能登半島地震と被災教会の再建
高橋 潤
三月二五日(日)の教会学校が終わる頃、能登半島地震が発生した。被災した教会施設は、能登にある輪島教会、羽咋教会、富来伝道所、七尾教会と富山地区の魚津教会だった。
この地震の特徴は、余震による被害の拡大であった。当初の現地からの情報で安心してしまった所に、無数の亀裂被害があることが後から分かってきた。また、観光地ゆえに、被害状況をありのままに報道することは、現地の死活問題につながる。そのために、大きな被害にもかかわらず、報道規制
がかけられたため、被災状況が十分伝わらないまま時間が過ぎてしまった。そのような中で、被害状況を把握するために力を発揮したのは、電話や携帯電話よりも電子メールであった。特に、通常のメーリングリストによる被災教会の牧師
からの生の情報が、電話が回復する前に入ってきたし、被災教会のホームページに掲載された写真によって被……
第35回総会期国際関係委員会が、五月二二日に教団会議室で行われた。
互選で、委員長に中道基夫(関西学院大学教師)、書記に稲垣裕一(久我山教会教師)を選出した。委員は野崎威三男(アジア学院校長)、藤田義哉(玉川平安教会教師)、渡辺多恵子(十貫坂教会信徒)で全員で五名である。
国際関係委員会はその名の通り、世界宣教委員会の下で、教団と全世界の関係教会(スイス、台湾、韓国協約委員会と宣教師関係分を除く)の宣教協力に関して協議し取り扱う。教団が加入していたJNAC(日北米宣教協力会)が二〇〇五年に解散したのを受けて、先の総会で教団内の世界宣教の枠組みの改組が決議され、本年五月末のCoC(宣教協力協議会)の解消を控えて新設された経緯があり、教団内ですでに継承すべき課題が生じている。それを明確にし、引き継ぐのが本委員会の目的である。
現在教団は、フィリピン合同教会、南西ドイツ宣教会、米国長老教会……
五月十七日~十八日、教団会議室で昨年の教団総会決議に基づき常議員会のもとに設置された「在日韓国朝鮮人連帯特設委員会」の第一回会合が招集された。
委員は西田直樹(招)、長山信夫、向井希夫、土井桂子、尾崎風伍の五人。野村和正宣教部幹事が担当幹事。
当委員会設置の経緯、前身にあたる「在日韓国朝鮮人・日韓連帯特別委員会」の活動と昨年発行されたブックレット在日・日韓連帯シリーズXV「在日・日韓連帯の30年-私たちの歩んだ道-」、その中から当委員会が継承すべきもの、尾崎風伍委員がその委員会に提出されていた意見書、世界宣教委員会の韓国協約委員会との関係、外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会(外キ協)との関わりなどについて意見交換をした。
二日目、委員長に西田委員、書記に土井委員を選任し、これまで当教団が中心的な役割を担ってきた外キ協との関係で、外キ協事務局を担う人に協力委員として陪席を要請……
五月二二日(火)から二三日(水)にかけて、第40回伊豆諸島連合修養会が八丈島教会を会場に行われた。第40回を記念して七〇名を超す参加者が与えられ、交わりと分かち合いの時を持った。
八丈島教会は、「八丈島教会」と「八丈島シャローム教会」が二〇〇三年に合同して誕生した。これまでに、信徒数の減少、無牧、主任牧師の急死と、多くの困難を味わってきた教会である。現在も二つの会堂が離れた場所にあり、礼拝する会堂を一つに絞ると、教会に通えない信徒が出ることもあり、月に三回は大賀郷会堂(旧八丈島教会)で、月一回はシャローム会堂(旧八丈島シャローム教会)で礼拝を行っている。今回の修養会に際しては、多くの教会員が奉仕に加わり、そのパワーを見せつけた。昼食として振る舞われた「島寿司」と、教会員の手作りの「明日葉の胡麻和え」は絶品。中にはシャローム会堂の庭に出て日差しと景色を楽しみながら舌鼓を打つ参加者もいた。
……
第35総会期第一回宣教師支援委員会が、五月十一日(金)十四時~十七時、教団会議室において開催された。当委員会は、教会から今橋朗(委員長、蒔田教会)・橋爪志津代(洗足教会)、宣教協力学校協議会から永嶺雄三(女子学院)・立花慎一(青山学院)、宣教師からトーマス・ヴァンデバーグ(清瀬みぎわ教会)が委員となり、世界宣教部の上田博子幹事が担当幹事を務める。
宣教師支援委員会は、JNAC(日・北米宣教協力会)の解散に伴い、教会やキリスト教学校に働く宣教師の個人的な問題を受け止め、側面からサポートし、日本での活動が円滑にいくように支援することを使命として、CoC(宣教協力協議会)において二〇〇五年度に組織されたことに始まる。そして、この度のCoCの発展的解消によって、今総会期より、教団の世界宣教委員会の下の委員会として位置づけられることとなったものである。
