みこころが行われますように
友川 幸子
(上星川教会員)
牧師のパートナーとして二七年目。福島にある喜多方教会、猪苗代教会、そしてロサンゼルスの日系人教会にての宣教活動。帰国し、再び、東北の地に戻り、福島荒井教会での奉仕。現在、神奈川教区・上星川教会にて七年目になりました。
横浜という土地柄、ミッションスクールが多く、キリスト教伝来の歴史と多くの宣教師として遣わされた方々の貴いお働きを身近に感じます。毎年、四月、教会学校に新しく子供達を迎える度、送り出して下さるキリスト教主義幼稚園・学校の先生方の思いと祈りに感謝の念を新たにします。初めて礼拝に出席する子供達の真っ直ぐな眸に接すると、私自身、襟を正す思いがします。私は理屈ぬきで子供達が大好きです。一〇年後あるいは二〇年後、聖書の話のどんなことでもいいですから一つでも子供達の心に残り、心の糧となるならば、こんな幸いなことはないと思……
村山盛敦氏(隠退教師)
六月二八日、逝去。七七歳。福井県に生まれる。一九五三年同志社大学大学院修了後、南大阪教会、高石教会に赴任。日本クリスチャンアカデミー関西セミナーハウスに奉職中に上賀茂伝道所を兼務。七六年から九九年まで豊中教会牧師を務めた。遺族は長男の盛芳さん。
平和を願い続けて
柴田もゆる
被爆六〇年を迎えた今年、五月の教区総会で議員提案の「あらゆる米軍基地の強化に反対し、米軍基地撤廃の取り組みを推進する件」が可決され、「基地問題」特別委員会が新たに設置された。以前から米軍岩国基地をめぐる取り組みはあったのだが、二〇〇八年の「岩国基地沖合移設事業」完成を前に、在日米軍再編に伴う厚木基地駐留の空母艦載機部隊の移駐先として岩国が急浮上し、NLP(夜間離発着訓練)の実施基地となる可能性が高まったことが、主な提案理由の一つであった。
「基地問題」と言うと、ある人々は「それは社会問題であって、教会が取り組むべき事柄ではない」と考えるかも知れない。確かに「社会問題」という一面もあろうが、基地を抱える町には具体的な住民の生活があり、それが否応なく基地の影響を受ける。経済効果という宣伝とは裏腹に、影響の多くは騒音、事故の危険、米兵による犯罪被害など、住……
第34総会期第一回障害者差別問題小委員会が、教団会議室にて七月四、五日に行われた。
開会礼拝では、招集者である柴田もゆる委員が、マルコによる福音書三章一〜六節より「真ん中に立ちなさい」という御言葉は「あなたも一人の人として生きよ」という主イエスの呼び掛けである、ということを中心に語られた。
各委員の自己紹介の後、委員会組織の協議を行い、互選により柴田もゆる委員(廿日市)が委員長に、堀眞知子委員(瀬戸キリスト)が書記に選出された。
前期委員会よりの申し送り事項が、藤崎義宣委員(前委員長)より報告され、質疑応答が行われた。なお勝山健一郎幹事より「障害者差別問題と取り組む活動者全国交流会」の会計報告がなされ、財政的裏付けの必要性の説明があった。
その後、今期委員会のあり方などについて、自由に意見交換が行われた。その中で、特に委員会で協議されたこと、分かち合ったことなどを、いかにして多くの……
第34総会期第二回宣教委員会が七月一四~一五日、教団会議室にて開催された。
開会礼拝を柴田もゆる委員が担当し、ルカ一三章六~九節に基づき、種谷裁判に関わった一人として、その経緯に触れながら、牧師とは何か、一人のキリストに従う者の働きを通して、今自分が立てられている牧会者としての姿勢を巡って説教がなされた。
常議員会、常設専門委員会等の諸報告を経て、協議に入った。
第二回委員会における協議の主要事項の一つは、宣教方策会議に関する件である。第33総会期宣教委員会は開催主体としての責任において開催を見送り、共通理解を模索すべく発題者を立てて宣教委員会を巡る歴史的検証を行った。第34総会期委員会は、それを受けて、対立を際立たせるような会議ではなく、二一世紀を迎えた教会の現状と展望について、特に戦後六〇年をふまえて、今後の教会の行く末を探る内容で宣教の方策を巡って協議する方向で一致した。特に今……
六月二〇日~二二日、アジアセンターODAWARAで、第一九期第七四回、全国教会婦人会連合中央委員会が行われた。
今回の委員会は、第一九期第一回であり、選挙が行われた。委員長に清水操氏(神戸栄光)が再任され、常任委員、各小委員などが選出された。
