第六〇回奥羽教区定期総会が、五月二四~二五日、盛岡市の奥羽キリスト教センターにて開催された(開会時の出席は正議員一一五名中一〇六名)。
開会礼拝後、組織会、議事日程の承認、新任教師紹介(教区外から三名)、総会委員選任、さらに来賓の紹介がなされた。
総会委員等の選任の後、森分和基教師(宮古)よりの按手受領願い、さらに、丸田久子氏(秋田飯島)および高橋潔氏(柴宿)よりの准允受領願いが審議され、三教師それぞれに満場一致で承認された。その後直ちに、按手礼式並びに准允式が執行され、議場全体が大きな喜びに包まれた。
休憩の後、議事に入り、議長報告ほか諸報告が順次なされた。議長報告に関しては、地方(教区)における課題を踏まえた報告であるとの評価のほか、核燃料サイクル問題への取組みのあり方等教区の宣教姿勢に対する異議、二種教職制についての教区としての見解への問い等、意見や質問が多く出された。
この……
五月二九日から三十日にわたって、第十三回西東京教区定期総会が国分寺教会において開催された。横山幸夫牧師の説教による開会礼拝の後、議員総数二百二名中百三十名の出席が確認され、開会が宣言された。准議員承認、組織会、議事日程承認と続き、教団問安使山北宣久教団総会議長の挨拶を受けた。議場からは、「セクシュアル・ハラスメント問題」について言及がないことや「合同のとらえなおし」について説明不十分であるとの指摘がなされた。また、挨拶文中の「正しい聖礼典執行」について、議場から質問がなされ、議論が交わされた。
村田元関東教区副議長による新潟中越地震被災支援感謝の報告をはじめ来賓挨拶の後、議事に入った。教区議長報告についても様々な質問が議場からなされた。沖縄との交流ツアーが実行できなかった点について、久山康平議長は、信徒による交流を重んじて計画を進めたが、調整が難しかったと答えた。また、教団総会の報告がな……
「今総会は地震総会と心得ている」。飯塚拓也書記の発言がいみじくも、この総会の全てを物語っていた。五月三一日、六月一日の両日、大宮ソニックシテイーを会場に、正議員二六四名中、開会時一五六名の出席を得て開催された第五五回関東教区総会は、その時間も関心も、大方、洪水・地震・雪害についての報告、今後の対応に関する議論に向けられた。
議案の審議に先立つ、プロジェクターを用いての被災支援報告では、被害の根深さを再認識させられた。「雪掘りとは、悲しみを掘り出すこと」というナレーションが耳に残った。また、六日町教会の新井純牧師は、ボランティア活動発足時を回顧し「私たちの思いを超えた方が、一人ひとりを活かして用いられ、私たちを通して働かれる。一人ひとりの背後に神がおられる」と、災害支援によって生まれた地域社会との連帯・信頼関係、同労者・諸教会への感謝を述べた。
「『新潟県中越地震』被災教会・被災地支援推……
▼火のような猩々緋の服折を着、唐冠纓金の兜を被った『槍中村』の姿は戦場の華、敵にとっては脅威、見方には信頼の的であった。▼筒井との戦、初陣に臨む主君筋の若武者に請われ、中村新兵衛は服折と唐冠を貸し与える。若武者は『槍中村』の形に脅える敵兵相手に、存分な働きを見せる。一方、黒皮縅の冑、南蛮鉄姿の新兵衛は、二番槍の駒を進める。敵は猩々緋の恨みを黒皮縅に復讐せんとばかり猛り立つ。▼いつもは虎に向かう羊のような怖気が、敵にある。勝手が違うと感じた新兵衛は平素の二倍もの力を振るった。しかし、兜や猩々緋を貸した後悔が頭をかすめたとき、槍が縅の裏をかいて彼の脾腹を貫いていた。▼昼ドラ『真珠夫人』で久しぶりに脚光を浴びた菊池寛の『形』、元々文庫本三頁の掌編を更に要約する愚を犯しても、紹介したかった。▼形か内容か、信仰的にも永遠のテーマだろう。内容のない形は空しい、しかし、形無くして内容は盛れない。ところで……
第七九回東海教区定期総会は、五月二四日~二五日、翔峰(松本市)を会場に開催された。正議員一九四名中一六五名出席。
議事冒頭の教区議長報告、教団問安使の竹前昇総幹事挨拶に続いて、教区議長選挙が行われた。今回は議長、副議長、書記の三役が東海教区規則内規の多選禁止にかかり、伝道委員長を含む教区四役の顔ぶれが一新した。新議長には北紀吉(愛宕町)、副議長に山本将信(篠ノ井)、書記に栗原清(岩本)、伝道委員長に小出望(静岡草深)の各氏がそれぞれ選出された。