本委員会が担当している事項は次の四項目であ……
五月三〇日、宣教協力協議会(Council on Coop-erative Mission:CoC)が、教団、宣教協力学校協議会、日本キリスト教社会事業同盟の三構成団体の代議員の出席を得て、第85回全体会議を最終全体会議として教団会議室で開催し、正式に解散した。
教団と歴史的関係の深かった北米八教派の外国伝道部が、戦後の日本のキリスト教界の復興のために組織した、基督教事業連合委員会(Interboard Com-mittee on Christian Work in Japan:IBC)に対応する日本側の組織として日本基督教団、日本基督教教育同盟(現在のキリスト教学校教育同盟、後にIBC関係学校協議会が組織され、現在の宣教協力学校協議会となる)とIBCで内外協力会(Council on Cooperation)を一九四八年二月に設立した。これがCoCの出発点である。
一九五二年には、日……
▼旅行雑誌のコーナーで立ち止まった。「源泉掛け流しの温泉宿」、先ず、この辺りに目が行った。パラパラとめくり、頭の中で日程を勘定し、「日帰り温泉」の前に移る。ついに鞄から手帳を取り出す。「ウーン」と唸って、本屋の天井を見上げたら、鏡に別のコーナーが映っている。江戸の古地図。▼数年来のブームのことは聞いてはいたが、何とも多様な江戸の地図が並んでいるとは、驚いた。明治大正昭和の東京もある。比較的コンパクトな江戸地図と下町食べ歩きの類の本を買った。▼早稲田周辺も取り上げられている。見れば、教団から歩いて数分の所に、「堀部安兵衛記念碑」がある。七年通っていて初めて知った。教団から、高田馬場までの帰り道を三倍くらい遠回りして歩き、小旅行ならぬ豆旅行を終えた。なかなか味わいがある。▼牧師は出張が多くて羨ましいと妻が言う。金沢には六度行った。兼六園を見たのは五度目の時。日光は二度、東照宮も華厳の滝も未だ。……
詩編62編1~9節、使徒言行録3章13~21節
神の前での沈黙 勇 文人
・ダビデの沈黙
語ることにおいて優れた才能を持っていながら、雄弁であることを捨てた男がいます。人並みはずれた才能を持ちながら、自らの無力さを思い知っていた男がいます。イスラエルの第二代目の王ダビデ。彼はたぐいまれな能力を持っていました。ダビデに出会ったサウルの従者がダビデのことをこう評しているほどです。「竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良い」。そんな秀でた才能を持ちながら、ダビデは自分には何の希望も見いだしません。ダビデはただ神だけに信頼を寄せ歌います。
「神にわたしの救いはある」「神こそわたしの救い」と、神だけに頼って歌います。他の何者でもなく、ただ神だけが、神こそがです。だからダビデは救いの源である神に向かうのです。
神に向かうときに……
台湾基督長老教会の第52回の総会が四月十日から台北の馬偕記念病院で開催され出席した。
国民党と民進党が中国との対応をめぐって緊張関係にある中での総統選挙実施が近づく中、長老教会もこの関連を直視していることが呂秀蓮副総統の来訪と演説でも伝わってきた。
また世界状況の中での孤立化を脱すべくシンガポール及びマレーシアの長老教会との宣教協力案が可決されたことも台湾基督長老教会の方向性が見えていた。
四役の改選、予算等の承認などのほか機構改正も進められ前進する姿が着実と見受けた。
教団からの議長挨拶は東京台湾長老教会の李孟哲牧師の通訳によってなされたが熱烈なる拍手によって歓送迎され教団への信頼と期待の高さ、深さを再認識させられる時でもあった。
今回の総会主題は「建造家庭祭壇、分亨豊盛生命」であったがこれは今年の教会全体のテーマをそのまま掲げてのことである。
家庭伝道、信仰の継承によって主……
今、ここで踏んばらないと
「今、わたしたちの世代がここで踏んばらないと。十年後を見据えて。伝道のために」。教会の伝道状況に危機感を覚えながら、なお、濱田さんは喜びをもって語る。伝道するのは自分たちの受けた恵みへの当然の応答である、と考えている。
ここ数年の間に、教会では若い世代も含め十名近くの受洗者が続いている。濱田さんの家族にも受洗者が与えられ、子どもたちへの信仰継承も成った。それだけではなく子どもたちの夫や妻も洗礼に導かれた。親である自分たち夫婦が努力したことではなく全く恵みとして与えられたこと、と語る。このような恵みを無償で与えられたからこそ、なおのこと伝道への責任と、自ら負うべき労苦に気付かされた、と言う。
教会内に久しく無かった伝道委員会が昨年立上げられ委員長に就任した。確かに、少子化、高齢化、過疎化、地域の習俗、地元に若者が働く場は少なく現状は厳しい。しかし、今ここに……