「荒野の四〇年」
歴史評価巡り議論
第35総会期第1回常議員会は、十二月十二日から二日間、教団会議室で、三〇人中二九人が出席して開催された。
議事に入る前に、先例に従い、今総会期の常議員会の運営について懇談の時が持たれ、山北宣久議長は冒頭、①節度ある陪席を望む。常議員、要請陪席者の発言に重点を置く。議長の指示に従わない要求陪席者は、陪席を取り消し、次回もその点を考慮する②教団の将来に力点を置いて議論を深めたい③常設委・教区の現状を常議員会に反映し、課題を共有したい④沖縄教区が主体的に取り組んでいる「将来委」を注視しながら、沖縄と関係を深めて行きたい⑤財政とりわけ出版局の経営強化に努めたい、との基本姿勢を明らかにした。
懇談は一時間余に及び、議長総括の在り方、オープン(無差別)聖餐、教憲・教規と教会現場、議案の立て方などについて熱い意見表明が続いた。
議事に入り、出席者の点……
▼今総会期第一回常議員会時に、中越地震募金に関する報告書が配布された。A4版の封筒に沢山の資料が入っている。その表紙には、被災教会の名前と、会員数、礼拝出席数が一覧できるように記されていた。▼随分風変わりな封筒表のレイアウトについて、格別の説明はない。しかし、その意図は、充分に伝わってくる。こんなに小さい数字なのですよ。この少人数で、大事業に取り組まなければならないのですよ。そういうことだろう。沢山の言葉で説明するよりも、遙かに説得力がある。この企画を考えた人に敬意を覚える。▼といいながら、この数字に、全く別の感想も抱いた。つまり、意図とは逆かも知れないが、決して小さい数字ではないと思ったのだ。地震があり、大雪が続き、かなりの過疎地なのに、これだけの人が、礼拝を、教会を守り続けている。▼奥羽の水沢教会も過疎地にある。会堂再建事業は順調とは言えないと聞く。▼数字が大きいか小さいかはともかく、……
エフェソの信徒への手紙 1章11~14節
神の栄光をあらわす 山北宣久
・主の年
新年を生涯の中に加えられたことを共に感謝したい。さらにみ栄えをあらわすことにおいて多様でありつつ一つでありたい。
暦によって世界の年の数え方はいろいろである。
ユダヤ暦では今年は五七六七年だ。同様にバビロニアでは(ナボナサール暦)二七五四年、インドでは(シヤカ暦)一九二九年、イスラムでは(ヒジュラ暦)一三八五年となる。
日本は敗戦で廃止されてよかったが皇紀二六六七年ということに危うくなるところであった。
そんな中私たちは主の年二〇〇七年を迎えることがゆるされたのである。
いついかにあろうとも主が共にいて下さる、神が主イエスにおいて全てをみそなわせて下さる、それゆえに安んじて歩むことができる。感謝と喜びをもって主の年二〇〇七年を新年として迎えられたのだ。
私たちは「教団の過去、現在、将……
第35回教団総会も多くの課題を与えられて終り、新しい歩みにつこうとしている。
年内に常設委員会および常設専門委員会委員を選任し、第一回の常議員会を開催して、新年早々の活動へと向かっていく。
総会についての様々な評価がなされているが、これからの歩みにおいてそれらが定まってくることだろう。丁寧に一つ一つに対応するのみである。
他教派と人々との対話、協力の模索と努力が続いている。広くは日本宗教連盟における他の宗教団体との連絡も多いのだが、キリスト教会の一致を目指した方向にはずみをつけたい。特に福音派の人々との伝道協力は教団を豊かにするはずだ。
教団総会でも話題になったことだが、キリスト教主義学校、キリスト教社会事業同盟との連帯も大切にして進んでいきたい。
教団総会直後、宮城学院創立120周年記念式典に出席した。僅か六名から始められた学び舎が四八〇〇人を擁するキャンパスに成長していること……
神様の癒しに生きる
長い信仰生活を送ってきた信徒が多い武蔵豊岡教会の教会員の中でも、本橋一一さんの信仰生活の長さは群を抜いている。
