駒木要さんは大阪府東南端の河内長野市生まれ。河内長野教会で信仰に導かれ、今日まで養われてきた。当時生まれ育った家の隣は、河内長野教会にあった関西農村センターの宣教師館。宣教師の子どもたちが同年代ということで駒木さんは頻繁に宣教師館に出入りして一緒に遊んだ。その出会いもあり、家族で河内長野教会に導かれクリスチャンとなった。
駒木さんは4歳からヴァイオリンを始めた。大阪音楽大学付属高校、大阪音楽大学を卒業、プロのヴァイオリニストとしてオーケストラで、また独奏者として活躍してきた。仕事が主に土曜、日曜にあるため、なかなか礼拝には出席できない。
1975年に結婚。結婚を機に夫の地元、兵庫県へ移った。4年後に長男を授かり、続いて次男も授かった。しかし試練が襲う。乳がん、子宮筋腫と数年おきに命の危機と不安の中で大手術を経験した。乳がんの手術のときに左腕のリンパ節と胸筋を切除。ヴァイオ……
教団事務局・出版局・年金局の一日は、礼拝から始まる。礼拝は、信徒の友「日毎の糧」の聖書を読み、その日祈る教会・伝道所の課題と共に解放センターや被災地各センターをも覚えて司会者が祈る。礼拝と相まって、わたしは当該教会宛「祈りのたより」を書いて送るのを常とするが、特に、今日の教団各教会ほど祈りの課題の切なること、願いの具体的な重みを身にしみて知らされることはない。
各教会とも、牧師・役員はじめ信徒一人一人が互いを大切に思い合い、同志的結束の強化と主にある兄弟姉妹の支え合いをもって教会の苦境を乗り越えようとしているかには目を見張るものがある。最近ある教会の信徒が代務の牧師を心配して、「先生が遠くから来られるので交通事故に遭われませんように」との祈りがあった。多くの教区に無牧、兼牧、代務の教会が目立つ中、礼拝の確保と教会の充実のために知恵と工夫をこらす群れがある。確かに一教会の教勢を競う……
3月7日、8日、富士見町教会を会場に、宣教委員会主催・宣教方策会議が開催された。主題は「日本基督教団は伝道をどう進めて行くか」。前回の開催予定年(14年)は、東日本大震災国際会議に合流したため4年ぶり、17回目になる。教区、関係神学校、教団各委員会、宣教研究所、出版局、年金局、部落解放センター、自主活動団体、日本キリスト教社会事業同盟、宣教協力学校協議会それぞれの代表者、および教団四役、自主参加者、計83名が出席した。発題、パネルディスカッション、講演、分団、全体協議を行った。
開会礼拝では、一ヨハネ1・1〜4をテキストとして石橋秀雄議長が御言葉を取り次いだ。「伝道が教団にて議論されることを感謝する。伝道理解の違いが一致を崩すゆえ信仰の一致による伝道協力を訴えてきた。教団信仰告白の礼拝と愛の業は一体の関係にある。しかし順序が重要。愛の業が第一の業となるなら教会が疲弊し崩れてゆくの……
パネルディスカッション 全体協議会
発題・講演を巡り活発に議論
1日目、パネルディスカッションでは、ナグネ宣教師が、「伝道の進展」について、「神の国が広がって行くイメージ」と述べたことから議論が始まった。信徒の参加者、木俣努氏から、「伝道が、牧師中心になり、理解できる言葉で神の国が語られていないのでは」との意見があった他、津村正敏氏が、「信徒の役割」について問うた。パネラーから、神の国は躓きと共に、神の働きの中で受け止められること、信徒会の発足による、各個教会を越えた祈りの交わりの重要性等が述べられた。
北紀吉牧師の「紛争中、伝道・宣教が反国家としてのみ語られ、言葉を共有していなかった」との発言に、孫裕久牧師は、「時代の中での必然性がある。一部の主張で全体ではないのでは」と疑義を呈した。北牧師は、「当時は、一部ではなく大勢」、「どちらが悪いということではなく、キリスト主……
第4回宣教委員会は、宣教方策会議が行われた後、3月8〜9日にかけて、富士見町教会を会場に開かれた。
宣教委員会のもとにある常設専門委員会、自主活動団体、「障がい」を考える小委員会の報告などを受けた後、宣教方策会議の振り返りを行った(内容は宣教方策会議の報告記事、および後に配布される報告書参照)。
「日本基督教団は伝道をどう進めて行くか」という主題のもと、4名の発題者、1名の講演者を与えられたが、バランスの取れた人選、またそれぞれの話を聞くことができた。「今後の日本基督教団で伝道に思いを馳せるとき、ふまえておくべき内容となったと言える」。「具体的宣教方策が形作られるには至らなかったが、これをどう受け止めて行くかが課題である」などの意見が出た。その他、不参加の教区や神学校があったのは残念であったことも委員会として共有した。
「牧会者とその家族のための相談室」設置につい……
