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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

教団新報:一覧

【4635号】一致と連帯の恵みが聖霊によって 9年ぶりに、KCCJと教団との宣教協議会

2007年9月22日
第2回在日大韓基督教会(KCCJ)と日本基督教団との宣教協議会が、「百周年を迎える在日大韓基督教会と日本基督教団の宣教協力の展望」を主題に、七月二三~二四日、日本基督教団東梅田教会で開催された。(教団二七人、KCCJ二一人、計四八人参加) 今回は、第一回宣教協議会以来九年ぶりの開催で、来年、在日大韓基督教会が宣教百周年を迎えることを覚えての会議となった。開会礼拝において山北宣久議長は、一致と連帯で悩む世界にあって、「聖霊と私たち」には一致と連帯の恵みが聖霊によって与えられていると語られた。両総幹事より両教会の年間活動報告、関東地方会と四国教区から地域交流の報告。来年に迫った在日大韓基督教会の宣教百周年事業についての報告を聞いた。 今協議会の中心となる講演は、在日大韓基督教会歴史編纂委員会 李 清一(イ チョンイル)委員長より「在日大韓基督教会宣教百年の歩み~日本基督教団との関係史をふま……

【4635号】要望書

2007年7月18日 日本基督教団 常議員会 御中 宣教委員会 委員長 高橋 潤 要 望 書 第35総会期宣教委員会は、7月17~18日第2回宣教委員会を開催し、「常議員会報告」として、2007年7月9日常議員会に於いて北村慈郎常議員が「聖餐について」発題した内容について報告を受け、常議員会に、次のように要望いたします。 北村慈郎常議員は、自身が責任を持つ紅葉坂教会における具体的な事例として、未受洗者にも聖餐に与らせるということを自覚的に行っているとの発言をし、その上で教団に於ける「多様性があってもよい」として、未受洗者への配餐をも容認すべきことを求めました。 聖餐は、日本基督教団が守ってきた宣教の秩序の生命線であり、宣教委員会として上記のような北村慈郎常議員の聖餐に関する発言と未受洗者にも聖餐に与らせることを自覚的に行っている事は、容認出来ません。 常議員会は、昨年の信仰……

【4635号】常議員会に要望書提出 第2回宣教委員会

第35総会期第二回宣教委員会が去る七月十七日(月)~十八日(火)、教団会議室で行われた。川崎善三委員の説教による開会礼拝の後、内藤留幸新総幹事の挨拶を受けた。 また、教団の自主活動団体である全国教会婦人会連合、日本キリスト教保育所同盟、全国教会幼稚園連絡会の挨拶と報告がなされた。 障害者差別問題小委員会の報告を受け、小委員会からの「『障がい』を考える委員会」への名称変更の提案を積極的に受けつつ次回に継続審議とした。 宣教方策会議を「日本基督教団の伝道、その協力のために」-プロテスタント伝道一五〇年をふまえて―-との主題で二〇〇八年三月十日(月)~十一日(火)、富士見町教会を会場に行うことを決めた。 キリスト教教育主事の制度と歴史について、勝山健一郎教団幹事から詳細な説明を受けた。 常議員会の報告を受け、北村慈郎常議員が、発題に於いて、紅葉坂教会で未受洗者に陪餐させている旨の発言を……

【4635号】能登半島地震一五〇〇〇万円募金開始

第35総会期第二回常議員会(七月九日~十日)で「能登半島地震」被災教会再建支援に関する件が決議された。これをうけて設置された、「能登半島地震」被災教会会堂等再建支援委員会(以下、再建支援委員会という)の第一回委員会が、八月九日、教団会議室で開催された。常議員会で選任された委員は、原田謙、長山信夫、小林眞、大杉弘、津村正敏の五名である。 まず最初に組織会を行い委員で協議の結果、委員長に長山信夫委員、書記に大杉弘委員を選任した。 続いて陪席された中部教区、能登半島地震被災教会再建委員会の小宮山剛委員長より、三月二五日の地震発生後、今日に至るまでの再建委員会の取り組みについての経過、状況の報告を受けた。 更に被災教会の二〇〇七年度の復興計画、それに伴う概算費用、加えて、被災教会再建献金の状況についても報告があった。 次に、高橋潤中部教区議長より、個々の被災教会の現状についての報告があり ……

【4635号】第1回韓国協約委員会開催

第35総会期第一回韓国協約委員会が、七月十二日(木)午後、日本キリスト教会館内会議室で行われた。会に先立って内藤留幸新総幹事からの挨拶を受けた。委員の自己紹介の後、委員会組織につき協議の結果、委員長に菅原力氏、書記に吉岡康子氏を選任した。 報告の最初に今総会期に新たに設置された当委員会に関して、設置への経過と扱うべき事項の説明、さらに先に開かれた当委員会の管轄委員会である世界宣教委員会の報告等を担当の上田博子幹事より受けた。 特に、一九六七年に結ばれた日本基督教団と韓国三教会との協約に基づき、過去に開催されてきた日本基督教団と韓国三教団(韓国基督教長老会・大韓イエス教長老会・基督教大韓監理会)による「日韓四教団宣教協議」が一九九七年の第五回宣教委員会開催以後開かれていない事の事情につき詳しい報告を受けた。 議事として、現在準備が進められている第四回スイス・韓国・日本三国教会協議会開催……

