【4641号】クリスマスメッセージ

ヨハネによる福音書3章16~21節

愛の派遣 小林克哉

*独り子をお与えになられる犠牲こそが

今からおよそ二千年前、ユダヤのベツレヘムの家畜小屋でイエス・キリストはお生まれになられました。御言葉は、クリスマスとは「神が御子を世に遣わされた」ことだと告げています。滅びに向かう世を救うため、神が御子を世に派遣されたことこそ、クリスマスという出来事の真相なのです。
ある時、お子さんが病気になっている方が私に言われました。「代われるものなら、代わってやりたい」。それが親の心でしょう。もしわが子を犠牲にしなければならないとしたなら、それはわが身を犠牲にすること以上に辛く厳しいことです。親と子を結ぶ愛の絆が深ければ深いほど、強ければ強いほど、そうなのではないでしょうか。
神は永遠において父であり、子であり、聖霊であられるお方です。ご自身において完全な交わりをお持ちになっておられます。御父と御子との愛の絆は深く強く完全なもの。御子が、「渇く」と十字架で叫ばれた時の御父の心を想像します。「代われるものなら、代わってやりたい」と思わない親がいるでしょうか。完璧な愛を持つことのできない人間の親がわが子のことで苦しむなら、御父の苦しみは私たちの想像の及ばぬものです。私たちの罪を赦し、永遠の命を与えるため、御父は御子を世の罪を取り除く神の小羊として十字架の死に渡さなければならなかった。
ある人が愛を測る方法について語っていました。「愛はその払った犠牲の大きさで分かる」というのです。十字架に示された神の愛の大きさは、すでにあの日に示されていたものです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」。
御言葉は、クリスマスという出来事が起こった理由をはっきりと語っています。神は「独り子を信じる者が一人も滅びない」ことを望まれたのです。神が世を愛されたから、二千年前にあの出来事が起こった。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるため」。神の目的はこの一点です。クリスマスは世が救われるためのもの。
「独り子を信じる者が一人も滅びない」ことを望まれる神は、世が救われるため、御子をご自身から引き裂き世に遣わされたのです。クリスマスにおいて神は天でご自身を引き裂かれる経験をなさったのです。そのことは、すでに十字架の始まりであったと言ってよいのではないでしょうか。
独り子をお与えになられるという犠牲こそ、御子の派遣というクリスマスの出来事なのです。そこに神の愛が示されています。

*何もないところから神の偉大な御業が

数年前、呉平安教会は伝道開始・教会創立百周年を迎えました。よくぞ何もないところに来て伝道し、教会を建てようと思ったものだと、宣教師が遣わされて来た出来事を感嘆の思いで振り返りました。
私たちは、二〇〇九年にプロテスタント伝道一五〇年を記念する時を迎えようとしています。改めてこの地に福音を伝えてくださった宣教師たちの働き、その背後にある諸外国の教会の祈りを思い起こし感謝したいと思います。愛する故郷や慣れ親しんだ教会に別れを告げ、心通い合う交わりから引き裂かれるようにして、宣教師たちは多大な犠牲を払ってこの地に遣わされて来たのです。そこには、この地に住む者たちが救われることを祈り求める愛がありました。
昨今、日本の教会の将来について危惧する言葉が聞かれます。しかし考えてみると、一五〇年前、この地には福音の伝道者もいなければ、生ける真の神を信じる信仰者もいませんでした。日本語の聖書も、勿論教会堂やオルガンもありませんでした。
しかしその何もないところから神の偉大な御業が始まりました。「独り子を信じる者が一人も滅びない」ことを望まれる神は、ミッションボードや教会によって宣教師たちを派遣し、この地に住む人々に福音を伝え、教会を建てられたのです。
数年前、分区のご用をさせていただいていた時です。実質四名の信徒が力を合わせ教会の維持に尽くしておられる教会がありました。その教会員、しかも健康を害していたご高齢の教会員が「この町から福音の灯火を消してはならない」と言われ、必死に頑張っている姿に触れました。心動かさずにいられませんでした。
これからいろいろな所で伝道所の閉鎖、教会の解散や合併が進んでいくかもしれません。私たちは伝道の喜びと共に、伝道の困難をも知っています。しかし私たちには信仰が与えられています。私たちは、何もないところから神の偉大な御業が始まることを知らされているのです。
クリスマスの出来事がまさにそうです。イスラエルの歴史は、人間がどんなに努力しても自分では救いを勝ち取ることができないことを証明していました。地上には人間が救われる可能性は何もありませんでした。しかし何もないところから神の偉大な御業が始まりました。私たちには何もないかもしれません。しかし神にはそんなことは関係ないのです。神は「独り子を信じる者が一人も滅びない」ことを望まれたのです。滅びに向かう世を救うため、神は御子イエス・キリストを世に派遣されたのです。そこからすべてが始まったのです。私たちにはクリスマスを信じる信仰が与えられています。

*神がなぜ私をこの地に遣わされたのかを

今年もクリスマスを迎えました。きらびやかな飾り、楽しげな歌、教会が一年で最も慌ただしくなる季節。神学校卒業と同時にこの地に遣わされて来て十一年目、慌ただしい毎日の中で、神様がなぜ自分をこの地に遣わされたのかを忘れていないか、自分は大切な何かを失っていないだろうかと自問します。私もまた、この地に住む人たちが救われることを祈り求める愛をもって仕えて行きたい。
クリスマス、神がなぜ私をこの地に遣わされたのかを思い起こさせてくれる時です。
私には何もありません。十一年間で知ったのは自分の無力だけです。しかし、神にそんなことは関係ありません。いつでも何もないところから神の御業は始まるからです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」「独り子を信じる者が一人も滅びない」ことを望まれる神が私たちを遣わされるのです。
(呉平安教会牧師)

 

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