてこそ、当面する平和を妨げる課題に向かい、取り組むことができるのです。
平和は平和運動というかたちをとったとしても抵抗運動、……
「野心」から「御心」へ
「教会に行ったのは、野心からでした」と梅原さんは笑いながら語る。小さい頃からの夢だった薬剤師になって梅原さんが最初に訪れたのは遠州栄光教会、彼女は「教会の人たちに自分の勤めている薬局を宣伝し、処方箋調剤の枚数を増やして仕事に成功したい!」と思っていたそうである。ところが、教会では彼女自身の思いとは別に、皆から暖かく迎えられ、礼拝をはじめ諸集会、諸活動へと参加するようになり、多くの出会いと交わりを経験した。そしてここに本来の自分の居場所がある、懐かしい場所に帰って来たと思うようになっていった。
しかし数ヵ月後、会社から転勤命令があり、その教会を離れなければならなくなってしまった。転勤後、梅原さんは大量の処方箋を処理する仕事、度々繰り返される転勤と人間関係の変化に疲れを覚えていた。そんな時、転勤先の近くの教会を訪れ、またそこでも暖かく迎えられる経験をした。そして……
★宣教師公募
任地=ドイツ・ケルン・ボン日本語教会
延長なし
/条件=教団正教師・ケルン市在住・独語力要他
/締め切り=一二月末
★EMSボランティア公募
任地=レバノン/ベッカ/ジョアン・ルドウィグ・シュネラー・スクール
/任期=六ヶ月
/条件=一八歳から二七歳
/締め切り=九月末日
/問合せ=世界宣教協力委員会(TEL03-3202-0544)
去る六月一五日~一六日、教団会議室にて標記の会を開催した。出席者は各教区と東京各支区の推進委員及び事務担当の二八名。それに教団総幹事竹前昇氏、年金局理事長小林貞夫氏、同業務室長青地恵氏の三名にも陪席を得て、合計三一名であった。
開会礼拝で、竹前総幹事より「霊の賜物」(第一コリント・一二章一~一一節)と題する説教があった。
多田信一委員長、小林年金局理事長の挨拶に続いて、二〇〇四年度の事業報告、決算報告などを承認したあと、年金局業務室長より「教団年金の現状」について詳しい説明を聞き、改めてその厳しさを認識した。
その後各推進委員から活動報告を聞いた。例えば教区内の諸教会を訪問して、丁寧に説明して推進活動に励んでいる委員、或いは教区や支区、地区などのあらゆる集会に出かけて行ってアピールをしている委員。ある教区委員からは「話を聞きたいから来て欲しい」との要請に応じて、その教会、地区の集会に……
牧師のパートナーとして40年
篠原 節子
(鴻巣教会キリスト教教育主事)
牧師館に住んで
この世に生を受けたのが牧師館の一室であったと母から聞いております。亡き父が牧していた宮崎県・飫肥教会の牧師館でした。
それから数えて六〇有余年、未だに牧師館の住人であることは、主の深いみ旨と思い感謝して日々を過ごしております。
牧師のパートナーとなってから今年はちょうど四〇年、六教会六つの牧師館に住ませていただいたことになります。
教会と牧師館が離れている所もありましたが、礼拝堂や集会室の二階に住んでいた時は、元気があり余っている三児の子育てに、はらはらすることもありました。
一歳半の息子が二階から転落したこともありました(幸い右腕の骨折だけですみました)。
木犀の香り漂う牧師館
この秋までと古木見上ぐる
(「信徒の友」短歌入選歌)
九年間住み慣れた前任教会を去る前の秋……
藤井厚之氏(水沢教会牧師)
五月二一日、逝去。三四歳。京都府に生まれる。一九九五年同志社大学神学部大学院修了後、倉敷教会に赴任。その後、九九年から水沢教会牧師を務めた。遺族は妻の友紀さん。
野田千尋氏(無任所教師)
五月二八日、逝去。七八歳。福岡県に生まれる。一九五六年東京神学大学大学院修了後、曙教会に赴任。その後、福岡中部教会、福岡女学院教会、大牟田正山町教会を経て、七一から七五年まで福岡中部教会を牧会した。遺族は妻の武子さん。
伊集院虎雄氏(無任所教師)
六月二七日、逝去。九一歳。長崎県に生まれる。会社を定年退職の後、一九九〇年東京神学大学卒業。代々木教会、清水教会、富士見町教会等で伝道に従事。遺族は妻の和子さん。
信仰告白を検討する小委員会設置
渡辺正男
この七月に奥羽教区常置委員会のもとに「教団信仰告白小委員会」が設置されました。制定五〇年になった教団信仰告白をあらためて学び、検討し、深めていくために設けられたのです。小委員会は各地区から一名と教区副議長の五名で構成されています。
数年前に、北西地区教師会から「教団第二信仰告白の制定準備について」の要望書が常置委員会に提出されました。その要望書は、「日本基督教団信仰告白の評価と問題点」と「説明的文書」からなっています(「福音と世界」誌2002年10月号参照)。その内容について常置委員会だけでなく、教区教師宣教セミナーなどいろんな機会に協議されてきました。意見が対立して、ときに激論が交わされています。とくに贖罪論については多様な意見があるのです。
常置委員会は、多様な意見を受け止めて、さらに「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえ……