橋本 通氏(隠退教師)
13年7月10日逝去、91歳。兵庫県に生まれる。東部神学校に学ぶ。46年住吉教会に赴任、大阪長野教会、富田林教会、河内長野教会、千里教会、千里ニュータウン教会を経て、03年まで北大阪真愛教会を牧会し、隠退した。
遺族は息・橋本満さん。
藤井俊夫氏(隠退教師)
13年12月5日逝去、74歳。大阪府に生まれる。65年同志社大学大学院を修了。同年鳥取教会に赴任、小山教会、堅田教会、松山城北教会、諫早教会、水口教会、青谷教会、倉吉教会を経て、00年まで津山教会を牧会し、04年隠退した。
遺族は妻・藤井純子さん。
関 茂氏(隠退教師)
13年12月28日逝去、77歳。東京都に生まれる。60年日本聖書神学校を卒業。同年北千住教会に赴任、下ノ橋教会を経て05年まで千葉南教会を牧会し、同年隠退した。
遺族は……
石川一雄さんは、どう考えても無実です。しかし今も“殺人犯”という罪は晴れていません。そして事件発生から50年が過ぎました。とても悲しく、残念に思います。「部落差別にもとづく冤罪」など、決してあってはならないことがおこりました。そんな中にあっても一歩ずつ自分の人生を生き、あきらめないで妻・早智子さんと暮らしている姿が映り、感動をおぼえます。今年の1月2日、石川さん夫妻は朝10時に大阪釜ヶ崎の三角公園に来られ、大勢の人の前で、支援してくださる方への感謝と「再審」の訴えを力強く話されました。もう1月2日から活動している石川さんを見、聞き、感動を覚えました。また、多くの人の証拠開示要請により、ようやく50年近く経って検察庁は証拠開示を行ってきました。そのことにより弁護団は裁判所に無実を明らかにする新証拠を提出しました。そのようなことを考えますと、いよいよ大詰めを迎えた感がします。
センタ……
《米国美普教会の海外宣教》
横浜英和学院は1880年ブリテン女学校として米国メソジスト・プロテスタント教会によって創立された。この教派は美普(みふ)教会と呼ばれ、1828年に米国メソジスト監督教会から分離独立した小規模な教会であった。教会政治、立法の権限がすべて教職にあるとするメソジスト監督教会のあり方に反対し、教職も信徒も平等で監督や長老を設けずに教会政治を行う教会として成立した。
小教派である美普教会は独自の海外伝道を行う組織を持っていなかった。しかし、米国婦人一致外国伝道協会に参加し協力していた。その中にE.ガスリーがおり、1868年に米国婦人一致外国伝道協会からインドに派遣されていた。ガスリーの父は改革派長老教会の牧師であったが、彼女は美普教会の会員であった。カルカッタのミッション・ホームでH.G.ブリテンと共に働いていたが気候が合わず体調を崩し帰米することになった。1……
1937年、広島女学院高等女学部に入学し、「聖書の時間」の授業で、恩師である岡部先生から言われた次の一言が忘れられない。「これからの人生で何かにぶつかった時、必ずこの時間を思い出しますよ」。
卒業後、医学部を目指し名古屋に移住。現名古屋市立医大に入学。その生活の中で、1945年、広島に原爆が投下された。友人、知人と全く連絡が取れない中、翌年12月に広島に向かった。瓦礫の山。訪ねた人々は皆亡くなっていた。そう声を詰まらせながら語られた。1947年、名古屋桜山教会にて洗礼を受けた。
医師免許取得、そして結婚。明治から開業医を務める山形の音山家へ嫁ぐ。医学博士号を取得し、様々な医療行政関係にて活躍をした。しかし女性が社会進出するのが困難な時代、苦労も多かったと言う。特に1965年、山形県初の女性保健所長となった山形県南陽保健所長時代は忍耐を重ねて来たが、一度だけ、男性職員に大声……
東日本大震災国際会議(仙台・東北学院大学)のために実行委員会が立ち上げられてから1年が経ち、開催まであと2カ月を残すのみとなった。教団がこの種の国際会議を主催するのは初めてのことで、はたしてできるのかどうか、当初不安があった。しかし、1年かけて準備をする中で、道が開けてきた。現時点で、参加者は海外から50名近く、全体で200名近くの会議となる見込みである。
この国際会議は、東京電力福島第一原子力発電所事故の問題を正面から取り上げる。これは、我々にとって大きな挑戦である。しかしこれは、被災者支援活動の中から出てきた必然であると考えている。地震、津波の被災者に対しては、なんとか支援の手をのばすことができたが、原発事故による被災者に対しては無力感を味わった。問題があまりにも巨大だからである。
これに対して我々ができる良いことは、海外の諸教会と力を合わせて国際会議を開き、メッセー……
