*恵みに満ちた台湾交流
今回、台湾最大のプロテスタント教団、台湾基督長老教会との青年交流プログラムに、教団の青年代表として参加しました。台湾から青年が参加し、共に台湾各地を訪問しつつ、台湾や福音について学ぶことができました。
台湾では、十三のユエンツーミンと言われる先住民族を含め、多数の民族が異なる言語・文化を持っています。その歴史の殆どが日本を含む外国統治の結果、複雑な歴史背景を負うに至ったことを知りました。
民族間だけではなく、世代間でも話す言語や歴史認識が異なることを知り、大変驚きました。その結果、家庭や教会内ですら言葉の「断絶」、歴史認識の「断絶」があります。さらに、弾圧の歴史から一気に民主化が進んだというコインの裏側には、氾濫する外国文化の中で誰もが自分が何者であるのか、常にアイデンティティーを探しているという台湾の姿がありました。
アイデンティティーの問題だけではありません。クリスチャンが八割以上を占める先住民族の方たちは、平地に住む漢民族系の台湾人と比べ、社会的・経済的・政治的に弱い立場に立たされていることを初めて知ることができました。
このような内部での断絶一方で、国際社会からも孤立の岐路にある台湾。中国の外圧によって、政治が紛糾しています。国として国連の援助が得られず、SARSでは多くの被害者を出しました。最近では、中米の貿易国からは国交を断絶され、国際的に孤立の様相を強めています。
中国のミサイル威嚇に脅えつつ、来春の総統選挙を控えています。同じ教会といっても、内部で色々な意見があり、特に北と南ではかなりスタンスが違います。歴史認識にも南北で、世代間で大きな乖離があるので、これは当然の結果かもしれません。政治問題は殆ど教会ではタブー視されているということでした。
このように台湾は今、内外からの問題を抱えています。同じ神に連なる隣人として、そして台湾の歴史に関わってしまった国に住む者として、私たちも台湾の人々や教会のために心を尽くして祈り、できることで支援していかなければという思いを強くしました。
一〇日間三食を共にするというのは、家族でもなかなかないことです。プログラムでは、このように食事を分かち合い、祈りと生活を共にすることで、最終日には全員が参加者全員の物マネができるほど仲良くなりました。台湾・日本の青年で互いに信仰を深め合い、神の家族として強い絆で結ばれていると実感できました。
また、今回日本から高校生が三名与えられたことも大きな恵みです。求道中の一名は、主の交わりが常に外に向かって開いていなければならないということをわたしたちに思い出させてくれました。プログラム中、彼女の存在によって、『分かり合える人のためだけの福音』ではなく、『すべての人に開かれた福音』を意識することができたことは、参加者全員にとって大きな収穫でした。
またすでに教会に通っている二名は、現在の高校生クリスチャンが抱える問題を教えてくれました。彼女たちがその純真さのゆえに、心無い言葉の飛び交う学校生活と教会との乖離に悩み、キリスト者として日々重圧の中を戦っていることを今回初めて知ることができました。
そんな彼女たちが主にある交わりの中で、日々信仰を深め、輝きを増していく様子を見て、中高生伝道の大切さを改めて確認しました。
台湾のキリスト教人口は4%です。決して多くはありませんが、様々な活動を通じて創造的な青年伝道を行なっていることを学びました。日本の私たちも地の塩として創造的に大胆に、神の愛を伝えていきたいと大いに励まされました。
貴重な機会を与えてくださった神様、またプログラムの準備に携わってくださった皆様に、心から感謝します!
(秋田公子報)
*青年交流プログラムに参加して
台湾で行われた一〇日間の青年交流プログラムは、私にとって「教会」について今一度考えるきっかけとなった、とても有意義な機会であった。中でも、台湾原住民(ユエンツーミン)の一つである布農(ブヌン)族の人々を訪ねることは、他のプログラムや個人の旅行ではなかなか成し得ないことであろう。台湾のクリスチャン人口は全体の4%だが、原住民の8割はクリスチャンだという。布農の人々も熱心なクリスチャンだった。我々は家庭礼拝と青年の集会、そして日曜礼拝を一緒に守らせていただいた。北京語が広く使われる現在の台湾の状況の中で、布農の人々は確固たる意思を持って布農語を使い続けており、礼拝も布農語を用いて守られていた。その中で驚いたのは、「神様」は布農語でもKAMISAMAなのである(布農語は本来文字を持たないため、アルファベットを当てている)。台湾で日常使われている北京語でも台湾語でもなく、「カミサマ」、他にも「イエスサマ」や「レイハイ」「メグミ」などは日本語と同じように発音される。なぜかと尋ねると、布農の人々にとって北京語や台湾語は「借り物」の言葉であり、自分たちの言葉ではないという意識が強い。それよりは日本語を用いたほうがしっくりくる、というのだ。
しかしその日本語も敗戦まで日本が台湾を統治していたからこそ伝わったのだ。台湾の一定の年齢層には日本語を使える人が多い。布農族にも流暢な日本語をお話しになる方がいた。非常に衝撃的だったのは、日本には感謝している、というのだ。日本はインフラを整備し、教育を施してくれた、とても可愛がってくれた、と日本語で伝えて下さった。そのときの複雑な気持ちを、私は忘れられない。日本が台湾を統治していたことは恥ずべき過去だと思っているし、またその親日的な感情は台湾政府や中国に向かう反発から来ていることも否めないからだ。主にあって一つ、とは教会でよく使われる言葉だが、ともすると「神さまを知っているなら、私とあなたは同じ」という使われ方がなされているように思う。それによって本当は存在している複雑な問題が見えなくなってしまうのではないか。借り物の言葉を使わず、自らの部族に誇りを持っている人たちに、「私とあなたは同じ」と言い切ってしまうことは非常に暴力的で、植民地化と同じことになりはしないだろうか。
台湾に実際に存在する複雑な問題を、教会がもつ複雑なしがらみを、今回のプログラムの中ではしっかり話し合うことができなかったように思う。共に祈ることはできたかもしれない。確かに、共に礼拝し、祈ることで「主にあってひとつ」をポジティブに感じることはできたし、それは心から楽しく、喜びだった。しかし我々がユースとして何ができるのか、何をすべきなのか。そこに与えられた主のメッセージが何なのか、我々は受け取ることができたのだろうか。祈ることが逃げ場になっていないだろうか。そのことを問い続けられる私たちでありたい。
(長尾有起報)
*ひとこと
七月二八日~八月六日、宣教協約を結んでいる台湾基督長老教会のユースプログラムに参加した。昨年八月には台湾から十名の青年を迎えユースミッション二〇〇六を行ったが、今回はその交換プログラムである。
32総会における所謂「青年伝道決議」の結実とも言えよう。教団はこのために台湾協約委員会と教育委員会、学生キリスト教友愛会が協力して派遣を行った。
今回は台湾の青年七名と共に台北から台湾中部へと旅し、台湾の歴史と教会の活動を学び、交流を深めた。大きな刺激を受けて帰国した青年たちの報告に、思いを合わせたい。
(岸憲秀/教育委員長)