第4回委員会が2月22~24日に、農村伝道に関する協議会と並行して行われた。協議会は、全国からの参加者の移動を考慮して3日間の日程にし、また真冬の北海道であり、開催まで心配された点があった。しかし、現地の参加者たちが独自に実行委員会をも立ち上げ、多大な協力を得て、天候にも恵まれて、協議会を無事に持つことができた。
伝道委員会の議事として、業務報告及び会計報告を承認した。
また、常議員会報告、東日本大震災救援対策本部報告を受けた。伝道推進室委員会報告、宣教委員会報告、「こころの友」「信徒の友」編集委員会報告、宗教改革500周年記念教会中高生・青年大会実行委員会報告をそれぞれの担当者から受けた。記念大会は、教団の「宗教改革500周年記念事業基本方針」に基づき、2017年度に「教会中高生・青年大会」が行われる。その準備が始まったが、伝道委員会としてもこれに協力する。
ま……
児童養護施設の実践について学ぶ
第4回社会委員会が2月29日~3月1日、金沢長町教会を会場にして開催された。
開会礼拝の後、「キリスト教と社会福祉—児童養護施設における実践から—」と題して、虹釜和昭氏(北陸学院大学教授)を講師として招き、学びの時を持った。虹釜氏は金沢市にある梅光児童園の施設長をしていた方である。
児童養護施設で暮らしているこどもたちの家族背景や、課題について、また梅光児童園の施設の特色と課題について、パワーポイントを用いて説明した。
特に虹釜氏は「愛着」について語った。柔軟性は愛着によって形成されるものであり、愛着の未形成によって、さまざまな障がいが考えられる。親から得ることの出来なかった感情が職員との間で行われる。そのことの背景や支えにキリスト教が必要と語られた。講演後には、質疑や意見が出され、話し合われた。
その後開催された委員……
今総会期4回目の協約関係合同委員会が3月3日に教団会議室で行われた。
【台湾】
1月21日から3ヶ月の間、台湾基督長老教会(PCT)の蘇貞芳宣教師が来日し、今夏からの埼玉中国語礼拝伝道所への派遣準備に当たったことが冒頭に報告された。
PCTの教職が「中国語(北京語)」を主として語る会衆のもとに遣わされることは、PCTの歴史、また、台湾の歴史、とりわけ台中関係史を語る上で大きな出来事である。まさに神のなせる業であるが、そのことをめぐって関係者が丁寧に準備を重ねてきたことも併せて報告された。その他、青山学院女子短大と学生キリスト教友愛会(SCF)の台湾スタディーツアーや、アジアリーダーシップ会議についての報告、加藤誠幹事による林田義行宣教師(高雄日本語教会)訪問などの報告を受けた。
また、8月に台湾で開催予定の教会協議会について確認した。
尚、教育委員会との……
2月21日に伝道推進室北陸大会が開催された。
伝道応援として各地の教会の主日礼拝に説教者が派遣された。説教者の派遣先の教会は以下の通り。富山新庄教会、富山鹿島町教会、福野伝道所、金沢教会、金沢長町教会、小松教会、桜木教会、若草教会、内灘教会、恵泉教会、羽咋教会。
同日午後2時半から金沢教会を会場にして北陸大会が開かれた。富山・石川・福井の北陸3県の諸教会から主にある兄弟姉妹たちが参集し礼拝堂は補助椅子を出すほどの参加者で熱気に溢れた。開会礼拝の説教者北紀吉牧師は「収穫は多いと主が約束しておられるのだから祈り求めよう。主は祈る人を伝道に用いてくださる」と語った。
礼拝後は加藤常昭教師による講演会で、主題は「創造力と想像力に満ちて出て行く伝道」。讃美歌379番「見よや、十字架の旗たかし」を取り上げ、キリストのために戦う歌を心に刻もうと語り始めた。キリスト者として戦争を……
2月29日から3月1日にかけて、広島教会を会場に第52回西日本5教区合同宣教研究協議会が行われた。今回は、西中国教区の担当で、テーマが「広島戦後70年の歩み」であった。東中国教区、四国教区、九州教区の宣教研究または教師部の委員会の代表者と教団総幹事の参加があった。
西中国教区宣教研究会委員・武田真治氏による開会礼拝に続き、本竜晋委員長より今回のテーマの発題があり、「第2次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」の実質化に向けて西中国教区が行ってきたこととして、清鈴園をはじめとする西中国キリスト教社会事業団の成り立ちを紹介。それに続き、西嶋佳弘西中国教区総会副議長より、広島キリスト教社会館について、戦前からの歴史、戦後の歩み、教区との関わり、現在の活動状況と詳細な発題がなされた。
西中国教区は、地域への福祉を教会の社会的責任を果たす使命として取り組んできた。当時の「……