また本教区総会にて、篠ノ井教会設立に関する議案が上程され、満場一致で可決された。篠ノ井伝道所は、一九六一年四月に設立。二〇〇四年三月に現住陪餐会員数が三〇名となり、同年九月一二日に開催された臨時教会総会において、第二種教会申請を決議した。篠ノ井伝道所の役員は、これまでの経緯を涙と共に報告し、教区総会にて教会設立に関する件が可決されたことに対する……
第五九回沖縄教区定期総会は、五月二九、三〇両日、ぎのわんセミナーハウスを会場に、開会時正議員四六名中三七名が出席して開催された。
昨年に引き続き、問安使を拒否した今総会で山里勝一議長は、教団との関わりに「しばらくの間距離を置く」ことを議長報告で改めて確認し、「将来教会検討委員会」が合同のあり方を鋭意検討していると述べ、「合同は誤りであったと総括出来れば良いと思っている」とつけ加えた。
もう一つの重要主題は、沖縄キリスト教センター(以下センターと略)問題で、総会の大半の時間が割かれ、三役・常置委員選挙の行われない今総会はセンター問題一色だった。
03年、センターの宿泊業務が違法との当局の指摘を受けて以来、宿泊業務を中止し、事業運営検討特別委員会が昨年九月、「維持、機能縮小、売却或いは賃貸、いずれを選択しても、赤字は不可避」との答申を出した。
この答申を受けて常置委員会は、「センターの……
「正しい聖礼典」各教区で議論に
教区総会報告特集号第三集をお届けする。神奈川教区を除いて、ほぼ全教区の総会を終えた。例年関心が集まり議論沸騰する諸課題は、今年も各教区を横断して全教団的な議論となった。その一方で、従来はあまり表面に出て来なかった問題、各教区固有の新しい課題が浮き彫りになっている。
「先生、牧師さんになるにはどうしたらよいですか」と聞かれた。刑務所で教誨を行っているときである。
月に一度、刑務所に出かけ、キリスト教を希望する皆さんと聖書を読むひとときを持っている。まず三〇分間は聖書を輪読し、簡単な説明を行う。その後の三〇分は懇談の時としている。読んだ聖書について、キリスト教全般について等の質問がある。牧師への道の質問は、何よりも教会に行き、信仰生活を始めることであると答えたが、教誨を受ける皆さんにとって、そんなに牧師の姿がよいのであろうか。教誨の時間ではなるべくお話しができるようにしている。服役中私語は禁じられているし、ましてや歌などうたえない。讃美歌は間違えても良いから大きな声で歌うように促している。「今月末に出所します。今まで良いお話をありがとうございました」と丁寧に礼を述べる人もいる。社会復帰し、主の道を歩むことを祈る。
この刑務所は十人の教誨師がいるが、神……
自分の信仰が豊かにされた
阿佐光也さんと盲人伝道協議会の関わりは、小学生時代に遡る。全盲の父に連れられて、夏の全国修養会に遊びに行ったのが最初だった。住まいも盲学校の中。盲人がいるのが普通の生活だった。三〇歳を過ぎて信仰を持ち、献身した。在学中に主事として盲伝で働くようになる。視覚障害者の伝道に関わるというより、仲間と再会し、一緒に活動する気持ちだった。
現在、盲人伝道協議会は「教会が本来担うべき仕事、信仰教育や教会生活のケアを行っている」という。日本の視覚障害者教育は、盲人キリスト者達に先導されてきた。戦後、ヘレン・ケラーの援助を受け、盲人キリスト信仰会、NCC、日本基督教団の協議によって盲人伝道協議会が成立、現在維持会員は四五〇名。文書伝道、盲人同士の交わりや晴眼者との相互理解を深める場を提供してきた。特に旧約聖書に関しては盲人達が自分達の手で発行したという歴史もある。新共同訳……
★新刊から
『象徴天皇制と人権を考える』〈今村嗣夫=著〉今、日本では、憲法を「改正」して、戦争の出来る国にしようとする動きがある。日本国憲法と皇室典範との矛盾点や大日本帝国憲法との相違点を指摘し、日本国憲法の大切さを訴える。A5判・六四頁・九五〇円
★重版から
『傷ついた癒し人-苦悩する現代社会と牧会者』〈H・J・M・ナウエン=著、西垣二一・岸本和世=訳〉四六判・二二四頁・二〇〇〇円