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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

教団新報:一覧

【4572号】人ひととき 堀江悦男さん

2005年2月19日
恵まれた道を行く隻腕の設計技師 不慮の事故で利き腕を失って三〇年余り。人に知れない労苦も当然あろうが、「大きな障害や問題もなく、ただ恵まれた道を一所懸命に歩んできた」と、隻腕の設計技師堀江悦男さんは振り返る。 幼い頃、絵描きになるのが夢だった。しかし、周囲の人々の助言もあり、より現実的で絵描きの賜物も活かせる建築設計技師への道を選んだ。画家への夢と賜物は、創造的なデザイン・設計に存分に生かされ、やがて大きな建築設計を担当する機会が巡ってきた。 さらなるステップへのチャンスと、打ち込むのが当然だった。積み重なった過労は、いつしか限界を超えていた。朝の出勤時、駅のホームに立ちながら意識を失い、線路に転落した。ちょうど電車が入線してきたが、たまたま体が線路の間に入り、九死に一生を得た。ただ、命と引き替えに、大事な利き腕を失った。設計技師としては致命的だ。希望から絶望への転落となってもお……

【4572号】ボランティア活動報告 西東京

第34回教団総会の折に、関東教区から「新潟県中越地震被災支援センター」を立ち上げたので、各教区に献金とボランティアの協力の要請がありました。西東京教区では、関東教区からの協力の要請をそのまま教区内の諸教会に伝えました。 しかしその後間もなく、「西東京でまとまってボランティアを派遣した方がより実際的な協力ができるのではないか」という意見がだされ、「新潟県中越地震被災支援委員会」を教区内に作り具体的な検討に入りました。 東京教区西支区時代のことになりますが、阪神・淡路大地震の時に、二ヶ月近くボランティアを送ったことがあり、その当時参加した人々からも意見を聞き、関東教区及び十日町教会とも連絡を取りつつ計画を進め、十一月の第二週から十二月十一日までの四週間、十日町教会のボランティアセンターにウィークデイを中心に派遣することになりました。 教区諸教会に呼びかたところ、教職・信徒合わせて十五名が……

【4572号】牧師のパートナー

健やかな時も病める時も 中条 鈴枝 (盛岡市・内丸教会員) 「みちのくは花盛りなり、君ら得て」と奥羽教区に温かく迎えられた。故浅野順一先生のご紹介でチリ地震津波後の港町大船渡で、開拓伝道に勤しむ牧師に嫁いだ。 故荒井源三郎先生は、「地方の伝道は台所教会、家内工業である。九九パーセントは夫人の力による。しかし牧師の一を加えて百パーセントになることを」。中山年道先生からは、「牧師夫人程、悪魔になるか、天使になるかの選択を日々求められる人はない」と大先輩の伝道者から頂いた心構えを胸に秘めて。 開拓伝道の幻を共にして、新居は礼拝堂であり、集会室であった。教会学校の生徒は溢れ、若者達は深夜まで、人生、神を語った。伝道所が生まれた事を知った人々が、牧師を訪ね、出入の多い日々を送った。 「二匹の魚と五つのパン」の奇蹟、スリルに満ちて、オサンドンに専心した。いろいろな補いの必要から英語塾に……

【4572号】消息

宮内俊三氏(隠退教師) 十一月十二日、逝去。九七歳。大阪府に生まれる。一九三一年日本神学校を卒業後、岩沼教会、小田原十字町教会、横須賀小川町教会、日本聖書協会等を経て、七四年から隠退する九六年まで浄風教会を牧会した。遺族は次女の明子さん。 児玉浩次郎氏(隠退教師)                                                            十二月七日、逝去。九五歳。宮崎県に生まれる。一九三九年同志社大学神学科卒業後、桐生東部教会、土佐教会を経て、五八年から七八年まで神戸教会を牧会し隠退した。その後、三木市にて開拓伝道に従事した。遺族は妻の寿美子さん。 黒田英彦氏(隠退教師) 十二月二九日、逝去。七一歳。兵庫県に生まれる。一九六二年関西学院大学神学部卒業後、神戸栄光教会に赴任。直方教会、御影教会を経て八一年から二〇〇二年まで三原教会を……

【4572号】教区コラム 千葉支区

千葉支区の課題と楽しみ 内田 汎 千葉支区には六二の教会・伝道所があります。大変乱暴で大雑把なくくり方ですが、以下のようにその開設状況をまとめることができるかもしれません。 日本基督教団成立までに十八の教会が設立されていました。ちなみに一八七九年に千葉教会(創立一二五周年)が開設され、創立百年を越える教会が十一あります。 第二次大戦後、一九五〇・六〇年代に二〇の教会が開設されました。東総分区、北総分区の農漁村部です。 七〇・八〇年代に二一の教会が開設されました。高度成長期の千葉県に呼応するように総武線、常磐線沿線、千葉内房分区、東葛分区です。 ここにもう一つ新しい動きが起こりました。一九九七年南房伝道所が開設され、その後長浦伝道所(〇二年)、君津伝道所(〇三年)が開設され、〇四年度内にはもう三つの伝道所の開設申請、申請準備が進められています。 首都圏への通勤可能な土地に次々……

