実りある交わりを求めて
村山盛芳
大阪教区には一四九の教会・伝道所があります。大阪台湾教会もそのうちの一つです。一九九〇年四月一日に設立され、一九九八年に教団加入申請が受理されて大阪教区の群れに加わってくださいました。
今年の教区総会開会礼拝の聖餐式は台湾語で行われました。今年が「日本基督教団と台湾基督長老教会の協約」改定二〇周年にあたることを記念したからです。普段教区内に台湾語を使って教会活動を行っている群れがあることを意識することはあまりありません。しかし、主の食卓にあずかる時に、日頃馴染みのない言葉が使われることによって、教区内に台湾教会があること、教団と台湾基督長老教会の間に協約が結ばれていることを改めて実感する時となりました。総会の時間的制約と、聖餐式の流れを重視したため、通訳を置くことをせず、台湾語の式文を日本語に訳したものを全員に配り、聖餐式を守りました。評価は色々……
去る六月六日、七日の二日間、熱海駅近くのホテル熱海閣に於いて、日本基督教団所属教誨師の働きを支援する教団教誨事業協力会主催の教区代表者会及び東日本教誨師研修会が開かれた。
一日目開会礼拝後、講師として招いたルーテル学院大学総合人間学部、西原雄次郎教授により『聴くということ』という主題の下で研修会が開かれた。
教誨師として矯正施設に遣わされ、常に被収容者と向き合うことが求められている教誨師が、個人教誨などにおいて、困難な状況に置かれている被収容者のもつ様々な問題を理解し、指導、助言を与えるために、「如何に聴くべきか」という点についての有意義な研修の時を持つことが出来た。
同志社での学生時代、恩師に当るデッソー教授による面接実習の指導を厳しく受けられた西原氏は、心に傷をおった少年たちを収容する児童養護施設におけるスーパーバイザーとして長年関わって来た個別援助の仕事を通し、「聴くということ……
第34総会期第二 回部落解放センター運営委員会が教団会議室にて六月七~八日開催された。
新年度最初の委員会でもあり、二〇〇四年度センター会計決算、および二〇〇五年度の会計予算案を審議し、それぞれ承認された。全国の教会・伝道所・個人・諸団体より解放センターを覚えて活動献金が献げられており、年度目標額を達成することができた。また、昨年末に起こったスマトラ沖地震による甚大な津波被害を受けたインド南部のダリッド村への支援も、全国より多くの献金が献げられたとの報告がなされた。それぞれ感謝である。
今後の取り組みとして、「教団部落解放基本方針」具体化のために毎年七月第二主日と定められた「部落解放の祈りの日」運動を昨年以上の教会・伝道所で実施されることを、また、いずみ教会で開催予定の「第八回部落解放青年ゼミナール」への積極的参加を促すことを、それぞれ確認した。部落解放を教会の大切な宣教課題としてゆく……
第三八回を数える伊豆諸島連合修養会が、「新島で伝道を語ろう」の主題のもとに、六月七~八日、新島教会(東京都新島村本村)に於いて開催された。参加者は五六名。東支区をはじめ、東京教区内の全ての支区から集まった。
開会礼拝の後、各教会の現状報告がなされた。
今回特に時間を割いて報告されたのは、今年二月に避難解除となり、本格的に島民の帰島が始まった三宅島についてであった。
三宅島伝道所代務者の河合裕志牧師(西新井)は、二〇〇〇年七月以降休止していた同伝道所の礼拝が、五月二日に再開された様子を、次のように報告した。
「礼拝には一二人が出席した。倉橋康夫牧師(富士見町)による『小さな群れよ、恐れるな』と題する説教、自分(河合)の司式による聖餐式が、それぞれ行われた。会堂がある区域は、未だに立ち入り禁止になっているため、民宿の一室を借りて礼拝している。防毒マスクの手放せない状況の中、今度いつ、ど……
五月末に五日間の日程でドイツ・ハノーファーで行われた「キルヘンターク」の報告をしてみたい。「キルヘンターク」とは直訳すれば「教会の日」となるが、「教会祭」というのが一番ぴったり来るように思われる。キリストを信じる者が二年に一度集まって「キリストを祝う(つまりは「祭り」)というのが趣旨だからである。元々の起源は一九世紀末の敬虔主義的な信徒運動から始まったこの祭りに、今年は一〇〇万人のキリスト者が全国から集まった。この信徒運動は、ドイツ国内に留まらず、ヨーロッパ全体に広がる国際的な性格を持っていたため、第二次大戦中はナチから禁止されていたという経緯もある。戦後新たに数えて今回が三〇回目となる。信徒運動という性格故に「信徒大会」と訳すこともあるようで、「教会の公式の行事」ではなく、教会はあくまで経済的な後援を行うという慣例になっている。ドイツの教会の性格の一面を知るには、私のような外国人にとって……
