2011年9月5日(月)~6日(火)、日本基督教団真駒内教会において第37総会期第2回台湾協約委員会が行われた。
そこでは主に、2012年2月20日(月)~23日(木)に台湾において開催される、「日本基督教団(以下教団)と台湾長老基督教会(以下PCT)との教会協議会」の内容について協議がなされた。
それに先立つ報告事項として、2011年4月25日に行われた、PCT総会についての報告がなされ、総会の中で石橋秀雄教団総会議長よりPCTへの献金感謝と震災の現状が報告されたこと、また総会を開催した会場が、マカイ病院というPCT関係病院であり、PCTが教会外にも広く関係と信頼を築いていることが報告され、大いに学ばせられることであった。
また、教団よりの在台湾宣教師の活動についての報告があり、彼らの活発な宣教の業に皆が祈りを合わせた。
報告の最後に、東日本大震災におけるPCTからの4、800万……
9月1日に第37総会期第4回宣教研究所委員会が開催され、目下策定中の「宣教基礎理論」についてその構成と主要項目を以下のように決めた。第3回委員会で「ガイドライン」を新たに作成し、それに基づきながらの作業である。
Ⅰ.宣教の根拠・理由
①救済への神の普遍的な招き。
②歴史における神の招きの現実化。
③イエス・キリストの派遣・イエス・キリストによる派遣。
④喜びの共有(個人主義的信仰および救済理解の克服)。
Ⅱ.宣教の主体
①三位一体の神。
②主の選民(〔旧約の〕イスラエルと教会):召命と献身。
③主の民に連なる一人一人。
④宣教に積極的に向かう教職・役員・信徒の育成。
Ⅲ.宣教の内容
①「日本基督教団信仰告白」が反映されること。
②中心としてのキリストの出来事:罪の赦し。
③救済への参与:義認と聖化。
④終末における完成・救いの達成に努めること。
Ⅳ.宣教の対……
関東教区の場合、東日本大震災によって被った被害と救援活動は、奥羽教区や東北教区とも性格が違っています。栃木、茨城、群馬を中心に教会・付属幼稚園・保育園等の建物被害、信徒の家屋の被害が中心で、その復興と再建が課題です。
関東教区内の教会の被害の概況について。特に教会建物に大きなダメージを受けたのは、水戸中央教会(茨城)、伊勢崎教会(群馬)、宇都宮教会(栃木)で、それぞれの教会を中心に、その再建計画と懸命に取り組んでいるところです。
水戸中央教会は街の中心の好立地にある教会ですが、付属館と牧師館に壊滅的な打撃を受け、倒壊の危険があり、解体工事が終わりました。牧師は現在、外に家を借りて仮住まいの生活をしています。再建が急がれます。
宇都宮教会は大谷石で建てられた礼拝堂の構造が問題で、余震のたびごとにつぶれないかと不安で、伝道集会に人を招けないという状況。建物全体の建て替えに向けて、検討して……
地震と津波、奥羽教区内の教会はすべて少なからず被災の中にある。しかし、すでに報告されているように津波による被害の大きさに誰の目も奪われている。確かに甚大な被害は、その総額を計算することができない、津波被害を受けている宮古教会と新生釜石教会は、抜本的な再建計画に着手できない。もちろん、そこには地方自治体の判断が直ぐに出ないということもあるが、各教会とも、建築や整備が終わっていたから会堂建築に備えてはいなかったのだ。
さらに高齢化した信徒が、再建に向けて、なかなか腰を上げることができない。何とかしなければと言う思いと、自分たちの力ではと言う思いとが交錯しているからだ。何回も何回もお訪ねする中でその思いは当然だと思えて仕方がない。でも、そのままにしておけば良いのではない。
そのため、各教会は応急処置を始めている。少なくとも壁や床をはがし、ヘドロの塊を取り除き、再び壁と床を張る作業を10月末ま……
▼毎週利用する地下鉄に、節電のために止められているエスカレーターがあった。止まったままに、階段として用いられていた。▼最初の時のことだ。一歩踏み出して、たたらを踏むというのだろうか、転びそうになった。エスカレーターは全く動いていない。もう一度やり直したが、違和感は残った。その後は、普通の階段を上るのと変わらず、頂上まで辿り着いた。そこから床に足を踏み出して、また戸惑う。前のめりになった。▼多くの人が同様の経験をしたと思う。エスカレーターが停止していることは、目で見て、頭では承知している。しかし、足の方に思い込みがあるようなのだ。無意識のうちに、エスカレーターの慣れた動きに歩幅をそろえてしまうのだ。▼運動会でお父さんが転げるのも、同じ理屈だと聞いたことがある。若かった時のスピードが、体の内に、記憶として残っている。しかし、運動不足の足がついて行かないから転ぶのだそうだ。▼改めて地震のことを思……