第一九期中央委員会は「教会の枝として、明日の宣教を担う-ヘブライ人への手紙を学びつつ-」を主題に、「主体をかけて共に聖書に聴く」「連帯する教会婦人」などを活動方針として掲げて行われた。
大きな課題として取り上げられたのは、現代女性の立場や価値観の多様化、それに伴う教会における「婦人会」の在り方の変化であった。
各教区からの報告、特に欠席した教区からの報告にも「性別で会を分けることの疑問」「婦人と呼ばれることへの女性の抵抗」に触れたものが多く見られた。また女性が働くことが当たり前になってきた社会では、従来通りの活動を行うことが難しくなってきてお……
本年六月二〇~二一日、滋賀県野洲市の近江平安教会及び野洲地域総合センターにおいて部落差別問題の現地研修を兼ねた第一八回神学校等人権教育懇談会が開催され参加した。
東岡山治牧師による開会礼拝に続き、「アジア神学の動向」と題し同志社大学原誠氏の発題を受けた。
休憩を挟み部落解放同盟和田支部の皆さんとの交流会を与えられ実りある懇談が持たれた。
二日目、会場をセンターに移し地域住民と一体となって取り組まれた同和対策事業による住環境改善の変遷と差別事件への取り組みについて報告を受けた。過去二〇年で百件を越える差別事件が市内で発生している。
二〇〇四年、野洲市役所に「野洲市の○○番地は同和地区であるか?」という問合せが不動産業者からあった。その理由を尋ねると買い手に同和地区であるか否かを説明する必要があるとのことである。これはその業者からすれば「善意」なのである。買い手に対する「善意」がしたこ……
8・15平和祈祷会は例年通り、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で朝七時から行われた。例年をはるかに上回る二五〇人の参加者の中には、敗戦後六〇年という節目なので初めて参加した、憲法改定が論じられる時代になり一緒に祈りたいと思ったなど、思いを語る人もいた。蝉しぐれに包まれ、立っているだけでもじっとり汗ばむような暑さの中で祈祷会が始められた。
礼拝は日本キリスト教協議会が敗戦後六〇年を覚えて作成した礼拝式文を基に進められ、経済力という偶像礼拝に陥り、侵略の責任を担うことを怠った罪を悔い、罪から立ち返る者となしたまえと導きを祈った。
説教は在日大韓教会西新井教会の韓聖炫牧師が「その町の平安があってこそ」と題して語った。バビロンに捕囚として連れて行かれた人々に対し、エレミヤが、その町で家を建て果樹を植え落ち着いて暮すようにと命じられたことを引いて、韓牧師は、自身の在日としての歴史から、次のように語られた。
……
▼我が家の庭にスイカがなった。丹誠込めたかいあって、大玉が二つ、少し小さめが一つ、縞模様もくっきり色濃く、いかにも器量がが良い。▼過去にも何度か挑戦したが、スイカ作りは難しい。蔓が伸び場所を占めるので二苗植えるのがせいぜい。たくさんの花をつけても実ができない。実ができても、大きくならずに落ちてしまう。試行錯誤を繰り返し、やっと辿り着いた三個のスイカ、ピカピカに磨いて床の間に飾りたい心境だ。▼ところで、栽培以上に難しいのが、スイカの収穫どき。早過ぎても遅過ぎても具合が悪い。花が咲いてから三五日目だと聞いたが、何時花が咲いたのか知る由もない。▼機が熟しても、外目には分からない。早過ぎたら芽を摘んでしまう。しかし、遅過ぎて機を逸する場合の方が多いだろう。▼伝道の機が熟しても、外目には容易に分からない。もう充分に熟れているのかも知れない。机の上にスイカを飾り、沖縄と西東京のキャンプ報告を読んでいて……
韓国・イエス教長老会永楽教会の高校生一四名と李創教牧師他リーダー三名が七月二八日から八月一日まで来日し、西東京教区の中高生を中心とした日本の青少年と交流した。
永楽教会高校生会と西東京教区および東京教区西南支区中高生は毎夏相互訪問を重ねており、韓国からの訪日は七回目となる。
一昨年に引き続き今年も訪日団と西東京教区教育部主催による中高生合同キャンプが三日間にわたって行われ、充実した学びと豊かな交わりの時を持った。成田空港での「熱烈歓迎」の後、バスの中でのゲームなどですっかり打ち解けた頃には会場である千葉の岩井海岸に到着。開会礼拝により約六〇名による修養会はスタートした。
西東京教区の誇る「高校生委員」たちのアイデア満載企画と進行による「ウェルカムパーティー」では、旅の疲れも見せない韓国高校生およびリーダー達のパワーに圧倒されつつ、負けてはならじと日本の中高生も大奮闘。すっかり打ち解け……