一一さんは、一九五〇年、二四歳の時に埼玉県川越市のハレルヤ教会で受洗した。この教会は目の不自由な方が集まる教会であった。信仰の道を歩むきっかけは、在学していた川越盲学校の英語教師が語る神様のお話だった。戦争中にもかかわらず、信仰的な話がなされる等、当時の盲学校では比較的自由な教育が行われていた。
一九六六年に盲学校の先輩の紹介で恭代さんと結婚、二人で埼玉県入間市にある武蔵豊岡教会の礼拝に出席するようになった。恭代さんは松本ホーリネス教会で受洗し、信仰を共にできる伴侶を主に望んでいたので、一一さんとの結婚は望んだ通りだった。現在はいつも肩を並べて礼拝に出席されているお二人だが、礼拝以外で二人一緒に並んで座るのは照れてしまう、と恥ずかしげに語る。しかし、……
〈二四年の歩み〉
この会は、青森県野辺地教会の教職、信徒の方の祈りにより立ちあげられた会で、教区主体の農伝が廃止されたことがきっかけとなり、自主団体としての活動が今も続けられている。農民信徒の自立的信仰確立を目差して、エキュメニュカルで始まったが、現在は、生活者全てを対象にして門戸を広げ、実質的には教区の農伝部分を担う活動となっている。
〈運営の特徴〉
運営は、参加費、年会費(一二〇〇円)、賛助会で賄われ、青森、秋田、岩手三県の教会を持ち廻り、食材と寝袋を持ち寄り、手づくりで行われている。委員は農民信徒が中心になりながら、協力牧師に支えられ、七回目からは報告を出すようになった。
〈八甲田での集い〉
去る一〇月二三、四日第二四回目の総会及び研修会が、八甲田伝道所・農村センターの収穫感謝の集いと合同で行われ、延べ三〇名の参加者が与えられた。
テーマは「『私の農村伝道論』~農村に生き……
「私」を探し続けて
寺島 順子
(野方町教会員)
その昔、真面目な顔をして夫が言ったことがあります。「生まれ変わってもまた君と結婚したいと思うけど、どう?」。私、「う~ん、牧師じゃなければねえ、返事は保留!」。祖母も母も牧師夫人だった私は、「牧師とだけは結婚したくない」と心に誓っていながら、神さまの悪戯の罠にはまってしまいました。その故か、「牧師夫人」という呼称には少なからず抵抗し自分らしい在り方を模索し続けて今日に到っています。しかし神さまはそのような反抗的な私を、忍耐と寛容をもって見守り続けてくださったばかりか、遣わされた各々の教会に於いて、さまざまな出来事と人々との出会いを用意して、私の小さな信仰を育て、鍛えてくださっています。
阿佐ヶ谷、下関丸山、甲府、野方町と、各々の教会での貴重な体験が今の私を形作っていることは紛れもない事実です。特に下関にいた三〇代の頃、在日大韓下……
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『教団新報』編集部
(1)誕生年
(2)出身地
(3)信仰歴(受洗年、受洗教会、教師名)
(4)趣味
(5)モットー
(6)抱負
斎藤仁一 東北教区山都教会
(1)1952年
(2)山都町(会津地方北西部)
(3)1973年、 山都教会、 渡辺晋牧師
(4)音楽を聴くこと、読書
(5)喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く
(6)◎過疎地にある教会と共に歩む
◎多様な考えや活動を認め合う
◎様々な考えや意見を積み上げていく会議制を重んじる
和田献一 関東教区氏家教会
(1)1947年
(2)東京都
(3)1959年、 氏家教会、 和田正牧師
(4)特になし
(5)特になし
(6)教団が「荒野の40年」の対立の過去を見据え、克服し、「対立から連帯」への新しい歩みを始め、多様性の中で深い対話が生み出されるようにしていきたい。アジアの教会……
4615号3面、小橋孝一氏の出身地「鎌倉市児島」を「倉敷市児島」にお詫びして訂正いたします。