12月1日、第17回日本基督教団と在日大韓基督教会との歴史共同研究委員会が教団会議室で開かれた。両教団の宣教協力の一環として年3回開催されている本委員会では、毎回発題者を決め、互いの教団の歴史や日韓・日朝関係史を学び合い、人権問題や歴史教育問題、ヘイトスピーチの問題などについても論じ合ってきた。今回は山田貞夫委員(西方町)による「高麗博物館のはたらき」というテーマでの発題と討議がおこなわれた。
新宿区大久保にあるNPO法人高麗博物館は、市民がつくる日本・コリア交流の歴史博物館として、2001年に開館した。博物館の目的は、①日本とコリア(韓国・朝鮮)の間の長い豊かな交流の歴史を、見える形で表し、相互の歴史・文化を学び、理解して、友好を深めること、②秀吉の2度の侵略と近代の植民地支配の罪責を反省し、歴史の事実に真向い、日本とコリアの和解を目指すこと、③在日韓国・朝鮮人の生活と権利の確……
教師転入・宣教師受け入れの課題を協議
日本基督教団と在日大韓基督教会(以下KCCJ)とは、宣教協約を結んでいる。毎年6月には湯河原にて、両教団の代表者による協議会を開催し有意義な交流の場となっている。
今年の協議会で話された事柄の一つとして、(KCCJからの)「転入審査」があげられた。それを受けて、教団とKCCJとの間で「教職者人事に関する協議会」を設けることが決定された。
構成メンバーとして、教団からは、雲然俊美(教団書記)、長崎哲夫(総幹事)、加藤誠(世界宣教担当幹事)、道家紀一(教師・教師検定担当幹事)、KCCJからは、金性済(KCCJ名古屋教会牧師・総会長)、李根秀(KCCJ大垣教会牧師・機構改革委員長)、鄭然元(KCCJ大阪教会牧師・宣教委員長)、金柄鎬(KCCJ総幹事)を選出した。
第1回目の協議会は、9月8日、2回目は12月8日に行われた。2回にわ……
柳谷 明氏(隠退教師)
15年11月15日逝去、80歳。青森県生まれ。61年東京神学大学大学院卒業。同年より山形六日町、大船渡、八戸柏崎、山形六日町教会を経て、11年に隠退。
遺族は妻・柳谷迪子さん。
ガートルート・サラ・ビゲローは、1860年5月17日、ニューヨーク州に生まれた。
1883年、ミス・ビゲローは、ハミルトン・レディース・セミナリーを卒業後、地元の学校に勤務していた。その頃、帰国した宣教師が日本伝道について話した後、「だれかこの中で東洋にキリスト教を伝えるために献身する方はいないでしょうか」と呼びかけた。この呼びかけに応えたのが若き日のミス・ビゲローである。日本に赴任するために1886年9月、ニューヨーク州の試験を受け、中等学校教師の免許状を取得。1887(明治20)年、来日。26歳であった。1888年、長老教会教育宣教師として新榮女学校に着任した。新榮女学校は、築地居留地六番地にB六番女学校、その後、居留地42番に移転し新榮女学校、その後、櫻井女学校と合併して女子学院として開校する。ミス・ビゲローは着任の1年後、新榮女学校長に昇任。1890年に辞任し、北陸女学校……
清水さんは、日本基督教団のいくつもの教会に育てられた。母の胎内にいるときから弘前南教会に礼拝出席し、高校1年生から現在に至るまで5つの教会で奏楽奉仕を務めている。
大学入学後、長野本郷教会に礼拝出席し、大学4年生のイースターに洗礼を受けた。「受洗にあたり、聖書のことをもっと知らなければいけないと思ったが、牧師先生から『ここからがスタートだ』と言われて、これでいいのだ、一生、神様について行きたい、社会に出る前の不安の中、守っていただきたいと思った」という。
その後、東京の会社に就職すると共に野方町教会に転入会し、4年間、楽しい青年会時代を過ごした。
2000年3月、牧師の司式により、大学で出会った青年との結婚式を挙げた。
結婚後は、新居近くの滝野川教会に転入会、2005年の春から聖学院大学キリスト教センターに就職した。「主に用いていただいている感謝と共に、キ……