あの日から半年が過ぎた。一瞬にしてひっくり返され壊されてしまった日常、毎朝目覚める度ごとに、夢であって欲しいと願わずにはいられない受け入れがたい現実、あれから半年が過ぎた。涙に沈みきり、もう一度立ち上がろうとすることが、波に飲まれて逝った人々への裏切りであるようにさえ思えた日々、しかし、暮らしを取り戻すことで、地震を津波を、嘲笑ってやりたいとも思うのだ。
(教団新報への通信から)
半年前に、私たちは悲鳴を聞いた。慟哭を聞いた。そして、慰めるべき己の言葉の貧しさを恥じ、精一杯に延ばさなければならない手の力の足りなさを嘆いた。半年が経って、今私たちは何をなすべきか、私たちに何ができるか。改めてその声を、その祈りを聞くことから始めなくてはならない。ここに、被災3教区の祈り・叫びを、各教区総会議長の声を通して届ける。
弱っている時にこそ、み言葉に立てられ
多くの祈りに支えられ 東北教区
……
1952年生まれ。東京都建設局職員。三崎町教会員。
「9月に入りましたので、パンダも一段落つきました」。都立公園整備管理事務所は上野公園の中にある。動物園にパンダが来たため、来客の整理などにかり出されることもあった。18歳で鹿児島から上京して、ずっと都の建築職として歩んできた。
10年程前、八丈島に転勤になった。当時の八丈島は2つの教会が合併しようという時だった。「八丈島の一番激動の時を、過ごしたと思います」。客員で過ごそうと思っていたが「若い役員がほしい」と言われ転会を決意。招聘委員に加わり、小田島泉牧師を招き、2つの教会が合併。しかし合併直後、小田島牧師が召され、新たに牧師を招聘しなければならなくなった。招聘委員長の役を受けるも、転勤で内地に戻ることになる。内地に身を置きながら、現任の一之木幸男牧師を紹介され、招聘した。その後三崎町教会に籍を移し伊豆諸島伝道委員会に加わった。「……
「部落解放 関東教区キャラバン2011」を、2011年6月25日~7月4日迄、日本基督教団関東教区と部落解放センターの共催で開催しました。キャラバン隊4名(東谷誠、犬養光博、小糸健介、山口政隆)とセンター実習生(桝田翔希)の5名で関東教区内5県を部落差別がなくなることを願い、出会いを求め、研修とフィールドワークをして参りました。走行1、177キロ、22会場1、373名の参加者でありました。各地で恵み多き集会でありましたが、隊員3名に3ヶ所の報告をさせていただきます。
足尾銅山フィールドワーク
犬養光博
予定表に足尾研修とあったので、もう一度田中正造のことが学べる、と楽しみにしていましたが、全く違っていました。足尾銅山跡、強制連行されて来た朝鮮人や中国人の慰霊碑、そして年月が経ち,多くの人々が必死に植樹をしたにも関わらず、未だにあらわになっている裸の山。
古川鉱業所は筑豊でも大きな炭……
… 主の慰めと助けを求める祈りと礼拝のとき …
911246、あの日あの時から半年。全てが揺さぶられ飲み込まれ、混沌そのものとされた311246の「あの時」と比べれば、目に見える光景はたしかに様変わりしつつある。しかし、大震災を何らかのかたちで経験した者の多くは、あの時を思い起こせば、おそらく足がすくみ、胸が締め付けられるに違いない。あれから半年の月日は、長いのか短いのか。まだ悲しみと嘆きの声はやまず、明日のことを思えば、不安と恐れに包まれ、何の展望も開けない人は少なくないだろう。信仰者といえど、まだ整理がつかず、11246の祈りの時ごとに、「なぜ」という問いがまた頭をもたげる。
しかし、その問いを抱えながらも主の御前でこの時を過ごそうと、「911246 この日とこの時間に共に祈りを」と石橋秀雄教団総会議長が呼びかけ、この大船渡教会に、祈り礼拝する人々が集まった。
まず、午後2……
宮島新也氏(隠退教師)
11年6月12日逝去、74歳。東京都に生まれる。'62年青山学院大学を卒業、'64年相良教会に赴任、'88年より'89年まで吾嬬教会を牧会し、'99年隠退した。遺族は妻・宮島園子さん。