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして その民を喜び楽しむものとして、創造する。《イザヤ書65:17~18》
極めて良かった
新しい年の歩みが始まった。この新しい年の初めに「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する」(イザヤ書65章17節)との御言葉が示される。
創世記1章で神の「天地創造」の業がなされたところで「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1章31節)と、このように記されている。「極めて良かった」天と地がなぜ再創造されなくてはならなかったのか。
それは、私たちが神の前に生きる存在であることを忘れ、自分の喜び、自分の楽しみのみを求める存在……
このクリスマスの祝会にはハンドベルを演奏させてもらう機会があった。一番低いベル一音だけを楽譜どおりに打ってゆく。もともと楽器は得意なほうではない。冷や汗ものだった。音を楽しむにはほど遠かったのは確かだが、皆で音を合わせひとつの音楽を作ってゆくことの楽しさはいくらかでも経験できたように思う。▼聖夜礼拝では高校生のハンドベル演奏を聴いた。良く訓練され練習を重ねてきた成果は見事なものだった。ところがハンドベルチームを指導する教師は、生徒たちがもっと音楽を楽しんでくれるといいのだが、と言っていた。高みに近づけば、またそれは大変になるということであろう。▼一方、子供たちの素朴なクリスマスページェントに、主の御降誕が十字架へと繋がってゆくことを聴き取った大人たちもいた。子供たちとて小さな心を緊張させて降誕劇に臨んだはずである。けれども、その子供たちの素直な言葉に、歌に、この季節覚えるべき大切なメッセ……
第38回総会期第3回宣教委員会は11月11日〜13日の日程で開催された。今回は地方教会の宣教の課題を共有し祈りを合わせるという趣旨で四国教区南予分区・高知分区の諸教会・伝道所を訪問した。
初日、四国教区伝道協議会に出席、張田眞委員長が挨拶した。八幡浜教会が開拓に取り組んでいる三崎町へ移動。翌朝、集会場として用いられている「たちばな旅館」にて森分信基牧師より伝道報告を受けた。
八幡浜教会へ移動し、信徒たちも交え教会幼稚園の働きを含む宣教の課題に祈りを合わせた。その後、知花龍磨牧師が代務を務める伊予吉田教会へ。信徒1名でも教会を閉鎖することなくこの地に福音を灯し続け、現在4〜5名で礼拝を守る。教区互助を受給しつつも教師を代務者として送り出している三間伝道所(知花龍磨牧師)へ向かい、90歳を超える姉妹の教会を支える熱き祈りと証しに宣教委員会は皆、小さくない感銘を受けた。
……
第38総会期第4回教師検定委員会が、11月14日、教団会議室において、委員6名の出席(欠席者1名)によって行われた。
聖書朗読と渡部和使委員長の祈祷をもって委員会は開始された。
おもな議事は、2014年春季教師検定試験に向けたものとなった。
まず申請のあったコース認定・課目認定を行った。そののちに、教師検定規則第4条3号対象者の科目認定が時間をかけて行われた。
またこの委員会で、「教師検定試験受験の手引き」の改訂を終えることができた。特に大きな内容の追加や変更はないが、受験する者にとってより使いやすいものとなった。受験者はよく読み、試験に臨んでもらいたい。
また、「教師検定規則第6条⑥実施に関する件」も審議された。実施に際して、具体的にどのように行うか、その内容と日程が協議され、決定した。
2015年春季教師検定試験から実施されるので、神学……
2013年12月、震災より2年9ヶ月が過ぎた。現在もなお避難している人々の数は、28万人を数える。28万人という数字は、中核市(人口30万人以上)には及ばないものの、特例市(人口20万人以上)をはるかに上回る数字であり、東北6県の県庁所在地と比較すれば、山形市の住民(25万人)全体が避難するより多くの人々が仮設住宅等での生活を今も続けている現実を意味している。
教団救援対策本部では、昨年に続き今年も又、仙台、石巻、遠野の各センターが主催して被災地でのクリスマス集会を行った。以下、その報告である。
【エマオ仙台・エマオ石巻】
12月10日〜12日にかけて、七郷中央公園仮設、荒井7号仮設、荒井2号仮設でクリスマス昼食会を行った。参加者は、計31名であった。
さらに12月21日には、七郷中央公園仮設でクリスマス集会(25名参加)を行った。仮設自治会からの挨拶に続き、エ……