第67回北海教区定期総会は、四月三〇日(月)から五月一日(火)まで、札幌教会を会場に行われた。まず、開会礼拝では、高橋眞衣子(余市)、髙塚和彦(江差)の按手礼式と、清水明次(札幌北光)の准允式が執行された。
議事冒頭の議長総括では、特に次の三箇所について盛んな意見のやり取りが行われた。
すなわち、①前年度の教職講座で聖餐をめぐる学びを行ったことに関連して、排他的、対立的に論議するのではなく、さまざまな角度から聖餐を考える場が保障されることが大切であること、②「合同のとらえ直し」に関連して、教団信仰告白再検討の課題がある以上は、教団執行部が信条主義的に教団を一元化しようとすれば、合同教会としての教団形成を断念していると受けとめられかねないこと、③第35回教団総会の議長総括報告で過去四〇年間の教団の歩みを「荒野の四〇年」とし、十二項目からなる問題点を挙げたことと関連して、北海教区は不十分な……
五月三日(木)〜四日(金)、第71回/「合同」後41回京都教区定期総会が行われた。開会礼拝では「チムグリサ(沖縄の言葉で『断腸の思い』に近い言葉)」と題して説教が行われ、聖餐式が執行された。
一日目の選挙において、議長に望月修治氏(大津)が、副議長に井上勇一氏(洛南)が再選された。書記は議長に付託された。
多くの時間を割いて議された「『京都教区宣教基本方策』一部改訂に関する件」では今までの方策に加えて「教会の父権性支配構造を問い直す」、「憲法二十条改悪に反対する」、「各個教会・伝道所の連帯を深め、互助の充実を図る」等が盛り込まれた。「同性愛者差別問題をはじめとする性的少数者差別問題と取り組む」という表記について「今まであった『性同一性障害』の表記がなくなった経緯」について質問がなされ、関係委員から「同性愛者と性同一性障害とが混同される事を避け、区別を明確にする。」という説明がなされた。……
第56回西中国教区定期総会が、四月三〇日(月)~五月一日(火)、東広島市の西条グランドホテルを会場に開催された。
冒頭から質疑が相次いだのは、前回に引き続き今回も教団問安使に関してであった。議事においては、常置委員会よりの推薦准議員の承認の際である。
総会直前に開催された常置委員会は、送付されてきた教団総会議長による「2007年度教区総会への挨拶」の特に「2.正しい聖礼典の執行」に対して批判的「見解」を現すと共に、教団問安使の准議員推薦に当たっては、この「挨拶文」に沿った挨拶は受けないことと「挨拶文」に関する議論もしないことを条件に議場に推薦した。
議論は直接にはこの提案を巡って為されたが、これまでの経緯として前回教区総会は教団問安使の准議員を認めなかったことや、その直後に帰ってしまった教団問安使の振舞い、また直前の常置委員会に出されていた《准議員として推薦しない》《挨拶を受けない》……
▼数年前のこの欄に、寄席に閑古鳥が鳴いている話を載せた。昼席では私ども夫婦を含めて五~六人ということもあった。▼いかにも素人臭い前座は、何度もトチリ、客種が悪いとまともな噺は出来ないと愚痴をこぼしてから、高座を下りた。もう一人の若手は、肝心の噺には入らず、客いぢりに終始した。あたかも妻に世間話を仕掛けているという形で、即興噺を作り、少ない客から爆笑を引き出した。その後に登場する噺家は皆、これを踏まえて妻に挨拶し、さんざんからかい、いぢってから噺に入った。客も少しずつ増えたが、人数以上に盛り上がった。上手いものだ。▼私ども夫婦は、貸し切りのお座敷で接待を受けたような気分で、懐に余裕があったらご祝儀をはずみたいところだった。▼別な機会。矢張り一〇人足らず、この時、いぢりのその同じ噺家が、客の入りなど意に介せず、淡々と古典に取り組んだ。上手い。うなった。▼今、寄席の前には若者が行列をなしている。……
第57回九州教区総会は、五月一~三日、福岡中部教会を会場に開催された。
開会礼拝では、宣教協力している在日大韓基督教会西南地方会、宣教協約を結んでいる韓国基督教長老会群山老会の皆様と聖餐式を共にできたのも喜びであった。礼拝後、正議員二四六名中一七二名、准議員十九名の出席が確認され、開会が宣言された。
主な議案では次の六件が審議された。①受允者承認に関する件。議場での承認後、六名の准允式が執行。②現在設置されている「原理運動=統一協会」問題特設委員会とセクシュアル・ハラスメント対策特設委員会を継続設置することが提案、可決された。③九州教区宣教基本方針制定に関する件。前回総会で提示された案通りの方針案(〇七~十六年度)が提案され可決された。④九州教区宣教基本方策制定に関する件。共生、連帯、平和を柱とする二一項目からなる〇七~〇八年度の同方策が提案され原案通り可決された。⑤按手礼式執行方法に……