【4635号】『つれもって行こら~-今からここから-』

二〇〇七年八月十四~十七日、大阪府和泉市にある日本基督教団いずみ教会を会場にして『つれもって行こら~-今からここから-』というテーマで第一〇回部落解放青年ゼミナールが行われました。『つれもって行こら~』という言葉は大阪の南西部で語られる泉州弁で『一緒に行こうよ』という意味があります。今年の参加者は四六名、内容が濃いプログラムで充実した学びの時となり、また差別をなくそうと同じ志を持つ仲間との出会いの時となりました。 今年も開会礼拝から始められ、様々なプログラムがありました。「入門講座」では、聞くだけではなく主体的に関わり共に学んでいくことを考え、実行委員が講師を担い、部落差別の歴史や基礎的なことを学びました。「フィールドワーク」では、訪れる場所の説明とその時代背景の説明を事前に受け、部落差別が現実に起きたということを実感しました。また、「信太山盆踊り」への参加は、地域の人とのふれあいがあり……

【4635号】荒野の声

▼学生時代、殆ど睡眠を取ることの出来ない夜警のバイトを終え、日曜の朝、決まった時間のバスを使う。小学校低学年くらいの子どもが男女四人乗って来る。間もなく、四人による合唱が始まる。大抵は音楽の教科書にもあるような名曲を、美しいハーモニーで聞かせてくれる。今も耳に残る「ボルガの舟歌」。音楽教室に通うものらしい。▼バスに乗り合わせるのが楽しみになった。子どもたちが乗る時間は大体決まっている。選択肢は二本。子どもたちの顔が見えないと今日は外れ、がっかりする。▼ある日、彼らはいつものバス停では下りずに、そのまま乗り続け歌い続けた。その時、運転手の声、「うるさい、他人の迷惑も考えろ」。かなり乱暴な物言いだ。▼「そんなひどい」と思い、他の乗客を見渡す。ところが、大方運転手に同調している。下り際、「いつも楽しく聞いてるよ」と大声で言った。▼その日以来、何故か、二度と子どもたちを見なかった。▼バスは混み、余……

【4635号】四国教区の自立連帯献金運動は、信徒たちの祈りから始まった 献金運動推進の歌が誕生

・伝道の中心的課題 -教師謝儀 一九五三年九月の「全国宣教協議会」に参加した四国教区の信徒が、日本伝道の中心的課題は「教師謝儀問題」だとの趣旨の発言に、強い印象を受けて戻って参りました。その信徒を中心として、一九五八年四月。第16回教区総会で「教師謝儀の最低基準確保に関する件」の発議がなされました。これが契機となり、教区の様々の場で「教師謝儀問題」が議論される事となったのです。実際当時の牧師家族の生活は厳しいもので、こんな話が残っています。信徒の方が牧師館を訪問した時、牧師夫人が寝ておられます。「どこかお悪いのですか?」と尋ねると、「動きますとお腹がすくものですから」と答えられたとか。涙無しには聞く事の出来ない話であります。 一九六〇年。第11回教団総会での事。その閉会まぎわ、大阪の信徒議員から、「宣教のために大きな事をしよう!」と、「十億献金」の提案がなされ、議場に大きな拍手がわ……

【4634号】多様性

2007年9月8日
教区総会や常議員会はじめ教団のいろいろな会合で耳にする言葉の一つに「多様性」がある。 合同教会たる教団としてキーワードの「多様性」があるのは当然といえば当然だろう。 しかし、よく考えてみよう。この言葉は「なんでもあり」の同義語ではない。多様性とは信仰的一致の中から生ずる恵みの果実なのだ。 「信仰は一つ、証しは多様」という言葉こそ教団の合言葉だ。信仰告白においては一致している。そして証しはまさに多様で「いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです」(フィリピ3章16節)となるのであろう。 しかし、ややもすれば「信仰は多様、証しは一つ」になりかねない。復活を信じなくてもいい、でも「キリスト者ならこの政治社会的課題に反対すべきだ」ときめつける。かくして画一化がおこる。 一致と画一化と区別せねばならぬように、多様性と分裂の相違にも注意せねばならぬのではないか。 多様性……

【4634号】人ひととき 宮腰定治さん

餓え渇きに道を示され 大学時代の恩師は、後にA級戦犯となった大川周明だった。愛国学生連盟に属し、日曜はビラ巻きに参加した。繰り上げ卒業で軍に入り、アッツ島に配属された。昭和二〇年。ソ連参戦により、北海道稚内へ赴き、そこで終戦を迎えた。 敗戦から立ち直るには経済の発展が不可欠との思いから、小倉の炭坑に向かった。労働組合の運動にも触れたが、「どこか違う」との思いをぬぐえなかった。隣の炭坑で婦人部長をしていたトミ子夫人と出会ったのも、この時期である。 炭坑をやめた後、技術屋として博多に移住。上司がキリスト者であったことから、キリスト教に触れ、昭和二三年、夫人と共に受洗した。炭坑伝道の志を与えられ、直方(のうがた)福音ルーテル教会の牧師館で生活しながら、伝道所設立のために働いた。子供が自由学園に入学し、羽仁もと子氏の考え方に触れた。一九八二年、それらの経験の結実として、八丈島に「希望の村……
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