▼二昔も前のこと。重度の身体的障碍を持った方々と月一回の礼拝を一緒に守っていた。日常会話も不自由な人が多く、讃美歌を歌うことが困難なことだった。▼少し歌える人も、大幅に音を外す者に引きずられてしまう。一〇数人の讃美は、悲惨な状態になるのが常だった。讃美歌が無くても礼拝は成立する、そうも考えたのだが、メンバーは歌いたいらしい。▼ヒムプレーヤーは未だ持っていなかった。奏楽を録音したものを持参する。必死でこの音を聞いた。メンバーがトンデモなく外れた音を出しても、その声には耳を閉ざし、ひたすら奏楽だけを聞く、そんな器用なことが出来るようになった。メンバーには関係なく、一人で正しく歌えた。▼初めて正しく歌えたその瞬間に目が覚めた。何をやっていたのだろうと。これでは讃美でも何でもない。次の礼拝からテープも止めた。みんなで歌った。思いっきり音を外して、気持ち良く歌っている彼らの心持ちが、だんだんに分かっ……
ヨハネの黙示録 三章二〇節
扉を開いて 藤掛順一
会堂開放
私たちの教会は昨年秋から、「会堂開放」を始めました。私たちの教会堂は一九二六年に建てられた、ご覧のように大変厳めしい建物です。新来者にとって決して入り易くはない、敷居の高いものですが、他方横浜市の歴史的建造物に指定されており、それらを巡るツアーのコースにも入っていて、見学を希望する人はけっこうあります。
しかしこれまでは、正面玄関近くに事務所を設けることができないという構造上の制約もあり、週日には扉を閉ざしていました。それをこのたび、教会員の中から奉仕者を募り、毎週木曜日から土曜日の午前十時から午後四時まで、正面入口の受付に奉仕者が二人ずつ待機して、来訪者を迎え、必要があれば建物の説明などをするという体制を整えました。開放中、外には「会堂開放中です」という看板を出し、気候のよい時には扉を開けたままにしておいて、……
各教区総会が続いている。残念ながら沖縄、京都の両教区は問安使を拒否されたが、それゆえにこそ対話を求めて行かねばならないと感じている。沖縄教区総会には愛澤豊重総務幹事を傍聴せしめたので、報告を受け対応していきたいと思っている。
四役で分担して一五の教区総会を問安しているが、幹事たちも一人一教区ずつ随行訪問させていただいた。
私は四国、奥羽、東北、西東京、関東の五教区を問安させていただいたが、各々の教区固有の宣教課題を担いつつ歩んでいる様子を今回も教えられている。
差異はあるが、「合同のとらえなおし」の問題をめぐる質疑、そして、セクシュアル・ハラスメント裁判についての質問が多かったように思えた。
これらについては深めることは出来なかったが、現状の把握はそれなりなしえたことは有益であったと感じている。
一方、教区活動連帯金の受入額減少をめぐっては厳しい意見、注文もなされ、これも今後に反……
必要なものは与えられる
必要なものは、主が与えてくださる。それが、民代さんが信じてきたことだし、事実、これまでもそうだった。
民代さんの父、森敬造氏は関西学院に学んだメソジスト教会の牧師だった。必ず民主主義の時代が来ると三番目の娘に民代と名付けた。父の転任に伴い、家族も石川、愛知、愛媛と住まいを移った。戦争となり四年ごとの転任がなくなる。民代さんは、三瓶教会で小学生から高校生までを過ごし、父と母が教会に仕える姿を間近に見てゆく。父は伝道一筋の牧師だった。
終戦後、女学校を卒業した民代さんは、姉の学んだ東洋英和女学院に進みたかったが道が開かれなかった。東京・府中に開校された生活指導学校へ社会福祉主事になるべく進学した。
父は、娘たちに職業に就くことを強く勧めた。二人の姉は、それぞれに栄養士、幼稚園教諭となっていた。民代さんに与えられたのは幼稚園助手としての働きだった。二百名の園児……
「新潟県中越地震」被災教会会堂等再建支援委員会が発足し、一億五千万円の目標を掲げ、全国の諸教会に支援のお願いを始めて半年が経ちました。現在約三千万円の募金が皆様のお祈りと共に寄せられています。ご協力を心より感謝いたします。
被災地は震災の後、例年にない豪雪にも見舞われました。関東教区発行の「被災支援センターニュース」11号に、「雪との戦いが終って、再び地震の被害との戦いが始まる。この痛みを負った被災地の現実に主の導きと私達の真心を持って望みたいと願っています」とありました。雪解けと共に被害の姿が再び露にされ、補強・補修工事を含め、復興作業が急がれます。
仮住まいを続ける牧師ご家族、体調を崩された信徒の方々、そのような厳しい中でなお主のお守りに感謝し、主を信じて前向きに歩んでおられるとのこと。新たな雪の季節を迎える前に、どうか再建・復興させていただきたいと願います。
多額の会堂建築負債……