【4572号】インドの宣教と奉仕のために 三浦照男宣教師派遣式

三浦照男宣教師派遣式が一二月二七日に教団会議室で山北宣久議長の説教、上田博子宣教幹事の司式により執り行われた。 三浦照男氏は、インドのアラハバード農業大学継続教育学部の学部長として一〇月一日付で、すでに赴任しており、一時帰国中に派遣式が行われた。 前任者の牧野一穂、由紀子宣教師夫妻が九月三〇日に四〇余年に亘る宣教の業から退任した後を受けての赴任である。三浦氏は、フィリピン国立大学ロスパニョス校で農業教育を、また米国カンザス州立大学大学院で社会学を修め、アジア学院の副校長等を歴任している。現在インドでは、政府の方針により、キリスト教の宣教師という資格では事実上入国できない状態にあり、三浦氏の働きは北米やヨーロッパの教会からも注目されている。 派遣式では、山北議長がインドの教会がインドの宣教と奉仕のために最も必要としている働き人を、教団が送り出すことの出来る幸いを述べた。 派遣式後にも……

【4572号】「部落解放の祈りの日」運動展開 部落解放センター運営委員会

第34総会期第一回部落解放センター運営委員会が教団会議室にて一月一一~一二日開催された。前教団部落解放センター主事の角樋平一さんが昨年九月二六日に逝去されてから最初の運営委員会ということもあり、はじめに皆で角樋さんを偲びつつ開会礼拝の時をもった。「部落解放・人間解放」のために全力を捧げ尽くされた角樋さんの遺志を継いでゆこうとする運営委員会の仲間たちにとって、新たな気持ちに立たされた委員会の始まりとなった。 委員会では、「教団部落解放基本方針」具体化の一つとして前総会期に決議した「部落解放の祈りの日」運動についての報告が各教区よりなされた。七月第二主日を「部落解放の祈りの日」として覚えながら様々な部落解放への取り組みがなされたこと、そして何よりも主日礼拝の中で部落解放を願う祈りがささげられたこと等々を知った。今年も七月第二主日を「部落解放の祈りの日」と定めて、昨年以上の多くの教会・伝道所で……

【4572号】担う課題を共有 教師委員会

第34総会期第一回教師委員会が一月二一日午後一時三〇分から七時まで教団会議室において開催された。 今委員会は、第34回総会で委員会の減員が可決されたことを受けて二名減の委員が招集された。委員は、軽込昇(招集者)、久山庫平、小宮山剛、田中かおる、松井睦、宮本義弘、吉武二郎の七名であった。 最初に委員会組織が行われ、委員長に軽込昇、書記に宮本義弘が選出された。 続いて、前委員会からの申し送り事項が確認され、教師委員会が取り扱い担う課題が新委員においても共有された。しかし、教師委員会が取り扱う事項は、教師養成、育成、研修、人事交流、戒規に関するものであるが、その具体的項目は二十項目以上にも亘る。前委員会でも多くの課題が取り扱うことすらできないでいた現状を受け止めざるを得ず、今委員会の課題の一つとなった。途中で竹前昇総幹事の挨拶を受け、経費削減などの課題を受け止めてほしいとの申し出があった。……

【4572号】三宅島伝道所の集い 避難指示解除を目前に

岐路を迎える避難島民の礼拝 礼拝と交わりの場 「やあ今日は」 「お元気でしたか」 こんな挨拶をかわしながら第一四回「三宅島伝道所の集い」が一月一五日の土曜日、三崎町教会において開かれた。二〇〇〇年九月二日の全島民避難以来この集いを持って今日に至っている。今回は二月一日の避難指示解除を目前にしての集いだ。 避難当初いくつかの教会を会場としたが、ここのところはずっと東京ドーム近くの三崎町教会を借用している。目下伝道所関係者は都区内各地の他に神奈川や埼玉といった広域に居住している。足の便のよい教会は有難く、またいつも温かなもてなしを頂き感謝をしている。 四年半前、三宅島雄山噴火に伴う避難に際して東京教区東支区は「三宅島雄山噴火被害救援委員会」を立ち上げ救援に当たることにした。教団社会委員会に依頼し義援金を呼びかけて頂く。これは三宅村や伝道所関係者に見舞金として届けられつつあり……

【4572号】神は私たちの中に生きて働かれる 新潟県中越地震被災地から

復興の歩みはこれからが本番 ひとり祈りを捧げる ホームセンターの駐車場で、仮設住宅に入られた近所の方にばったり出会った。「住めるところがあるだけでもありがたいと思わなければ」そう話される一方で、なかなか落ち着かない仮設暮らしのご苦労や、待ち受ける生活再建の厳しさが話のあちこちにこぼれ、程度の差はあるものの被災によって負った一人一人の重荷がいかに重く、そのことを踏まえた上で共になす復興の歩みはこれからが本番なのだという思いを新たにした。 昨年一〇月二三日、新潟県中越大震災発生。最大震度7、十日町市の最大震度6強。中越全域での震度4以上の余震一〇〇回以上。 地震発生当日、出張先の新潟市から帰宅できず小千谷市で車中泊をし、翌二四日朝現地で借りた自転車で帰宅した。保育園を併設している教会建物は、ほぼ無傷で建っていた。創立記念礼拝と共同墓碑完成式で賑やかになるはずだった礼拝堂で、ひと……
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