晩秋の或る主日夕、東京・永福町に幼稚園の持続を断念して、その敷地を売却し、瀟洒な会堂・集会室・牧師館のみを新築をした永福町教会の献堂式に出席した。教会は、地域に次第に少数化する幼児の実情と教会幼稚園としての経費に徒ならぬもの有りと判断して廃園の決断をしたのだ。ところがそれに異を唱える保護者と卒園者ら3000余名の人々の猛烈な反対署名運動が起こった。それらの動きに呼応して教会を離れた信徒も数名はいた。教会に戦後都内から現在地に移転した経緯があり、合わせれば130年を越す重厚な教会史と格式を有しつつも現在地で70年近く継続させた幼稚園経営によって、地域は教会というよりも、「小羊幼稚園」の呼称で親しまれたのも確かだ。そのために、歴代の牧師・園長は相当の努力をもって必要な教育を些かも恥じることなく行った。わたしは、幼稚園付教会に赴任したことはないが、それらの報告を聞きながら、思うことが幾つかあっ……
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださ……
12項目にわたる共同声明を決議
ヘイトスピーチをのりこえ、共生の天幕を広げよう」と、11月18日から21日にかけて、在日大韓基督教会主催、第3回「マイノリィティ問題と宣教」国際会議が、教団やNCCなどが共催して、東京・在日本韓国YMCAを会場に133名が参加して開催された。教団からは石橋秀雄議長を始め、約30名が参加した。
在日コリアンをはじめとするマイノリティ(社会的に弱い立場に置かれている少数者)に対する差別・排外主義的な主張や「死ね、殺せ」といった言葉によって人種的憎悪や民族差別を扇動して恐怖や苦痛を与え続けるヘイトスピーチ(憎悪表現・差別扇動)などが生み出され、放置されている日本の現状が特に問題とされた。
金性済在日大韓基督教会総会長による聖書研究では、①イスラエル共同体の中の「寄留者」(受け入れられ、保護されるべきよそ者)という存在と、②アブラハム、モーセ、ま……
東京教区東支区・伊豆諸島伝道委員会(委員長・竹井真人波浮教会牧師)が11月10日に銀座教会にて行われた。今回は「伊豆諸島伝道と離島教会交流」を主題とし、教団伝道資金を活用して伊豆諸島以外の離島教会から代表者が出席する懇談会となった。
出席者は、伊豆諸島にある三宅島伝道所、大島元村教会、波浮教会、新島教会、八丈島教会から11名の教職と信徒、東支区内の諸教会から30名、南支区内から3名、西南支区内から2名、北支区内から3名、千葉支区内から1名、さらに四国教区の多度津教会と内海教会、西中国教区の隠岐教会、関東教区の佐渡教会、沖縄教区の与那原教会、在日大韓基督教会の対馬伝道所の教職、信徒、在日大韓基督教会金柄鎬総幹事と合せて59名となった。
新島教会の小橋孝一牧師が開会説教「海の島々、地の果てから」(イザヤ書42章10~13節)の中で、本懇談会での交わりに他教区の離島教会を招くに……
11月6日、第3回広報センター委員会が教団会議室で開催され、委員長・長崎哲夫総幹事が開会祈祷を捧げた。出席者は同総幹事、大三島義孝(教団ホームページ)、渡邊義彦(教団新報)、真壁巌(救援対策本部広報)、林牧人(信徒の友誌編集長)、市川真紀(教団出版局、信徒の友誌)、川上善子書記(教団ニューズレター)で、教団の広報を担う部門の情報交換の場である。委員会は2007年4月に再編再開され、教団新報編集委員会、教団ニューズレター編集委員会、教団ホームページ編集担当者と各担当幹事が、総幹事のもとに招集されて始まった。さらに東日本大震災後の2011年7月に救援対策本部広報担当者が、翌年10月からは教団出版局の局長並びに信徒の友誌担当者も加わった。
各部門は独自の媒体としての編集方針を持ち、購読形態や読者層、発行部数と発行間隔も異なるが、分かち合える諸課題がある。開催は不定期だが、東日本大震災後……