第65回四国教区定期総会は、四月三〇日から五月一日まで、今治湯ノ浦ハイツを会場として開催された。開会時に、議員一五五名中一二五名が出席した。
開会礼拝・組織会の後、議長メッセージがなされた。野村忠規議長は、厳しい現状の中にある今こそ主の支えの原点に立ち直し、教区の活動・自立連帯献金の推進に取り組んでいきたいと述べた。また、中越地震被災支援への協力を呼びかけた。
第一日目は主として昨年度の報告がなされた。議事と並行して教区三役の改選がなされ、議長に野村忠規氏(松山城東)、副議長に黒田道郎氏(石井)、書記に黒田若雄氏(須崎)が引き続き選任された。また、常置委員の選出及び各部委員の選任も行われた。
議事後夕食時、教区の青年が自主制作した自立連帯献金支援曲「御国を仰いで」の讃美が青年有志によってなされ、議員一同に対して大きな励ましとなった。
夕食後、「私と四国教区~信徒から見える四国教区の……
多様化する各教区の課題
五教区の報告を読んだ時点での感想にすぎないが、協議事項が実に多様だ。共通して取り上げられている課題は少ない。各教区を横断する主題は見えて来ない。教団総会が開催されない年であることも一因だろうが、矢張り、地域の特異化が進み、自然、対応も多様化しているように思われる。多様化する課題を、宣教というフォルダにまとめることは可能なのだろうか。
プロテスタント伝道開始以後ほぼ一五〇年。日本で何人の宣教師が活動されたことか。戦後の一番多い時は、全国で六百名の宣教師が活動されていたと聞くが、現在は約九〇名。
三月二七~二九日、青山学院で旧・日北米宣教協力会(通称JNAC)から、各々の代表約六〇名が集まり、フォーラムを開催。
これは二年前に、JNACが解散したが、これまでの関係で与えられた賜物などを双方が継承しつつ、今後、何を共有できるかを探る第一回目のもの。
日本伝道の多くの部分は、宣教師の働きによることは周知のことであるが、このフォーラムで、個人的に次のことを知らされた。
それは、JNAC解散の前年に、かつての感謝とお礼を兼ねて、山北宣久議長と、当時の世界宣教委員会・大宮溥委員長が北米各教団を訪問された時、「教団の代表が、直接来てくださったのは初めてです」と二教団から言われたようだ。
一瞬「エッ」と思ったが事実らしい。確か……
癌宣告をも乗り越え
李さんは台湾のミッション大学で、初めてキリスト教に触れた。ただ、アメリカ人宣教師であった学長夫人によるキリスト教の授業を真剣に学ぼうとはしなかった。けれども卒業直前、学長夫人の死を通して、彼女の祈りと信仰を受け継いでいこうと決意し、洗礼へと導かれた。
その後日本へ留学し、不思議な導きで、第一志望でなかった東京神学大学へ入学した。入学当初は、将来牧師になるというより、ただ聖書の研究がしたいという気持ちが強かったが、やがて伝道者としての志へと導かれた。卒業後、中渋谷教会で信徒伝道者として奉仕、更に准允、按手礼を受けるに至った。
けれどもその後に一度は帰国し、台湾の神学校で授業を担当していた。そのような生活の最中、医者から末期癌の宣告を受ける事態に直面し、李さんは神の前にひざまずき「病気が治ったら、一生涯を献げます」と祈った。そして不思議なことに回復へ導かれた。この……
教団事務局の仕事をしていると、様々な電話がかかってくる。いわゆる悩み相談の一つである。わたしはこういう組織なのだから、これらの電話を受け、話を聞くことも仕事の一環だろうと考えている。ときには一時間にわたる話に、急ぎの仕事を抱えて困ったなと思うこともあるけれど、今、誰かに話したいという電話をむげに切るわけにはゆかない。
先日、ある老人からの電話を受けた。四〇数年の教会生活を送られ、もうすぐ八〇才をお迎えになるという。現在は老人ホームに入居されているとのことだが、訳あって長く独居をしておられた。歳を重ねるごとに体も弱り、足を悪くしてからは教会に通うことが出来なくなって久しいという。けれども、主イエスを信じて、教会を思い、月定献金も納め、教会からも月報は届く。彼女が教会に通い始めてから、現在の牧師は四代目だが、教会に行かれないため疎遠になり、親しかった教会員も亡くなった今、教会との接点は郵便で……