好きな言葉は、「悔い改め」「あしたのために」「楽しい生活」「共に生きる」。嫌いな言葉は、「後悔」「あなたのため」「やればできる」。
紆余曲折を経て九〇年に神学校を卒業し、日本福音ルーテル教会の牧師となり、〇四年に教団に移ったが、牧師としての生活も紆余曲折だった。
岡山時代、心臓病が悪く、教会員の医師から「あと五年の命と思ったほうがよい」と言われたが、予測は幸いにも外れた。釜ヶ崎で本田哲朗神父と出会い、自分がキリスト教の信仰に惹かれていたのは、メタノイア(悔い改め)であったことに改めて気づかされる。「あした」を見つめて精一杯生き、「後悔」はしない。「あなたのため」でなく、「共に生きる」労苦を味わい「やってもできない」事実に直面しながらも、それを超えた「楽しさ」に生きる。イエス様もそのために来られたと信じる。これがからだに染み渡り、今に至る信仰生活の基盤となった。
松山では、精神障害者小規模作業所に施設長兼指導員として従事し、この頃、教団への移籍の転機が訪れた。松山古町教会の副牧師として一年余り奉仕した後、新天地で「一から」いや「マイナスから」始める思いで、小豆島の内海教会へ赴任した。礼拝への出席者は、自分たち夫婦と四人の子どもたちの他、数名。「過疎の地で、ひっそりと始めよう」と思っていたが、教区の集会などで度々紹介され、かえって目立った。
昨年から「ブログ」を書き始めた。教会員は高齢で、読む人はいない。しかし「教会の敷居が少しでも低くなれば」「一般の方に読んでもらえて、底にある信仰を感じ取ってもらえれば」と願って毎日記す。「ブログ、楽しみに読んでいます」と言われるようになり、「カゼをひいた」と書いたら、高松に住む人が見舞いに来てくれた。
ひっそり始めた歩みだが、確かなつながりを広げていることが嬉しい。